第266話 白亜の館

 バスを降りたら、途端とたんに潮の香りがした。


 僕達と運転手さんの他に誰も乗っていなかった路線バスが、運転手さんだけを乗せて、次の停留所へ走り出す。


 僕達は道路脇にぽつんと立つバス停に取り残された。

 バス停の周りには誰もいないし、目立った建物もない。

 海からの風に、笹の葉がカサカサと揺れているだけだ。


 僕は、バスに乗っていて縮こまっていた体で、海に向けて大きく伸びをした。


「先生、本当に、こんな辺鄙へんぴなところにコテージなんてあるんですか?」

 隣で同じように体を伸ばしているヨハンナ先生に訊く。

「VIPってのは、静寂せいじゃくを求めるのよ。こういう、何もないところに、本物の別荘ってやつがあるんですよ」

 ヨハンナ先生が言った。


 真っ白なシャツにデニムっていう、シンプルなコーディネートの先生。

 吹き抜ける海風に、先生の金色の髪が揺れる。

 なんか、清涼飲料水のCMにぴったりな光景だ。


「さあ、みんな、これからちょっと歩くよ!」

 先生が言って、女子達が「おー!」って応じた。

 本当に寄宿舎の女子達は元気だ。



 僕達は、電車とバスを乗り継いで、お盆休みを過ごすコテージを目指していた。

 先生のフィアットには六人乗れないし、道路の渋滞を考えて、電車での移動を選んだのだ。


 水色のワンピースにカンカン帽の弩に、ミントグリーンのワンピースにカンカン帽で、弩と姉妹みたいな萌花ちゃん。

 黒のノースリーブに花柄のスカートの新巻さんと、Tシャツにショートパンツの宮野さん。

 みんな、スーツケースを引いたり、ボストンバッグを持ったり、大荷物だった。

 毎日僕が洗濯するから、衣類とか最低限でいいって言ったのに、みんな色々必要なものがあるらしい。


「さあ、それじゃあ、出発!」

 ヨハンナ先生の号令で、みんなで一列になって道路脇を歩く。


 入道雲が僅かに顔を出すだけの青空からは、容赦なく陽光が降り注いで、僕達はジリジリと焼かれた。

 アスファルトが溶けそうで、陽炎かげろうが見える。

 辺りには、ゴロゴロとスーツケースを引く音が響いた。


 しばらく歩くと、道路沿いに石組みの門柱と、新聞受けが立っている。

 その場所から道路と直角に、車一台が通れるくらいの細い道が続いていた。

 道は、岬の峰を真っ直ぐに、奥まで続いている。


 岬の先端には白亜はくあの建物が見えた。

 緑の中のそれは、陸に浮かぶ客船って感じだ。

「あれですか?」

 僕が訊くと、ヨハンナ先生が頷いた。


「すごい!」

「おしゃれ!」

「面白い建物ですね!」

「ちょっと、写真撮る!」

 女子達のテンションが一気に上がる。


 僕達は、少し早足になってコテージまでの一本道を歩いた。

 波の音が聞こえるし潮の香りがするけど、道の両側には草木が伸びていて、まだ海は見えない。


 近づくと、白亜の建物は楕円だえん形をしていた。

 ぎ出す船みたいに、楕円のとがった方を海に向けている。 

 大きな窓がたくさんあって、外からでも中が明るいのが想像できた。

 壁は、洗い立てのシーツみたいに真っ白だ。


 玄関には監視カメラが三台もあって、警備も厳重そうだった。

 ヨハンナ先生が、預かっていた鍵でドアを開ける。

「お邪魔しまーす」

 重々しいドアを開けて、僕達は恐る恐る中に入った。



 中は、クーラーでキンキンに冷えている。

 今までかいていた汗が、すっと引いた。


「わぁ!」

 僕達は思わず宙を見上げる。


 玄関は三階までの吹き抜けになっていた。

 外同様の真っ白い壁で、天井から、二メートルくらいあるカジキマグロのオブジェが吊り下げてある。

 壁とは逆に床は黒い大理石で、波のような模様が浮かんでいた。


 僕達は、とりあえず玄関に荷物を置いたまま、興奮気味に奥に進んだ。


 廊下の先は、光溢れるリビングだった。

 天井から床まで、全部ガラス張りだ。


「わあ、すごーい!」

 みんなでガラスに張りついた。


 ゆったりとカーブを描くガラスの開口から、真っ青な海が見える。

 岬の突端とったんで他にさえぎるものがないから、目の前全てが太平洋だ。

 少し波立った大海原が、どこまでも続いている。


 僕達は移動の疲れもあって、しばらく海を眺めていた。

 水平線を、貨物船みたいな大きな船が滑っていく。



「これが、私達のビーチですよね」

 弩が眼下の浜を指した。

 真っ白な砂浜に、波が打ち寄せている。


「そうだよ。私達のプライベートビーチ。向こうの岬までの間が、全部そう」

 ヨハンナ先生が言った。

 この岬の先に、もう一つの岬があって、その間の百メートルくらいが砂浜になっている。

 目を凝らすと、向こうの岬の先端に、小社おやしろみたいな建物が見えた。

 両方の岬が天然の目隠しになっていて浜はひっそりとしている。

 まさしく、プライベートビーチだ。

 飛行艇ひこうてい乗りの豚が隠れ家にしていそうな浜だった。


「あれ、クルーザーですよね」

 萌花ちゃんが下を指す。

 建物の真下を覗くと、そこに桟橋さんばしがあった。

 桟橋には、一隻の白いクルーザーが繋いである。


 真っ白な砂浜にクルーザー、地中海にあるみたいな白亜の建物。

 ここはまさしく、VIPが休暇を過ごすのにふさわしい場所だった。



「さあ、それじゃあまず、このコテージの探検をしましょう」

 ヨハンナ先生が言って、素直な生徒が「はーい」って元気な返事する。


 まず、僕達がいるこのリビングは、弧を描いておうぎみたいに広がっていて、奥のダイニングに続いていた。

 外側は全部ガラスで、内側の円形の壁には、暖炉もある。

 ソファーセットが二組と、モダンなデザインのダイニングテーブルがあって、どの席からも海が見えた。


 リビングの内側の丸い壁の中は、キッチンだ。

 大きなステンレス天板の、使いやすそうなアイランドキッチンだった。

 業務用の大きな冷蔵庫には、肉、魚、野菜、食材が詰まっている。

 パントリーには、米や小麦粉、パスタ、調味料、乾物、何でもあった。


「キャンセルになっちゃったけど、その前に食材は揃えてあったから、それ全部使っていいって」

 ヨハンナ先生が言う。

 御厨がいたら、涙を流して喜んだかもしれない。

 ここは、御厨の代わりに僕が腕によりをかけて、女子達に美味しいものをたべさせよう。



 玄関脇の階段を上がった二階は、寝室やゲストルームだった。

 楕円形の建物に沿って、八つの部屋があって、真ん中が広間になっている。

 広間にはビリアード台やピンボールの台が置いてあった。

 ホームシアター用のプロジェクターや、カラオケの設備もある。


 広間を囲む部屋は、どの部屋にもキングサイズのベッドがあって、それぞれ、壁紙や家具が違って、趣向をらしてあった。


「後で部屋割りを決めましょうか」

 ヨハンナ先生が言う。

 どの部屋からも海が見えるし、たとえどこの部屋になっても、僕に文句はない。



 三階は、建物部分が少しあるだけで、あとは屋上の展望デッキみたいになっていた。

 建物部分にはバーカウンターがあって、お酒がずらりと並んでいる。

 奥には小さなワインセラーもあった。


壮観そうかんだねぇ」

 お酒のラベルを眺めてヨハンナ先生が言う。


 先生、よだれ垂れてますけど。


 飲み過ぎないように、僕は先生を注視する必要があるだろう。


 屋上には、デッキチェアーや、バーベキューコンロ、簡単な流し台なんかがあった。


「わあ! ジャグジー付いてますよ!」

 それを見付けた宮野さんが声を上げる。

 屋上デッキの海に近い先端の方に、大人七、八人が入れそうな丸いジャグジーがあった。


「海と星空を見ながらジャグジーに入るって、最高じゃない」

 新巻さんが言う。


 試しに、みんなでからのジャグジーに入ってみた。

 ジャグジーの周りが水盤すいばんになっていて、水がそのまま海に繋がっているように見える。

 夜になったら、海と星空の境も分からなくなるんだろう。

 空のジャグジーの中でみんなも同じことを考えているみたいで、うっとりとした顔をしていた。


 まあ、入るとしても、男子の僕は、みんなと別々になるんだろうけど。



「それじゃあ、歩いて汗かいたことだし、まずはこのまま海に跳び込みましょう。水着に着替えて、浜に集合!」

 ヨハンナ先生が言った。

「はい!」

 弩と萌花ちゃん、宮野さんが小気味いい返事をした。

「は、はい」

 新巻さんだけ、少し遅れて返事をする。



 女子達が風呂場の脱衣所でキャッキャ言いながら水着に着替える声を聞きながら、僕は廊下でTシャツを脱いで、海パンに穿き替えた。

 一人で先に、コテージから浜に続く階段を下りる。


 みんながどんな水着を買ったのか、そんなの気にならないっていったら、嘘になる。

 っていうか、めちゃめちゃ気になる。



 僕は、心を落ち着けるために、浜辺の隅の小屋からビーチチェアを出して、それを並べた。

 そして、同じ小屋にあったビーパラソルを立てるために、スコップで穴を掘る。

 一つの穴を掘り終えて、息をついてたら、女子達の楽しげな声が聞こえて来た。

 僕は、後ろを振り返る。



 階段を下りてくる五人を見て、僕は目を疑った。



 ヨハンナ先生に、弩に、萌花ちゃんに、新巻さん、宮野さん。

 みんなが着ている水着が、全部ビキニだったのだ。

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