第265話 プライベートビーチ
お盆休みに入った昼下がりの寄宿舎は、静まり返っていた。
休みになった北堂先生が、ひすいちゃんを連れて五日間の予定でおじいちゃんとおばあちゃんのところに出掛けたから、寄宿舎を走り回るひすいちゃんの足音や、それを追いかけるみんなの声もしない。
部活も休みになっているから、グラウンドから野球部の金属バットの音や、女子テニス部の掛け声が聞こえてくることもなかった。
聞こえるのは、
学校には留守番の先生しかいないから、この学校の広い敷地の中は、人口密度がものすごく低いと思う。
「こんな
弩がぼんやりとした声で言った。
残った僕達は、林からの涼しい風が吹き抜ける玄関ホールで、ゴザを敷いて
寄宿舎に残された、僕と弩と新巻さん、萌花ちゃんと宮野さん。
「いいんじゃない。たまには」
新巻さんが
「それとも、今から、プールにでも行きますか?」
宮野さんが訊いた。
「この炎天下に、一歩でも歩いて行ける自信がない」
萌花ちゃんが言って、宮野さんも「そうですね」って、すぐに案を引っ込める。
連日、35度を超える暑さが続いていて、僕達は夏バテ気味だった。
今日の夕飯は、みんなにスタミナがつくものを食べさせようって考えている。
肉食系女子達に、ニンニクがたっぷり効いたスタミナどんぶりを作ろうって考えていた。
それはそうと……
「みんな、なんで僕の体を枕にしてるんですか!」
ゴザに横たわった女子達が、全員僕の体の右側に集まって、僕の足やみぞおちや腕に、頭を乗せている。
四人が僕の体の片側に並んでるから、なんか、子犬達におっぱいを飲ませる母犬状態だった。
「すみません、でも、寝るときは先輩の腕がしっくりくるので」
弩がとろんとした声で言う。
「私は、このみぞおちに頭がぴったりはまるんだよ」
新巻さんが言った。
「運動部の筋肉だらけの体ってわけでもなく、かといって、毎日の家事で
僕の太股に頭を置く萌花ちゃんが分析する。
「そうなんです。なんか、先輩を枕にすると、気持ちよくて、もうここから動きたくなくなります」
僕のふくらはぎの辺りに頭を置く宮野さんが言った。
僕のことを、「人をダメにするソファ」みたいに言うな!
って怒りたいけど、みんなの頭が僕のツボに入って、適度な重さで刺激してくれるから、なんか、家事の疲れがとれる感じで気持ちいい。
みんなが寝返りを打って時々動くから、ツボ押しのマッサージみたいだ。
ウインウインなんだから、このままでいいか。
人がいないし、誰に見られるわけでもないし。
まあ、高校生の夏休みをこんなふうに過ごしていいかっていう、疑問は残るけど。
「ただいまー!」
元気な声と共に、研修に行っていたヨハンナ先生が帰って来た。
「あれ、なんか、気持ちよさそうね」
ヨハンナ先生が子犬の列に加わろうとする。
「先生ダメです! スーツが
僕が必死に止めた。
「なによ、ケチ!」
先生が帰ってきたことで、寄宿舎がたちまち
いるだけでパッと周囲の雰囲気を変えてしまう先生って、やっぱりすごい。
ヨハンナ先生は、これからお盆休みだ。
先生のことだから、毎日お昼頃まで寝ていて、だらだらと夏休みを過ごすんだろう。
だけど、毎日毎日、仕事頑張ってるし、せめてお盆休みの間はゆっくりとさせてあげよう。
思いっきり甘えさせてあげよう。
ぼくがそんなふうに考えてたら、
「ほら、せっかくの高校生の夏休み、だらだらしててどうするの? みんな、お盆休みは泊まりがけで海に行くよ!」
ヨハンナ先生が、突然、僕達を見渡してそんなことを言い始めた。
「海、ですか?」
張り切る先生に対して、僕達の反応は鈍かった。
「どこも
行楽地はどこも混雑しているだろう。
「渋滞とか嫌ですし、それに泊まりがけって、そもそも宿取れるんですか?」
新巻さんが当然の質問をする。
「ふふふふ」
しかし、ヨハンナ先生が
「それがね、海辺のコテージを、私達の貸し切りで使えることになったんだな。それも、たっぷり一週間」
先生、腕組みして、なんだか得意げだ。
「どういうことですか?」
先生が「訊いて訊いてオーラ」を出していたから、僕が訊いた。
「うん、お姉ちゃんの
VIP用のコテージって訊いて、寝転がっていた女子達が一斉に顔を上げる。
なんだか、ミーアキャットの群れみたいだ。
「その代わり、食事は自分達で用意しないといけないし、クリーニングとか、世話をしてくれる従業員さんもいないけど、あなた達なら出来るでしょって、お姉ちゃん言っててさ」
ヨハンナ先生の言葉に、今度は僕が顔を上げる。
えっ?
VIP用のコテージにただ同然で泊まれる上に、そこで炊事とか洗濯とかの家事が出来るの?
それって、天国じゃないか!
「しかもなんと、そのコテージにはプライベートビーチが付いてるし、おまけに、
ヨハンナ先生が続けた。
「プライベートビーチ」って、なんて
脳裏に、誰もいない砂浜と、ビーチパラソルが浮かんでくる。
インスタに「プライベートビーチで朝からまったり」とか上げたら、それだけでリア充の仲間入りじゃないか。
「どう? 行く?」
先生が訊いた。
「はい、行きます!」
その時の僕達は、世界中の誰よりも素直な生徒だったと思う。
僕達の返事が分かりやすすぎて、先生が笑った。
静かだった寄宿舎は、ヨハンナ先生が帰って来て、笑い声で満ちる。
「だけど、弩は実家もあんなにすごかったし、高級リゾートとかは行き慣れてるだろ。なんでそんなに楽しそうなんだ?」
僕が訊くと、
「いえ、確かに色々なリゾートと連れて行ってもらいましたけど、一人では詰まらないのです。皆さんと行けるから、楽しいのです」
弩が照れながら答える。
危ない。
弩がそんな愛らしいことを言うから、この場で抱きしめるところだった。
「そうだね。みんなで楽しもう」
ヨハンナ先生が言って、僕達は強く頷いた。
「よし、じゃあ、女子達、新しい水着買いに行くよ、着替えて」
先生が号令をかける。
「水着、ですか?」
萌花ちゃんが首を
「せっかくのプライベートビーチなんだもの、新しい水着で、
先生……自分の生徒達に、なんてこと言うんだ。
「それじゃあ、篠岡君は留守番お願いね。私達がどんな水着を買うのかは、ビーチでのお楽しみ」
ヨハンナ先生がそう言ってウインクする。
い、言われなくても、僕はこれから夕飯の
さっきまでのだらだら具合が嘘みたいにきびきびとと動いて着替えた女子達は、
僕は、夕飯の準備と平行して、みんなの1週間分の衣類の荷造りをする。
あれ、でも、先生、悩殺しまくっちゃいましょうとか言ってたけど、プライベートビーチなんだし、僕達しかいないんだし、寄宿舎の女子達に悩殺されるのって……
僕?
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