第261話 青い梅

 今日の晩酌ばんしゃくのおつまみは、枝豆にすることにした。


 夕飯の買い物に行った帰り、道端にある畑の無人野菜売り場で、農家のお爺さんが、おいしそうな枝豆を売りに出しているのを見付けたのだ。

 ふっくらと中身が詰まってるし、なによりも採れたての瑞々しい枝豆だった。


 使える食費は決まってるけど、ビールと一緒にこれを出したときのヨハンナ先生の笑顔を想像したら、思わず自腹を切って買ってしまった。

 豆がたくさん付いたままのやつを三本。

 一本100円で、計300円なり。


 ヨハンナ先生はこんな小さなことでも感動してくれるし、キラッキラの笑顔で答えてくれるから、その笑顔を見られるなら、こんな出費は痛くない。

 これだけあれば、寄宿舎の女子達みんなで食べられるくらいでられるし。


 男子高校生が枝豆を買うのが余程よほど珍しかったのか、脇で作業していた農家のお爺さんが、一本オマケしてくれた。

 他に新鮮な野菜もあるし、今度から、買い物帰りには毎日ここに寄ってみることにしようと思う。




 寄宿舎に帰って、僕は早速、台所で枝から豆をもいだ。


 玄関や階段ホールでは、名探偵の女子達が、相変わらず、この館の謎を調べ回っていて、その声が台所まで聞こえてきた。

 新巻さんと宮野さんに、弩と萌花ちゃん。

 姉妹みたいに仲が良い女子達の楽しそうな声がする。


 ヨハンナ先生の部屋から時折ときおり聞こえる風鈴の音と、林から聞こえる蝉の声、そして女子達の声を聞きながら、僕は豆をもいだ。


 寄宿舎の午後は、平和な時間が流れている。



 枝からもいだ豆を塩でんでいたら、台所に新巻さんが入って来た。

 アイスブルーの、ノースリーブワンピースの新巻さん。


「ねえ、お母さん、何か飲み物欲しいんだけど」

 新巻さんは、僕の顔を見てそう言った。


 ん? お母さん?


 僕が首をかしげると、新巻さんがハッとして目を見開く。

 自分の言葉を反芻はんすうして、間違いに気付いたみたいだ。


「えっと、あの、うん、違うの! わっ、忘れて! 今のは忘れて!」

 新巻さんの顔が一瞬で真っ赤になって、バタバタと手を振ってあわてた。


「新巻さん、今僕のこと、お母さんって呼んだ?」

 僕は、意地悪したくなって訊いた。


「だから、違うんだってば! 間違えたっていうか、自然に口走っちゃっただけで、ホント、間違いだから!」

 あわてふためく新巻さんが可愛い。


「あっ、あなただって、小学生のときとか、学校で担任の先生のこと間違えて『お母さん』って呼んじゃったりしたこと、あるでしょ! それよ、それ!」

 新巻さんが早口で言い訳した。


「確かに、そういうことはありますけど……プークスクス」

 僕がわざとらしく笑うと、新巻さんは「もう!」って、手をぐるぐる振る。


 これはあれだ。

 新巻さんって、普段クールだけど、攻められると可愛くなるタイプだ。


「ねえ、このことは、他のみんなには黙っててよ」

 新巻さんが、もじもじしながら言った。

「このことって、なんですか?」

 僕は、すっとぼけて言ってみる。


「もう! 私が篠岡君のこと、『お母さん』って呼んだことは、誰にも言わないで!」

 新巻さん、あんまり大声出すと、玄関のみんなに聞こえちゃいます。



 それにしても、意識しない状態で、自然に「お母さん」って呼ばれたことに、男子高校生の僕は喜んでいいんだろうか?


 主夫を目指す者としては、喜ぶべきなんだろう。


「ちょうどいいから、飲み物はみんなの分も持っていきます。ちょっと待っててください」

 僕が言うと、新巻さんは「そう、ありがとう」って逃げるみたいに玄関に戻った。



 僕は、御厨が作っておいてくれた青梅シロップを薄めて、梅ジュースを作る。

 氷を入れてキンキンに冷えたグラスを人数分、お盆に載せて玄関まで持っていった。


「さあみんな、一休みしましょう」

 僕は、昼寝のときのように玄関にござを敷く。

「はーい」

 汗ばんだ女子達は、素直にござの上に並んだ。

 ござの上で、梅ジュースで一服する。


「すっぱーい!」

 一口飲んだ弩が、口をすぼめた。

 目をつぶって、顔をくしゃくしゃにしている。


「酸っぱいけど、おいしい。疲れがとれますね」

 萌花ちゃんは氷のグラスをおでこにくっつけて、涼を味わった。


 新巻さんはグラスを傾けながらも僕をチラチラ見て、「あのことはみんなに言わないでよ」って、目で言う。

 僕は、「大丈夫、言いませんよ」って目で送った。


「わあ、この梅ジュースの味ってなつかしい、お婆ちゃんの味です!」

 宮野さんが言う。


 お、お婆ちゃんって……


 新巻さんに母さんって言われたまではいいけど、お婆ちゃんは言い過ぎだ。



「それで、調査の進み具合はどうですか?」

 気を取り直して、僕は訊く。


「はい、この階段の壁に埋め込まれたレリーフを調べたんですけど、バルコニーのレリーフみたいに、押せそうなレリーフが何枚かあったんです!」

 宮野さんが興奮した声で言った。


 宮野さんによると、レリーフを一枚一枚丁寧に見ていったら、ほんのわずか壁から浮いていて、動きそうなレリーフを見付けたと言う。


「そうなの。もしかしたら、これが私達が探していたパズルかもしれない」

 新巻さんも、興奮が隠しきれない。


「それで、さっきからレリーフを押してみてるんですけど、まだ一ミリも動きません。二つ同時に押したらどうかとか、三つ同時に押したらとか、バルコニーのレリーフを同時に押したらどうかとか、色々試してるんですけど、だめでした」

 弩が言う。

「動きそうなレリーフは幾つもあるから、どれを押すかは何パターンもあって、それを試さないといけないかもね」

 腕組みして新巻さん。

「押す順番が問題なんじゃないでしょうか?」

 萌花ちゃんが言う。



「押してだめだったら、引いてみたらどうですか?」

 僕は、何気なく言った。


「えっ?」

 みんなが初めて気付いたみたいに、僕の顔を注目する。


「それは、試してなかった」

 新巻さんが言って、みんなが階段を上ってすぐのレリーフに取り付いた。


 宮野さんが一枚のレリーフのふちに指を引っかけて、引いてみる。

 けれど、レリーフはびくともしなかった。


 そうやって壁の他のレリーフを何枚か試していたら、一枚のレリーフが、三ミリくらい、スッと前に動いた。


 僕達はみんなで顔を見合わせる。


 みんなでレリーフの縁に手を掛けた。

「それじゃあ、いくわよ」

 新巻さんの号令で、そのままみんなで力を入れて引いたら、レリーフがすぽっと抜ける。

 レリーフが抜けて、僕達は階段の下に落ちそうになった。


 レリーフが抜け落ちた壁には、ぽっかりと四角い穴が開いている。


 20×20㎝の一枚の板だと思っていたレリーフは、奥行きがある立方体だった。

 立方体の、木の箱だったのだ。


「やったぁー!」

 女子達がお互いに抱き合う流れに巻き込まれて、僕もみんなと抱き合った。

 みんなに抱きつかれて、おしくらまんじゅうみたいになって、ちょっと苦しい。


 女子達からは、汗と柔軟剤の匂いがした。

 爽やかな夏の匂いだ。



 どうやら僕達は、謎につながる鍵を見付けたらしい。

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