第260話 バルコニーにて
明治期、近代化を
来日した外国人技術者によって、新政府の重要施設が建てられると共に、その下で働く日本人技術者に西洋建築の技術が伝えられ、それは全国に広がっていく。
目新しい西洋建築は人々の目を引き、建物は観光名所となるほどの人気となった。
横浜のイギリス仮公使館の建設に、一人の大工として関わった「青村喜多郎」も、そんな新しい建築に
青村は、仮公使館の設計を担当したアメリカの建築技師、リチャード・ブリッジスに
当時まだ二十代だった青村は、ブリッジスの下で瞬く間に
1872年の
海運で財を成した磐田の
と同時に、自分の設計した建物に
このような仕掛けは、後援者の磐田を喜ばせるためとも、病弱だった磐田の娘、
青村は、三十五で
現存する建物は、この「失乙女館」を含めて、五棟である。
これが、僕の青村喜多郎に関する知識だ。
まあ、全部、浴衣を
「青村は、磐田省吾の娘の小夜に恋してたんだよ。きっとそう。私なら、そう書くな」
新巻さんが言った。
「きっと、この『からくり』は、小夜さんに対する、青村のラブレターみたいなものだわ」
新巻さんは目を
創作の世界に入ってしまったみたいだ。
「大資産家と、その資産家に雇われた男。身分違いの恋に、娘の小夜に自分の心を伝えられない青村は、自分が設計する建物でその気持ちを表現したの。病弱な小夜に奇跡を見せようとしたの。きっとそう」
新巻さんは、気持ちよさそうにすらすらと語った。
「はいはい、分かりましたから、手を動かして日焼け止めクリーム塗ってください」
僕は、妄想する新巻さんを
「あっ、そうだった」
妄想から現実に立ち返って、新巻さんが腕にクリームを塗る。
昼食後、陽光がさんさんと照っているこの暑い
太陽の下にそのまま飛び出していこうとする女子達に、僕は、帽子を被って日焼け止めクリームを塗ることを命じた。
ぶつぶつ文句を言ったけど、晩ご飯抜きにするよって
大切なお肌のケアをないがしろにしたらいけない。
「ほら、首の後ろも、しっかり塗ってくださいね」
弩の背中に日焼け止めクリームを塗りながら、僕は新巻さんに注意した(弩に「手が届かないので塗ってください」などと言われて、僕は便利に使われている)。
「なんなら、僕が塗りましょうか?」
僕が言うと、
「塗ります、自分で塗ります!」
新巻さんが慌てて、素早く手を動かす。
先日、浴衣の寸法を測ったときに、新巻さんの弱点が背中だってことは、分かっていた。
弩の背中を塗ってたら、萌花ちゃんまで僕に背中を向けて、塗って塗ってアピールしてくる。
二人とも肩出しワンピースを着ていて、双子の姉妹みたいだ。
さすがに、二人の女子に無防備な背中を
だって、女子に日焼け止めとかサンオイルを塗ってあげるって、男子高校生が憧れる恋人とのラブラブシチュエーション、32位くらいにランクインすると思う。
僕は、弩と萌花ちゃんの背中に、丁寧に日焼け止めを塗った。
「あなた達、よく他人に背中を見せられるよね」
僕達を横目で見ながら、新巻さんが言う。
新巻さん、あなたは殺し屋かなんかですか……
「僕は、日焼け止めじゃなくてサンオイルを塗ります。真っ黒に焼けたいので」
黒いタンクトップにショートパンツの宮野さんが言った。
宮野さん、やっぱり、どう考えてもわんぱくな小学生男子だ。
みんなに日焼け止めクリーム(一人はサンオイル)を塗らせて帽子を被せたら、いよいよ僕達はバルコニーに出た。
バルコニーは玄関の真上で、二階の階段を上がった正面にある。
長方形で横に長くて、階段室からのドアに加えて、206号室と207号室からも出入りできる造りだ。
階段室のドアを開けて外に出ると、木々にとまる
バルコニーは
林から抜けてくる涼しい風も、この暑さの中では焼け石に水だった。
「それで、ここで何を調べるの?」
新巻さんが宮野さんに訊く。
「はい、この手すりと壁面の接合部分を調べたいんです」
宮野さんが答えた。
バルコニーは、木の柱で支えられた手すりで囲まれている。
「別に、おかしなところはないけど」
新巻さんが手すりと壁の間を覗き込んで言った。
手すりは、寄宿舎の外壁に、しっかりと作り付けられているように見える。
「ちょっと待ってくださいね」
宮野さんがそう言うと、一枚のコピー用紙を
「これをちょっと、差し込んでみますね」
宮野さんは、手すりと壁の接合部分に、上からコピー用紙を差し入れる。
すると、コピー用紙は、手すりの上から下まで、すっと中を通って下まで届いた。
「えっ?」
「嘘」
「どういうこと?」
そこにいたみんなが、何かしらの声を出す。
「やっぱり、そうでした」
宮野さんだけが、納得している。
「この手すりは、寄宿舎の壁と繋がっていません」
壁と手すりの間を、コピー用紙が通ってしまうんだから、宮野さんの言うとおりなんだろう。
手すりは、寄りかかる体重を支えるものだから、本当なら壁としっかりくっついてないといけないはずだ。
でも、一見すると壁と繋がっているように見える手すりが、コピー用紙一枚分くらいの隙間で、壁から切り離されている。
「僕は、もしかしたら、このバルコニーが動くんじゃないかって
宮野さんが胸を張って言った。
「動くって、どういう?」
僕が訊く。
「さあ、今のところ分かりません。だけど、本当ならしっかりと壁と固定するはずの手すりが切り離されているのを見ると、このバルコニー自体が動くような『からくり』が仕掛けられてるんだって思うんです」
宮野さんが言った。
バルコニーが動く「からくり」ってどういうことだろう?
バルコニーが動いてそれぞれの部屋の窓を回ったり、屋根を登ったりするって、そういうことだろうか?
僕が考え込んでいると、
「ねえ先輩、前から気になってたんですけど、この彫刻はなんでしょう?」
弩が僕のTシャツの裾を引っ張って訊いた。
弩が指すそれ、バルコニーの手すりに、大きな車輪が付いた
大きさは20㎝×20㎝くらいだろうか。
「えっ?
洗濯物を干したり、掃除したりするときにいつも見てたけど、館内のそこここにある飾り彫刻の一つだと思って、気にも止めてなかった。
「それ、『竹取物語』の空飛ぶ車ですよ」
宮野さんが言う。
「空飛ぶ車?」
わけが分からず、僕達と弩は調子が外れた声を出した。
「一階の玄関ホールから二階に上がる階段の壁にも、レリーフが幾つも埋め込まれてますよね?」
宮野さんが訊く。
「うん」
確かに、そこには飾り彫刻があった。
階段の壁にある飴色のレリーフは、毎日のように磨いていて、毎日見ている。
「あれは、『竹取物語』、つまり、昔話の『かぐや姫』を題材にしたレリーフなんです。一階から二階まで、階段の壁に
宮野さんに言われてみると、確かにそんな気がする。
今までなんとなく眺めていて、西洋風の彫刻とは違うって思ってたけど、その意味まで考えてなかった。
あれは竹取物語がモティーフだったのか。
「青村は建物に
宮野さんが説明する。
「その愛知病院って、『深海に続く出窓』のからくりがあるところよね」
新巻さんが訊いた。
「はい、それです。出窓の外を、魚たちが泳ぐ『からくり』があるところです。その仕組みは、二枚のガラスの間に水が入って水槽になっていて、池の魚が泳いで、部屋が水の中に沈んだように見える仕掛けでしたけど」
宮野さんが説明してくれた。
建築マニアじゃないけど、その「からくり」は一度見てみたい。
「この『失乙女館』には、一階の階段の竹から赤ちゃんが生まれる場面から、この、空飛ぶ車でかぐや姫が月に帰るシーンまで、竹取物語がテーマの彫刻で
宮野さんに言われて、僕達はそれを確かめるために、一旦、一階に下りた。
一階の階段の最初の部分には竹林の彫刻があるし、
本当に、彫刻で竹取物語が表現されている。
こうしてあらためて宮野さんに言われるまで、気付かなかった。
物語の順番に従ってレリーフが並んで、そして、バルコニーの「空飛ぶ車」レリーフまで戻る。
「この手すりのレリーフを押し込んだら、何かの仕掛けが動き出すとか、ないですよね」
「まさか、そんな簡単なわけ……」
僕達は、顔を見合わせる。
「まさか、ですよね」
弩が試しにレリーフを押してみた。
だけど、レリーフは手すりにぴったりと固定されていて動かない。
「まあ、そうだよね」
新巻さんが半分安心したように言った。
ここが建てられてから100年以上経っているのに、誰もこのレリーフを押したことがないなんてありえない。
ここには今まで
その歴史の中で、このレリーフに興味を持った女子は弩だけではないだろう。
何人もが押してみたり、手すりに寄りかかったついでに押してしまったことがあるはずだ。
もしそんな仕掛けがあったら、その時気付いただろう。
「でも、弩先輩が言うことも、あながち間違ってもないと思うんですよね」
宮野さんが首を傾げながら言う。
「もしかしたら、この建物に何かパズルのようなものが隠されていて、それを解くと、このレリーフが押せるようになるのかもしれないって、そんな気がするんです。この手すりの内部は中空になってるみたいだし、このレリーフが『からくり』のトリガーになるような仕掛けがあるんじゃないかって」
宮野さんが、手すりをコンコン手で叩きながら言う。
確かに、音が軽くて、手すりは中が詰まってないような音がした。
「パズルって、面白いじゃない」
新巻さんが言った。
「そのパズルってやつを、解いてあげるわ! 私が立派なレディーになるまでに、この世の謎は、全てなくなっているでしょう」
新巻さんが言って、女子達が「おー!」って盛り上がる。
ちなみに、「私が立派なレディーになるまでに、この世の謎は、全てなくなっているでしょう」っていうセリフは、新巻さんが書いているライトノベル「幼女探偵シリーズ」の主人公、
「その前に、ひとまず、おやつにしましょうか」
僕が提案した。
時刻はもうすぐ午後三時だ。
僕達はさっきからずっと太陽に焼かれていて、みんな汗をかいている。
「はーい!」
好奇心旺盛だけど、おやつには目がない女子達だった。
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