第259話 ミッション

「ちょっと篠岡君、くすぐったい」

 新巻さんが、悩ましげな声を出した。


「あっ、もう、ダメだってば!」

 いつも落ち着いている新巻さんが、可愛い声で身をよじる。


「ちょっと、そんなとこ……わざと触ってるでしょ!」

 新巻さんは顔を上気させて、ばかばかって、僕を軽く叩いた。


「まさか、こんな衆人環視しゅうじんかんしの中でセクハラなんてするわけないじゃないですか」

 僕と弩さんの周りには、寄宿舎の住人全員が揃っている。

 ひすいちゃんも指をくわえて僕達を不思議そうに見ていた。


「新巻先輩、安心してください。篠岡先輩は、超鈍感だけど、女子に変なことはしない人なので」

 弩が弁護してくれる。


 「超鈍感」が余計だ。


「そうだよ、篠岡君は超超、超鈍感だけど、女子の幸せしか考えないような子だから」

 晩酌ばんしゃくのグラスを傾けながら、ヨハンナ先生が言った。


 ヨハンナ先生まで……


「それは、分かってるんだけど」

 新巻さんが涙目で言う。


 僕は、夕食後の、寄宿舎住人が全員集まった食堂で、新巻さんの体の寸法を測っていた。

 Tシャツに短パン姿で、測りやすいよう髪を上げた新巻さんに、メジャーを当てている。


 新巻さんに手を水平に上げてもらって、背骨から手首までの裄丈ゆきたけを測ってたら、背中がくすぐったかったみたいで、暴れ出した。

 暴れられても、これは浴衣ゆかたうための採寸なんだから我慢してもらうしかない。


「なんか、うらやましいな。気持ちよさそうだから、私も、もう一回測ってもらおうかな」

 ヨハンナ先生が言った。

 先生、話をややこしくしないでください。



 これから僕は、新巻さんと宮野さん、それに北堂先生にひすいちゃんの浴衣を縫う。

 去年の夏休みに、ヨハンナ先生と弩、萌花ちゃんの分は縫ったから、今年は新しい住人の分を用意するのだ。

 僕達は、みんな浴衣で揃えて花火大会に行こうって、話し合っていた。

 8月初旬にある花火大会は、全員浴衣で見物する。


 くすぐったがる新巻さんをなだめてすかして、どうにか必要な寸法を測り終えた。

 遊びだと思って僕にじゃれてくるひすいちゃんより時間がかかったかもしれない。


 普段、クールビューティーな新巻さんにこんな弱点があったとは……

 これ、覚えておこう。



 新巻さんの採寸が終わったら、次は宮野さんの番だ。


「僕は、浴衣作ってもらうの初めてです」

 宮野さんは新巻さんみたいに暴れたりしないで、素直に測らせてくれた。

 黒いタンクトップにショートパンツの宮野さん。

 見かけによらず筋肉がついていて、宮野さんの腕はたくましい。

 お腹周りの腹筋も割れていた。


「毎年、お祭りは、浴衣じゃなくて、さらしに法被はっぴ、ねじり鉢巻きで参加してましたから」

 宮野さんが御神輿おみこしを担いでる姿とか、目に浮かぶようだ。

 宮野さんのお父さんは工務店をやってるから、腕っ節の強そうな大工さん達に混じって、祭りに参加してたんだろう。


「あれ? 宮野さん、膝小僧、大丈夫?」

 測ってたら、宮野さんの膝が気になった。

 右足の膝小僧に擦り傷が何本もあって、血が固まってかさぶたになっていた。


「はい、床下をいずり回ったときに、ちょっとってしまって」

 宮野さんが舌を出す。

 宮野さんは、この館を調べるんだって、床下に潜ったり、天井裏を覗いたり、夏休みになってから熱心だった。


「ちゃんと手当てしよう。砂とか入ってたらいけないし」

 雑菌とかも心配だ。

「大丈夫です。こんなの、つばつけとけば、治ります」

 宮野さんが笑いながら言う。


 わんぱくな小学生か!


 宮野さんが何と言おうと、この膝小僧は、僕があとでちゃんと手当することに決めた。

 傷とか残ったら大変だし。



「どう? この館の調査は進んでる?」

 ヨハンナ先生が宮野さんに訊いた。


「はい、進んでます。僕は玄関と玄関ホール、そして、その上のバルコニー辺りが怪しいとにらんでます」

 宮野さんが言った。

「怪しいって、なんか見付けたの?」


「はい、床下を調べてたら、玄関周辺に、構造と全く関係ない柱があるって分かったんです。天才建築家の青村の設計にしては、あり得ない柱です。それに、基礎の部分も無駄に頑丈っていうか、手が込んでいて、その辺に何かの仕掛けがあるんじゃないかって考えてます」

 さすが、建築家を目指す宮野さんだけあって、見るところが違う。


「青村……喜太郎だっけ? 自分の建築に『からくり』を仕掛けるって、面白い人だね」

 ひすいちゃんを抱いた北堂先生が言った。


「ええ、建築に何か自分の痕跡こんせきを残す人はいますけど、青村みたいに遊び心がある人はあまりいません。それが、僕が青村を好きな理由の一つです。それでいて、この寄宿舎みたいに、普段暮らす分にはそれがあることでなにも支障ししょうがないし、建築が成立しています。自分から自慢げに『からくり』を触れ回ったりしませんし」

 確かに、ここで暮らしていて、この建物に何かが隠されてるなんて意識したことはない。


「ここが建てられてから、ずっと誰にも見つからなかったって、『からくり』って、一体どんなものなんだろう」

 萌花ちゃんが言った。


 学校創立の明治十四年直後に建てられたこの寄宿舎。

 130年以上に渡って、乙女達を見守ってきたこの「失乙女館」に、一体どんな秘密が隠されてるんだろう。


「こんな素敵な建物を設計する人だから、きっと、ロマンチックな『からくり』なんだと思います」

 何か想像しているのか、弩が目をつぶってうっとりした表情で言う。


「うん、面白そうね」

 新巻さん言った。


「小説のネタになりそうだし、私もその謎解きたくなった」

 さっきまで涙目だった新巻さんの目が輝いている。

 面白いアイディアが湧いたって感じで、キラキラしていた。


「よし、決めた。私も宮野さんの調査に加わる」

 新巻さんが言う。


 新巻さん、小説書かなくていいのか?

 締切の方は大丈夫なんだろうか?


「ホントですか? 僕、嬉しいです」

 宮野さんが新巻さんの前に駆け寄った。

「ボクっ娘カワイイよボクっ娘」

 新巻さんが宮野さんの頭をでる。



 そう言えば、新巻さんは「兎鍋シリーズ」の他に、「幼女探偵シリーズ」の小説も書いていた(幼女が探偵事務所を開いているハードボイルドだ)。


「私も、参加します!」

「私も!」

 弩と萌花ちゃんが声を上げる。


 宮野さん一人のミッションが、今ここで、寄宿生のミッションになった。

 このパターンでいくと、当然、僕も手伝うことになるんだろう。


「あなた達、調べるのはいいけど、無茶して怪我とかしないようにね」

 ヨハンナ先生が言った。

 先生は最後の一滴まで飲もうと、ビール瓶をグラスに傾けている。



 普段の家事に加えて、浴衣作りに、130年の秘密を解くミッション。


 明日から僕は、さらに忙しくなりそうだ。

 やることがたくさんあって、わくわくする。


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