第258話 出席カードぶら下げて

「はい、みんな、元気がないよ! どうしたの?」

 早朝から、ヨハンナ先生が張り切っている。


 Tシャツにショートパンツで、金色の髪をポニーテールにしたヨハンナ先生が、スピーカーから流れる軽快な音楽に合わせてラジオ体操をしていた。


 僕と寄宿舎の住人は、先生の対面に並んで同じくラジオ体操をしている。

 先生に叩き起こされたから、みんなまだ眠そうな顔だ。


 萌花ちゃんなんかパジャマのままだし、新巻さんは目を瞑って体操していた。

 宮野さんは、Tシャツを後ろ前に着ている。

 気を抜くと眠ってしまう弩が寄りかかってくるから、僕は体操しながら何度も弩を抱き起こした。



 昨日の夜から今日の朝方にかけて、僕達は新巻さんの部屋に集まって、発売されたばかりの、イカっぽいキャラクターが主人公のゲームをしていた。


 塗りまくっていた。


 仕事があるヨハンナ先生と北堂先生、それにひすいちゃん以外で集まって、夜を明かした。

 最後のほうなんて雑魚寝ざこねになって、気付いたら僕は、新巻さんと萌花ちゃんに顔を踏んづけられた上に、足を弩と宮野さんの枕にされていた。

 そんな状態だったから、みんないつも以上に眠いのだ。


「ほら、みんな、最後までしっかり!」

 深呼吸で手を目一杯、上に伸ばしたヨハンナ先生が、僕達を注意した。

 夏休みに入った寄宿舎の中庭は、朝から賑やかだ。


 音楽に負けじと、林の中ではたくさんのせみが鳴いている。

 まぶしい木漏れ日を見ていると、今日も暑くなりそうだった。

 この天気で洗濯物がすぐに乾くから、主夫としては実に有り難い。



「はい、それじゃあ、はんこ押すから、並んで並んで」

 体操が終わると、ヨハンナ先生がみんなを集めた。

 僕達は首からげている出席カードを持って、言われるままに先生の前に並ぶ。

 このカードは、昨日の夜、先生が僕達に配ったものだ。


 並んだ順に、ヨハンナ先生がはんこを押していく。

「はい、篠岡君も、ポチッ」

 今日の日付のマスに「霧島」って先生のはんこを押してもらった。


 なんだか、小学生の頃を思い出す。

 花園がカードをなくして、仕方なく僕のカードをあげたことなんかを、ふと思い出した。


皆勤賞かいきんしょうの人には、先生からプレゼントがあるからね。絶対に休んじゃダメだよ」

 ヨハンナ先生が言う。

 プレゼントとか言っても、どうせノートとかシャープペンなんだろう。


「どうせノートとかシャープペンって思ってるかもしれないけど、もっともっと良いプレゼントだから、期待してね」

 先生はそう言ってウインクした。


 僕は、思わずヨハンナ先生の唇を見てしまう。


 いや、そんなことはない。

 キスのプレゼントとか、ま、まさかな。



 それにしても、今日、ヨハンナ先生は僕が起こさないでも起きたし、自分からラジオ体操始めたり、気力がみなぎっている。

 夏休みに入ってから、先生はいつも以上に生き生きとしていた。


 先生、最近なんか嬉しいことでもあったんだろうか?




 ラジオ体操のあと、みんなで朝食のテーブルを囲んだ。

 今日の朝ごはんは、アジの干物に、オクラと豆腐の味噌汁、卵焼き、ほうれん草の胡麻和ごまあえに昆布の佃煮つくだにっていう、シンプルな献立こんだてだった。

 もちろん、用意したのは僕だ。


「御厨みたいに、った料理は出来ないけど……」

 僕が言い訳すると、

「篠岡君の料理も、実家の手料理みたいで好きだよ」

 ヨハンナ先生が言ってくれる。

「なんか、懐かしくて、結局ここに戻って来たくなる味なんだよね。お袋の味って言うの?」

 年上の先生の郷愁きょうしゅうを誘う僕の料理って、なんなんだ……

 お袋とか言われてるし。



 食事を終えたら着替えを手伝って、二人の先生と、保育園に行くひすいちゃんを見送った。

「いってらっしゃい」

「いってきます!」

 玄関を出て行く二人の後ろ姿を見ながら、やっぱり二人はカッコいいって実感する。

 職場におもむく背中が勇ましい。

 後ろを、安心してついて行ける背中だ。



 朝食の後片付けと、そのあとの掃除はみんなが手伝ってくれた。

「先輩一人だと大変ですから」

 弩が言う。

「まあ、将来共働きになることもあるだろうし、パートナーが病気になることもあるだろうし、私だって一通りの家事が出来るようになってないとね」

 新巻さんは、素直に手伝ってあげるって言わないで、そんなふうに言った。


 みんな自分の部屋を掃除して、廊下の雑巾掛けもしてくれる。

 おかげで、十時前には掃除も終わった。



 掃除が終わって一息ついたら、食堂にみんなで集まって宿題をする。

「僕、7月中に宿題始めるなんて、初めてです」

 宮野さんが言って、みんなが笑った。

「ボクっ娘カワイイよ、ボクっ娘」

 新巻さんがニヤけた顔で、宮野さんの頭をなでなでする。

 同じクラスの新巻さんの宿題を写させてもらったおかげで、僕の宿題も大いにはかどった。



 宿題に区切りをつけて洗濯物を取り込んだあとで、お昼にそうめんをでる。

 おかずは、ナスの揚げびたしと、鶏肉のカシューナッツ炒めだ。

 カシューナッツ炒めをピリ辛にしてあったからか、暑くてもみんな食が進んで、茹ですぎたかなと思ったそうめんを、ペロリとたいらげてくれた。



 お腹が一杯になったお昼過ぎの暑い時間帯は、玄関ホールにゴザを敷いて、そこでみんなで昼寝した。

 林を抜けてくる風が涼しくて、クーラーなんていらなかった。


 女子達がTシャツやタンクトップにショートパンツっていう、あられもない姿で寝ていて、寝相が悪くておへそを出すから、僕は何度も起きて、みんなのお腹にタオルケットを掛ける。



 昼寝から起きると、新巻さんは自室に戻って執筆にかかった。

 萌花ちゃんは、今度写真家仲間と開く共同写真展のための、写真の現像に入る。

 ライトが付いたヘルメットを被った宮野さんは、この館の調査で今から床下に潜るらしい。


 弩が一人暇そうにしていたから、

「弩、夕飯の買い物付き合うか?」

 僕が訊くと、

「はいっ!」

 って、目をキラキラさせて返事をした。

 リードを付けてもらって、これから散歩に行くって悟った子犬みたいに、尻尾しっぽをぶんぶん振る(注:振っているように見えただけ)。


「帽子忘れるなよ、日焼け止め塗った? 弩は日に焼けるとすぐに赤くなるから」

 僕の言葉に、弩は恥ずかしそうに首をすくめた。

「どうした?」

「いえ、先輩は、母みたいに私のこと知ってるし、気遣ってくれるなと思って」

 弩が照れながら言う。


「弩のお母さんの方が、僕より何千倍も何万倍も弩のこと知ってるし、気遣ってるよ」

 僕はそう答えたけど、弩に母みたいって言われて、正直嬉しかった。

 もう少しで弩を抱きしめてほっぺスリスリするところだった。


 母みたいって言われて喜ぶ男子高校生も、どうかとは思うけど。




「ただいま!」

 日が傾いて夕飯の支度が整った頃、まずヨハンナ先生が学校から帰ってきた。


「先にシャワー浴びますか? それとも、すぐにご飯にします?」

「塞君にする!」

 ヨハンナ先生が、目を爛々と輝かせて言う。

「あ、はい」

 先生のそんな言動にもれてきた。

 まだ上手い言葉で返せないけど、とりあえず、大人の女性にからかわれても、うろたえることはなくなった。


 保育園にひすいちゃんを迎えに行った北堂先生も、すぐに帰って来る。


 みんなで夕飯の食卓を囲んで、そのまま晩酌ばんしゃくをするヨハンナ先生におつまみを出した。

 先生の学校での愚痴ぐちを聞きながら、おしゃくをする。


 食事を終えても食堂でいつまでも話が途切れない女子達をうながして、お風呂に入ってもらった。


「あれ? 弩さんって大きくなったんじゃない?」

「いえ、先生には敵いません」

 お風呂場からキャッキャ聞こえる女子達の声に赤面しながら、僕は台所を片付ける。

 御厨から預かった漬物つけもののぬか床をかき混ぜて、明日の朝ごはんの下準備をした。


 一番最後に僕が風呂に入って、お湯を抜くついでに掃除して、風呂から上がる。


「先輩、今日も塗りませんか?」

 僕が風呂を出たら、廊下で弩が待っていた。

 まだ長い黒髪が完全に乾いてなくて、リンスのフルーティーな香りがする、おいしそうな弩。

 新巻さんの部屋には、もう、女子達が集まってるらしい。


「もちろん、塗りに行くよ」

 僕は答えた。

 自由な夏休みの夜、素敵な女子達に誘われて、断る奴がいるだろうか。

 僕は、冷蔵庫から麦茶ポットを出して、新巻さんの部屋にさんじる。


「先輩、ここどうぞ」

 萌花ちゃんにクッションを勧められて、女子達の輪に入った。

 テレビ画面の前に並んで座って、みんなで順番にゲームする。


 だけど、これだけ警戒されないっていうのも、どうなんだろう?


 みんな、タンクトップとかキャミソールとかですきがありすぎで、肩と肩が触れあうくらい近くにいるのに、僕のこと全然気にしてないみたいだった。

 弾みで腕とか脇腹とかに触っちゃっても、文句の一つも言わない。


 僕のこと、男として見てないんだろうか?

 弩やヨハンナ先生が言うみたいに、僕はお母さんなんだろうか?


 そんなことを考えながら弩と萌花ちゃんに挟まれてゲームをしてたら、

「あなた達、何してるの!」

 突然、ヨハンナ先生がドアを開けて入ってきた。

 ミントグリーンのキャミソールに、ショートパンツのヨハンナ先生が、ドアの向こうで仁王立ちしている。


「もう、私も入れてくれないと、ずるいじゃない!」

 先生はそう言って、僕の隣に割り込んで座った。


「先生、明日、研修あるって言ってませんでした?」

 僕が訊いても、先生は「いいからいいから」って、プロコントローラーを握る。

 先生はそのまま僕達と夜更かしした。


 翌日、ヨハンナ先生が寝坊して、二日目にしてラジオ体操が中止になったのは、言うまでもない。



 枝折、花園、別れて二日目だけど、元気にしてますか?


 お兄ちゃんは、こんな夏休みを過ごしています。

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