第249話 僕とヨハンナ先生の秘密

 映画は、僕とヨハンナ先生の食事シーンから始まった。


 マンションのダイニングで、僕とヨハンナ先生が向かい合って朝ごはんを食べている場面だ。

 ヨハンナ先生はハート柄のパジャマを着ていて、僕は純白のエプロンをしていた。

 僕が作った卵焼きを、ヨハンナ先生が「あ~ん」って、僕に食べさせてくれる、幸せな食卓がそこにある。



 現実と同じで、映画の中でも、ヨハンナ先生が僕の担任教師になったことで、二人は出会った。


 一人暮らしの僕が、スーパーで夕飯の食材を買い物していて、お弁当に半額シールが貼られるのを待っているヨハンナ先生に声を掛けて、それが、二人の交際に発展した。


 お弁当ばかりだと味気ないだろうと思って、僕が先生の家に夕飯を作りに行ったり、洗濯したり、先生のゴミ屋敷同然だった部屋を掃除したりするうちに、一緒にいるようになった(この辺は、フィクションとノンフィクションが混じっている)。


 両親を亡くしていた(という設定の)僕が、ヨハンナ先生のマンションで同棲するようになって、先生が、けじめをつけるんだっていって、籍を入れた。


 そうして、僕は高校に通いながら主夫になった。


 もちろん、結婚のことは、学校にも周囲にも内緒だ。

 結婚していることがバレないように、先生は学校では僕にわざと強く当たってきた。

 何かと口うるさかったし、怖い顔で僕をしかった。

 それで家に帰って、「ごめんね」って謝って、可愛く甘えた。




 朝食を終えて、先生がお化粧して身支度する間に、僕は食器を洗って、洗濯物を干す。


「それじゃあ、先に行くね。少し時間をずらして出てきなさい」

 スーツに着替えて、カッコイイ教師に変身したヨハンナ先生が、そう言ってウインクした。


 先生は玄関で僕に、「いってきます」のキスをする(カメラのアングルでキスしたように見えるだけで、本当はしていない)。


 そのシーンでは、観客から「おおおっ」って、地響きのような声が上がった。


 食堂の、後ろの壁際で見ていた僕に、男子の殺気に満ちた視線が突き刺さった。

 僕は、みんなからの鋭い視線でハリネズミみたいになってるかもしれない。

 今後、夜道を歩くときは気を付けないといけないと思う。



 それと同じくらい大きな歓声が上がったのは、セーラー服の北堂先生登場シーンだった。

 僕の幼なじみ「瑠璃子」役の北堂先生が、放課後、帰ろうとする僕の前に立ちふさがる場面だ。


「塞君、最近家に帰ってないみたいだけど、どうしたの?」

 腰に手をやって僕を問い詰める北堂先生は、どう見ても女子高生だし、姉御肌あねごはだの同級生って感じが、よく出ていた。


 ここで北堂先生に恋する男子、多数。


 女子からも、北堂先生に対して「カワイイ」って溜息が漏れた。


「お母さんが、いつでも夕飯食べに来なさいって言ってるし、うちにくればいいじゃない」

 瑠璃子が言う。

 北堂先生の「瑠璃子」の家と、僕の家は隣同士で、家族ぐるみの付き合いがあったっていう設定になっていた。


「ふーん、お母さんが言ってるんだ」

 って僕が返すと、

「べ、べつに、私だって一緒に夕飯食べていいと思ってるし」

 って、瑠璃子が慌てて言う。

 そういう、甘酸っぱいやり取りに、お客さんもきゅんきゅんしてるのが分かった。



 世話好きな幼なじみの瑠璃子は、家に帰らない僕の異変を探ろうとした。

 放課後、僕を尾行したり、何度も電話を掛けてくるようになる。


 そして、とうとう瑠璃子は、僕とヨハンナ先生との関係に疑問を持った。


 そこから、瑠璃子の尾行をまいたり、その目から逃れて二人で変装デートしたり、どったんばったん大騒ぎが始まって、僕が浴槽よくそうに叩き込まれたあのシーンに繋がった。


 そのシーンでは、観客のみんなが大笑いしてくれる。

 あのときは水をたくさん飲んだけど、みんなが笑ってくれて、ちょっとは苦労が報われた気がする。



 そして、その瑠璃子のことが好きな子森君の登場シーンには、女子達が歓声を上げた。


 元運動部のアスリート体型で、背が高い子森君は、スクリーンでえる。

 片思いの瑠璃子を遠目に見て心を痛める子森君に、恋する女子多数。


 主人公より確実にカッコいいんだから、女子達が騒ぐのも無理はないけど。



 外から冷静に僕達を見ていた子森君は、僕とヨハンナ先生の関係に気付いた。


 僕は、子森君に屋上に呼び出される。

「篠岡先輩は、ヨハンナ先生と瑠璃子、どっちが好きなんですか?」

 僕が子森君に訊かれて戸惑っていると、子森君が僕の胸ぐらを掴んだ。


 そのシーンは、ヨハンナ先生の結婚相手っていう、うらやましすぎる立場の僕がやられるわけで、溜飲りゅういんが下がる思いだったのか、男子達が頷いていた。


 そして、瑠璃子を想うあまり、子森君は僕と先生の秘密を、学校掲示板で暴露してしまう。


 もちろん、校内は大騒ぎになった。


 廊下や教室で噂話をする生徒のエキストラは、今ここにいるみんなにも頼んだから、「あ、私だ!」とか、「俺がいる」とか、声が飛んで、どっと笑いが起きる。


 しかし、そんな反応とは裏腹に、物語はシリアスな方向に進んだ。

 生徒と結婚していたという事実が問題になって、ヨハンナ先生が学校を謹慎きんしん処分になった。


 僕は、元いた家に戻されて、僕の保護者である叔母おばが、しばらく一緒に住むことになった。


 叔母の役は、萌花ちゃんの母親、つまり、河東先生が演じてくれた。

 フィクションだけど、僕と河東先生は一つ屋根の下で暮らした(河東先生がスクリーンに映ると、麻績村さん達バレー部員が緊張して、一斉に背筋を伸ばすのが面白い)。


 引き離されて、離ればなれになる僕とヨハンナ先生。

 僕が先生に電話してもメールしても、返事がなくて、スマートフォンでも連絡が取れなくなる。



 先生の謹慎中に登校した僕は、心無い生徒のひそひそ話や、好奇の視線に辟易へきえきとしていた。

 そんな僕に、先生が教師を辞めて、実家に帰るっていう話が聞こえてくる。


 今、先生が職員室に荷物を取りに来たところを見たっていう生徒が、それを僕に告げた(その生徒は錦織が演じた)。


 それでも、先生から連絡がないことにふてくされていた僕が、関係ないって感じで無視してると、

「馬鹿!」

 僕は瑠璃子役の北堂先生に思いっきりビンタされる。


 そのシーンで、真剣に見ていたみんながビクッとする。

 北堂先生の演技、大迫力だった。


 まあ、実際僕はほっぺが真っ赤になるくらいのビンタを浴びたんだけど。



「塞君! ヨハンナ先生を追いかけなさいよ!」

 瑠璃子が言う。

「先生は、あなたの大切な人なんでしょ!」

 そう言われて、やっと僕は走り出す。


「いつまでだらだらと先延ばしにしてるの! さっさと先生を幸せにしてあげなさい!」

 北堂先生が、僕の背中にそんなセリフを投げかけた。


 あれ、でも、こんなセリフあったっけ?


 たぶん、台本にはなかったし、撮影のとき、現場でもそんなセリフ、聞いたことがない。

 それに、セリフの意味が物語から少しずれているような気がする。


 あとから北堂先生のセリフを録音して、編集で弩がこのセリフを入れたんだろうか?


 そうだとしたら、なんで?


 ともかく、スクリーンの中の僕は、先生を探して職員室へ、既に先生の机から綺麗さっぱり荷物が運び去られているのを見ると、外に出て、駐車場を目指した。


 駐車場では、今まさに先生の車が走り出そうとしているところだった。


 僕は、車を追いかけて走る。


 僕を置き去りにして走り去ろうとする先生の車。

 足がもつれて、僕は水溜まりの中で転んだ。

 そこから、二人が抱き合うあのクライマックスシーンだ。


 抱き合う僕とヨハンナ先生を、もう茶化したりする観客はいなかった。

 みんな真剣に見入っていた。


「僕、どこまでも先生についていきます」

 スクリーンの中の僕はそう言った。

「私だって、もう絶対に君を放さないから」

 ヨハンナ先生が言う。


 僕は、ネクタイを外して、制服のジャケットを脱ぎ捨てて、先生の車に乗った。

 それは、僕がもう学校には帰らないことを暗示している。



 先生の車で、二人は、二人のことを誰も知らない土地を目指して走り出す。


 先生の青いフィアットパンダが、海岸沿いの道を走る雄大なシーンの空撮は、宮野さんが操作するドローンで撮った。



 車の中のやり取りで、新巻さんが用意した最後のセリフを、僕は気に入っている。


 車を運転するヨハンナ先生が、助手席の僕に、

「今夜、どうしようか?」

 そう訊いたのに答えて、

「どこであろうと、僕が主夫である限り、先生を汚れたシーツの上には寝かせません」

 そう答えるセリフだ。


 どんなときでも、妻となる人に清潔な寝床を用意する。

 仕事から帰る妻に、心地よいベッドを用意して迎える。


 それは、僕達主夫部の理想をうたったようなセリフだ。

 主夫部が作る映画の、最後を飾るにふさわしいセリフだった。


 僕のセリフに対して、ヨハンナ先生が、僕の頭をわしゃわしゃって撫でて、車が走り去っていく。


 そこから、エンドロールに繋がった。


 主演のヨハンナ先生の名前から、最後に、「監督 弩まゆみ」って出るまで、食堂を埋めたお客さんからの拍手が絶えない。


 僕とヨハンナ先生、北堂先生と子森君のメインキャストと、監督の弩がスクリーンの前に立って、拍手に応えた。

 カメラの萌花ちゃん、脚本の新巻さん、衣装の錦織、小道具の御厨、大道具の宮野さん、スタッフ全員も並んで、みんなでお辞儀をする。


 弩は鼻水を垂らして泣いていて、泣き顔を隠すために後ろを向いてしまった。


 今ここにいる観客は、半分身内みたいなものだけど、それを差し引いても僕達が作ったこの映画は好評だったと思う。


 たぶん、あとの回も、観客の入りを心配する必要は、ないと思う。

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