第235話 青春男子

「いってらっしゃい!」

 寄宿舎の玄関で、僕達主夫部は並んで妻達を送り出した。


「いってきます!」

 二人の先生と、教育実習の大学生、四人の寄宿生と、保育園のひすいちゃんが、玄関を出て行く。


 衣替ころもがえで、寄宿生は夏服のセーラー服を着ていた。

 僕がパリパリに仕上げた夏服の白が、朝日に眩しい。


 ヨハンナ先生とアンネリさんはすっかり仲直りして、今朝は、先生がアンネリさんのシャツの襟を直したり、アンネリさんが先生の髪をかしてあげたりしていた(普段、ヨハンナ先生の髪を梳かすのは僕の役目だから、ちょっとだけけた)。

 新巻さんは新作を書き上げて、肩の荷が下りた感じだし、寄宿舎は、土曜から日曜の朝まで続いたパーティーの後の虚脱きょだつ感もあって、ゆるい空気が流れている。



「こうやってみんなを送り出す瞬間が、たまらなく愛おしいですね」

 玄関で女子達の背中を見送りながら、子森君が言った。


「子森君、解ってきたじゃないか」

 僕は、子森君の肩を叩く。

 女子達は、林の獣道けものみちを歩いて学校に向かった。


 こうして毎日、彼女達を送り出すとき、その後ろ姿が愛おしく感じるのは、僕達、先輩の主夫部部員も、皆、同じだ。


 これから職場や学校で、世間の荒波にまれる彼女達の背中に、頑張れって、言ってあげたい。

 そこで戦う彼女達が愛しくてたまらない。

 そんな気持ちになる。

 彼女達が帰る場所を作って、そこを守りたい、そんな気持ちになる。


 まだ僕達は本当の主夫じゃないんだけど……



「それじゃあ、お茶、入れますね」

 御厨が言って、台所に向かった。


 妻達を送り出したあと、食堂でお茶を一杯飲んでから登校するのが、主夫部男子の日課になっている。


 一仕事終えて、主夫から普通の高校生に戻るための、クッションみたいな時間だ。



 御厨が用意した今日の紅茶は、ニルギリのレモンティーだった。


 僕達は、食堂のサンルームで同じテーブルに着いて、ボーンチャイナの艶やかな白のティーカップを傾ける。


 朝日の木漏れ日が、キラキラとお茶のオレンジ色の水面に反射した。

 食堂は、すっきりとしたレモンの香りに満たされる。

 世間的には忙しい月曜の朝でも、ここでは、小鳥のさえずりと若葉が擦れ合う音しか聞こえなかった。


 早起きして朝練をした僕達は、贅沢な時間を過ごす。



「僕、やっぱり、主夫部に入って良かったです」

 僕の対面に座った子森君が、あらたまって言った。

 言いながら、照れてはにかむ笑顔が爽やかだ。


「本当にやりたいことが見つかったっていうか、もっと早く、決断してれば良かったです」

 サッカー部だった子森君がここに移って、二ヶ月くらいになる。


「まだまだ、先輩達や、御厨には敵わないけど、早く結婚して、本当の主夫になりたいです」

 子森君が突然、青春ドラマみたいに真っ直ぐに心境を吐露とろするから、聞いているこっちまで、耳が赤くなってしまった。


「早く結婚って、相手はいるのか?」

 錦織が茶化すように言う。

 錦織も、ほっぺたにほんのりと赤みがさしていた。


「いえ、相手はいないですけど……」


「けど?」

 僕が訊く。

 なんか、ふくみがある言い方だった。


「まだ相手はいないんですけど、気になってる女子はいます。気になってるっていうか、はっきり言って、好きな女子はいます」

 子森君が下を向いて言う。


「おおお」

 僕と錦織と御厨、三人が野太いどよめきをあげた。

 今日の子森君は、なんだか大胆だ。


「誰だよ」

 子森君の隣に座る錦織が、ひじで突きながら訊いた。


「言っちゃえば?」

 御厨も加勢する。


「誰かは言えないけど、すごく、近くに居る人」

 子森君は、意味ありげに言って、勿体振もったいぶった。


「近くってことは、うちの学校の生徒?」

 僕が訊く。


「はい、まあ、そうです」

 子森君は、頭を掻きながら言った。


「もしかして、この寄宿舎の住人?」

 錦織が核心に迫る。


「それは、ノーコメントで」

 子森君は、最後のところで言葉を濁した。


 だけど、ノーコメントって言ったら、寄宿舎の住人って言ったも同然じゃないか。


 この学校の生徒で、寄宿舎の住人って言ったら、新巻さんと、萌花ちゃんと、宮野さんと、そして弩。


「で、寄宿生の誰なの?」

 御厨が突っ込む。


 子森君が想いを寄せる相手って、誰だろう?


 一つ年上で、バリバリ稼いでいる新巻さんの背中にあこがれてるんだろうか?

 それとも、大きなカメラや機材を持って、どこにでも突っ込んでいく、萌花ちゃんにれたのか?

 あるいは、一つ下でボクっ娘、建築家志望の宮野さん?


 まあ、でも、弩ってことはないだろう。


 弩は可愛いけど、ちんちくりんだし。

 大財閥の後継者だけど、ホワイトロリータをちらつかせると、お手とかするし。

 柔道の使い手なのに、ホラー映画が苦手で、夜トイレとか行けなくなっちゃうし。


 自分に相当才能があるのに、僕達のことすごいって、キラキラした目で見るし……



「そういう、みんなはどうなんですか?」

 今度は子森君が反撃してきた。


「僕は、もう、今すぐにでも結婚したい人がいますから」

 御厨が言った。

 御厨は顔を真っ赤にして縮こまっている。

 それはもちろん、縦走先輩のことだろう。


「そういえば、縦走先輩はどうしてるんだ?」

 僕は訊いた。

「実業団はきついって、先輩、弱音を吐いてましたよ。この寄宿舎に戻りたいとか、愚痴ぐちを言ってます」

 御厨が教えてくれる。

 二人は、頻繁ひんぱんに連絡を取り合っているらしい。


 それにしても、あの、縦走先輩をして弱音を吐くなんて、いったい、実業団はどんな練習をしてるんだ。


「寮の食堂のご飯が美味しくなくて、量も少ないんだそうです」

 御厨が言った。


 ああ、そっちか……


 縦走先輩らしい。



「俺の場合は、もう、手の届かないところに行っちゃったからな」

 錦織が遠い目をした。


 錦織が憧れていた古品さんの「Party Make」は、時々、テレビ番組で見るようになっている。

 ラジオでは「Party Make」の名前を冠した番組も始まった。

 この夏もフェスには引っ張りだこみたいだし、活動は順調だ。



「それで、篠岡先輩はどうなんですか?」

 子森君が僕に顔を近付けて訊いた。


「先輩は、誰か好きな人いるんですか? 結婚して、その人の元で主夫をしたいって人、いますか?」

 子森君がぐいぐい迫ってくる。


 突然、子森君に言われて、その時僕の脳裏のうりに、パッと一人の女性の顔が浮かんだ。

 浮かんだのは、あの人の笑顔だ。


 だけど、僕はそれを言わなかった。


「内緒」

 僕はそう言ってごまかす。


 不意を突かれて、その人のことが第一に浮かんだけど、僕自身、その人のことが本当に好きなのか、まだ分からなかった。

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