第234話 二人っきりの夜

「さあ、枝折と花園は、これから寄宿舎に行って、新巻さんのご苦労さん会に出るんだよ」

 僕は、二人の妹に言った。


 うちのリビングで、僕が連れてきたアンネリさんにじゃれていた花園と、それをうらやましそうに見ていた枝折。


 元々、今日開かれる新巻さんのご苦労さん会とアンネリさんの歓迎会には、枝折と花園も参加させるつもりだった。

 新巻さんを始め、寄宿舎のみんなも二人を誘ってくれたし、どうせ泊まり込みになるから、その方が僕も安心できるって連れて行くと決めていたのだ。


 時刻は午後三時を過ぎていて、夕方からの宴会には、そろそろ出掛ける時間だ。



「えっ、私達二人だけ? お兄ちゃんとアンネリさんは、どうするの?」

 アンネリさんに抱きついて胸に顔をうずめていた花園が、顔を上げた。


「アンネリさんが、どうしても寄宿舎に帰りたくないって言うから、うちに泊めるよ。お兄ちゃんは、アンネリさんのお世話をしないといけないから、ここに残る」


「んんっ? ってことは、お兄ちゃんとアンネリさんは、二人っきりで、ここで一晩過ごすの?」

 花園が眉を寄せた。


「そうだよ。二人っきりで、ここで一晩過ごす。アンネリさんが、ヨハンナ先生のところには帰りたくないっていうから、しょうがないよ」

 僕が言うと、アンネリさんが困った顔をする。


「お兄ちゃん、本気?」

 花園が、怖い顔で確認した。


「いいんだよ。花園、行こう」

 枝折が、花園に言う。


 枝折は無表情に見えるけど、口の端が一ミリくらい上がってるから、笑っていた。


 たぶん、枝折は、僕の作戦に気付いたんだろう。


 さっき、アンネリさんとヨハンナ先生の喧嘩については簡単に話したけど、それと今の会話で、僕が二人を仲直りさせる作戦を、枝折は理解したんだ。


 さすが、安楽椅子探偵、枝折。



「枝折ちゃん、どうして? お兄ちゃんとアンネリさんが、二人っきりで一晩過ごすんだよ。いいの?」

 花園が食い下がる。


「いいから、いいから」

 枝折が花園の手を引っ張って、着替えのために二階に上がった。

 花園の頭の上には、幾つものはてなが浮かんでいるんだろう。


 しばらくして、服を着替えた二人が二階から下りて来た。

 涼しげなワンピースでそろえた、可愛い姉妹だ。


 僕は、出掛ける二人にパーティー用に作ったオードブルを持たせた。



「それじゃあ、ヨハンナ先生にくれぐれもよろしく」

 僕が言うと、枝折は「分かった」って、澄まし顔で答えて、花園は首を傾げる。



 二人が玄関を出ると、僕とアンネリさんは、家の中で二人きりになった。


 二人っきりになったリビングで、僕がアンネリさんを見ると、アンネリさんはびくっとして、半歩くらい後ずさりする。


 なんか、警戒されていた。


「それじゃあ、僕達は夕飯の用意をしましょうか」

 僕が言うと、アンネリさんは安心したように肩の力を抜く。


「僕達って、私も手伝うの?」

「はい、手伝ってもらいます。アンネリさんは一人暮らししてるんだし、お料理のレパートリーが広がって丁度いいでしょ?」

 僕は、アンネリさんにエプロンを貸して、半ば強引に台所に立たせた。


 実は、こうしてアンネリさんに料理させるのも、アンネリさんとヨハンナ先生を仲直りさせる作戦の一つだ。



「ねえ、私達、本当に、今晩二人で過ごすの?」

 料理をしながら、アンネリさんが訊いた。


「はい、もちろん。アンネリさん、ヨハンナ先生にそう啖呵たんか切ったじゃないですか」

 寄宿舎で、アンネリさんははっきりとそう言った。


「それは、そうだけど……」


「それなら、ヨハンナ先生にあれは嘘でした、って謝って、寄宿舎の先生の部屋に戻りますか? お姉ちゃん、私が間違ってました、ごめんなさいって」


「それは、出来ないから!」

 アンネリさんが、向きになってほっぺたをふくらませる。


「それじゃあ、二人で夜を過ごすしかないじゃないですか」

「どうだけど……」

 アンネリさんが消えそうな声で言った。


「はい、ちゃんと手を動かしてください」

 僕は、アンネリさんに厳しく料理の指導をする。



 二人でキッチンに立って、二時間かけてテーブルに二人分の食事が揃った。

 今日のメニューは、


 豚カツの卵とじ

 サバの香草焼き

 ホタテとアスパラの炒め物

 レンコンのクリームサラダ

 エノキと卵のスープ

 手作り胡麻豆腐


「美味しそう!」

 アンネリさんが、黄色い声を出す。


 教えながらだったから時間がかかったけど、見た目も味も納得の夕飯が出来上がった。


「それじゃあ、食べましょうか?」

 アンネリさんが、エプロンを外して、椅子を引く。


「いえ、僕は食べませんよ」


「えっ?」


「僕は食べませんから」

 僕がアンネリさんにそう宣言したところで、外から、車の音が聞こえた。

 誰かがうちの庭の駐車スペースに、車を停めたみたいだ。

 この車のエンジン音には聞き覚えがある。


 その音で、誰が来たのかは、すぐに分かった。



「ちょっとアンネリ! 塞君! 二人で一晩過ごすって、どういうこと!」

 玄関のドアを蹴破るようにして現れたのは、もちろん、ヨハンナ先生だった。


「枝折ちゃんと花園ちゃんを追い出して、二人で一晩一緒に過ごすって、どういうつもり!」

 先生は玄関に靴を脱ぎ散らかして、家に上がる。

 玄関からリビングを通り抜けて、ダイニングに来た。


 枝折が、上手いこと先生をき付けてくれたらしい。


 ヨハンナ先生はダイニングテーブルの上をチラッと見た。


 そこには、湯気を放つ二人の夕飯が用意されている。


「二人で、幸せそうに食卓まで囲んで!」

 ヨハンナ先生が唾を飛ばした。


「先生、落ち着いてください。これを食べるのは僕じゃありません。僕はこれから、寄宿舎へ、新巻さんのご苦労さん会に行ってきます」

 僕が言う。


「えっ?」


「それじゃあ、このご飯、どうするの?」


「ヨハンナ先生とアンネリさんで、食べてください。そして、二人は今日ここに泊まってください」


「はぁ?」

 ヨハンナ先生とアンネリさん、二人が同時に裏返った声を出した。



 僕は、最初からアンネリさんと二人っきりで夜を過ごすつもりなんてなかった。


 枝折と花園を寄宿舎に行かせて、僕とアンネリさんがここに二人っきりになるって分かったら、ヨハンナ先生が何を置いてもすっ飛んでくるって、確信していたのだ。


 大切な妹のアンネリさんに危機が迫ってるって分かったら、ヨハンナ先生は居ても立っても居られないって分かってたから、わざと二人を行かせた。

 そうして、先生をここにおびき寄せた。


「この料理は、アンネリさんが作ったんですよ」

 僕は、ヨハンナ先生に言う。


「アンネリが?」


「はい。先生のために、アンネリさんが心を込めて作りました。だから、今日は二人で食卓を囲んでください」

 僕は、ちょっとだけ嘘をついた。

 でも、これは、ついていい嘘だと思う。


「だけど……」

 アンネリさんとヨハンナ先生、両方が不安そうな顔をした。

 喧嘩をしたばかりだし、二人だけでいるのが不安なんだろう。



「アンネリさん。アンネリさんは、ヨハンナ先生に話すことがあるんでしょ?」

 アンネリさんは、ヨハンナ先生に憧れて教職を志したことを、ちゃんと先生に伝えるべきだ。

 もちろん、僕目当てで教育実習に来たなんて嘘だってことも、しっかり説明して。


「ヨハンナ先生も、アンネリさんに言ってあげることがありますよね」

 ヨハンナ先生も、アンネリさんがよくやってることを、ちゃんとめてあげるべきだ。

 遠くから見詰めてるだけじゃなくて、言葉にして。



「いいですね」

 僕が言うと、ヨハンナ先生とアンネリさんさんは、お互い顔を見合わせて、「はい」って返事をした。

 担任教師と、教育実習に来ている教師の卵なのに、今は生徒の僕と立場が逆転している。



「それじゃあ、今晩は姉妹水入らずでごゆっくり」

 僕はそう言って家を出た。

 二人が僕の背中に何か声を掛けたみたいだったけど、僕は無視して寄宿舎へ急ぐ。



 さあ、僕は、寄宿舎の住人や主夫部のメンバー、そして二人の妹と、新巻さんのご苦労さん会を楽しもう。


 金色の髪の姉妹をうちに残して、二人のことは二人に任せよう。



 明日になれば、アンネリさんとヨハンナ先生、二人仲良く寄宿舎に戻ってきて、みんなでお昼ご飯を食べられるだろうから。

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