第233話 ピスタチオとフランボワーズ

「それで、どうしたんですか?」

 アンネリさんの涙が少し落ち着いたところで、僕は訊いた。

 僕と向かい合って座る、白い花柄のワンピースのアンネリさん。


「どうして、先生と喧嘩してたんですか?」

 僕は重ねて訊く。

 パステルブルーの可愛らしいケーキ屋さんで、僕とアンネリさんは向かい合って座っている。


 僕の質問に、アンネリさんはしゃくり上げていて答えなかった。


 ブルーのストライプの制服のウエイトレスさんが、すまなそうに注文を取りに来る。

 彼女からしてみれば、修羅場に踏み込んでしまった感じなんだろう。


 アンネリさんが選べそうもなかったから、僕が、店のおすすめだというピスタチオとフランボワーズのケーキと紅茶を、二人分頼んだ。


 さっきまで楽しそうに話していた店内の他のお客さんが、声を小さくしてヒソヒソ話していた。

 みんな、僕達のことを話してるのかもしれない。



「あのね」

 ケーキを待つ間、少し落ち着いたアンネリさんが口を開いた。


「私、教育実習に来たのは塞君に会うためだって、お姉ちゃんに言ったの」

 アンネリさんが、そんなことを言う。


 えっ? ちょっと待って。


「本当は教師になるつもりはないけど、塞君に会うためにわざわざこの学校を選んで教育実習に来たって言ったら、お姉ちゃんが怒って……」

 アンネリさんが言って、青い瞳から、また、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。


「他の先生方とか、生徒のみんなにお世話になってるのに、そんな理由で実習に来たなんて最低だって、怒られて……」

 アンネリさんが絞り出すように言った。


 それでさっき、ヨハンナ先生があんな大きな声を出したのか。

 生徒のことになると一生懸命になるヨハンナ先生だから、アンネリさんの言葉が許せなかったんだろう。


 そんないい加減な理由で教育実習に来たアンネリさんが、ヨハンナ先生には許せなかったんだ。


 アンネリさんが鼻をすすり上げる。

 授業やホームルームで見た快活かいかつなアンネリさんや、ラクロス部の練習に参加して、グラウンドを縦横無尽に走り回っていたアンネリさんとはまるで違って、目の前のアンネリさんは、弱々しくて今にも崩れてしまいそうだった。


「大丈夫ですか?」

 僕は訊く。

 アンネリさんは頷いて泣き続けた。


 まさか、僕のことで二人が喧嘩したなんて。

 アンネリさんは、確かに以前、僕の恋人に立候補するとか言ってたけど、それってもちろん冗談だと思ってた。


 後ろから、後頭部に突き刺さるような視線を感じる。


 怖くて振り向けないけど、このケーキ屋さんの中にいるお客さんや、ウエイトレスさんの僕に対するヘイト値が、確実に上がっているのが分かる(みんな僕達の話聞いてるのか!)。



「あの、僕目当てでうちの学校に教育実習で来たって、ホントですか?」

 僕は、周囲に聞こえないよう、声を落として訊いた。

 アンネリさんみたいな人が僕みたいなのに対して言ってくれるのは嬉しいけど、それは本当なのか?


 っていうか、そんな告白、突然されても、心の準備が出来てない。

 アンネリさんは美人だし、人気者だし、確かに、彼女になってくれるなら、これ以上ないくらい幸せだけど、僕に、アンネリさんの気持ちに応えられるかどうか……


「ホントに、そんな理由でうちの学校に来たんですか?」

 僕が訊く。


「ううん。嘘」

 アンネリさんが、あっさりと言った。


「ゴメンね」

「いえ」

 まあ、分かってたけど。


 僕のモテ期、一瞬で終わる。

 一瞬だけ、いい夢を見させてもらった。



「それじゃあ、なんでそんなこと言ったんですか?」

 僕は訊いた。


「だって……」

 アンネリさんはそこで一旦、鼻をかむ。


「私が、自己紹介のときに、お姉ちゃんに憧れて、それで教職を目指したって言ったのは、覚えてる?」


「はい、覚えてます」

 アンネリさんが初めて来た日、彼女はホームルームで確かにそう言っていた。


「それは、私の本心なの。それなのに、お姉ちゃんが、『なんであんなこと言ったの? 教育実習でこの学校に来た本当の目的はなに?』とか訊いてきたから、私、つい、カッとなって……」


「それで、あんなこと言ったんですか?」


「だって、私がお姉ちゃんに憧れてこの学校に教育実習に来たってこと、信じてくれないんだもん。私、本当にお姉ちゃんのことカッコイイって思ってるのに。家を出て一人暮らしをして、仕事して稼いで、本当にカッコイイって思ってる。お姉ちゃんみたいな、カッコイイ教師になりたいって本当に思う。それなのに、お姉ちゃん、全然信じてくれないから……」

 アンネリさんは、ヨハンナ先生のことを思い出したのか、口を微かに尖らせた。


「だから思わず、塞君のためにここに来たとか言っちゃったの。意地悪したくなったの。勝手に名前出してゴメンね」

 アンネリさんがそう言って、頭を下げる。


「なんだ」

 僕は、思わずぷっと吹き出して笑ってしまった。


 涙を流すアンネリさんの前で、僕は肩を震わせて笑う。


 泣いている女子の前で突然笑い出す僕は、他のお客さんやウエイトレスさんから見たら、サイコパスか悪魔に見えたかもしれない。


 このままだと、本当に通報されそうだ。


「なによもう!」

 アンネリさんも怒って、僕を睨んで抗議した。


「いえ、すみません。だけど、笑わずにはいられなくて」

 僕は笑い続けた。


「酷い! 真剣に話してるのに!」


「すみません。だけど、アンネリさんとヨハンナ先生、お互いが大好きなんだなと思って」


「えっ?」

 目に涙を溜めたアンネリさんが、きょとんとした顔をする。


「いえ、こっちの話です」

 僕は、なんとか笑いを引っ込めて言った。



 先日、校庭のアンネリさんを眺めていたヨハンナ先生のことが思い出される。


 教育実習に来て、僅か数日で生徒に溶け込んで人気者になったアンネリさんが羨ましいって言ってたヨハンナ先生。


 ヨハンナ先生はアンネリさんのことを認めて、羨ましいって思ってて、一方のアンネリさんは、ヨハンナ先生に憧れて教師になろうと思っている。


 この姉妹、さっき喧嘩したけど、お互い大好きじゃないか。

 お互いを認め合ってるじゃないか。


 美人姉妹で、お互いが大好きとか、最高か。


 まあ、兄妹でお互いが大好きなのは、僕と枝折と花園には敵わないだろうけど(僕調べ)。


「すみません。だけど、事情は分かりました」

 僕が言うと、アンネリさんは黙って下を向いてしまった。


 しばらく、沈黙が続く。



「お待たせしました」

 その沈黙は、ウエイトレスさんがケーキと紅茶を持ってきてくれるまで続いた。

 僕達は、黙ってケーキを頂く。


 ピスタチオのなめらかでコクがあるムースに、ブランボワーズの甘酸っぱいソースがぴったりと合って美味しかった。

 ソースの甘酸っぱいのが効いたのか、泣いていたアンネリさんの頬がピンクに染まって少し表情が緩む。



 僕は、アンネリさんとヨハンナ先生をなんとしても仲直りさせたくなった。

 お互いを認め合っていて大好きな二人が喧嘩してるなんて、このままじゃ絶対だめだ。

 泣き顔でちょっと自信をなくしてるアンネリさんも可愛いし、怒ってるヨハンナ先生も綺麗だけど、二人は、笑顔が一番素敵だし。


 もし僕が主夫になったら、妻にも、その家族にも、幸せでいて欲しいし。


「そうだ! アンネリさん、今から僕の家に行きましょう。今晩、うちに泊まってください」

 僕が言うと、お客さんの誰かがスプーンを床に落とした(だから、なんで話聞いてるんだ!)。


 僕は、二人を仲直りさせる、あるアイディアを思いついた。

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