第230話 スランプ

 文化部部室棟の片隅にある主夫夫部室は、久しぶりに緊張感に包まれていた。


 部室中央に置かれたテーブルには、部員全員が着いて、難しい顔をしている。

 テーブルの右側には錦織と御厨。

 左側には弩と子森君が座って、部長の僕は真ん中に座った。


 顧問のヨハンナ先生は、壁際のソファーに足を組んで座っている。


 緊迫した会議にふさわしく、今日の午後のおやつは、堅焼きせんべいと渋い緑茶だった。



「今日、緊急会議を招集したのは、他でもない、新巻さんについて話し合うためだ」

 一応、部長の座に納まっている僕が、議事を進める。


「みんなに話したとおり、新巻さんは今、小説の次回作の筆が止まって、スランプにおちいっている。それを仕上げられないでいる。編集者さんに掛け合って、締め切りは、どうにかあと五日ほど待ってもらえることになったから、その間に新巻さんが原稿を上げられるよう、僕達主夫部でサポートしたい」


 昨日、僕の家に泊まった新巻さんは、今朝、枝折と僕と三人で一緒に登校した。

 新巻さんは学校に着いて、まず寄宿舎に向かって、寄宿生、主夫部、みんなに頭を下げて、騒がせたことを謝った。


 新巻さんはそのあと普通に教室で授業も受けたけど、やっぱり、どこか元気がなかった。

 いつもなら僕が教室で何かやらかすと、半分ふざけてさげすんだ目で見たりするのに、今日はそんな視線もなかった。


 放課後、寄宿舎の自室に戻った新巻さんは、机に向かって執筆を始めたけど、筆は進んでないみたいだった。


 最新作での主人公の選択が読者に受け入れられるか、新巻さんは悩みに悩んでいる。



「僕達が将来、主夫となった場合、このケースのようにパートナーが仕事でスランプに陥る場面に遭遇そうぐうすることもあるだろう。パートナーが苦しむ姿に、気を揉むこともあるだろう。そのときのためにも、僕達は対処方法を学んでおく必要がある。だからこれは、新巻さんのためだけじゃなく、僕達のためでもある。ゆえに全力で当たってほしい」

 僕が言うと、部員のみんなが、深く頷いた。

 みんな、付き合いじゃなく、心から賛同してくれているのが、その真剣な表情から分かった。


 会議をまとめる母木先輩みたいな威厳は僕にはないけど、ちゃんと話を聞いてくれる部員には助けられる。


「それでは、新巻さんをスランプから立ち直らせるために、僕達は何をしたらいいだろう? 忌憚きたんなく意見を聞かせてもらいたい」


 僕が問うと、まず、御厨が手を挙げた。


「僕は、新巻さんに食べてもらう新しいスイーツを作りたいと思います。新巻さんが好きな枇杷びわがそろそろ出回りますし、それを使って、僕は今までになかったようなスイーツを作ります」

 御厨が言う。

 自信たっぷりな御厨の顔を見ていると、もう、新しいスイーツのプランは彼の頭の中で出来上がっているらしい。


「いいじゃないか」

 僕が言って、みんなが頷く。


「結局、僕にはこれしか出来ないですけど、スイーツで脳にも栄養を送ってもらって、執筆に励んでもらおうと思います」

 御厨のスイーツ作戦は直ちに承認された。


「それなら僕は、新巻さんに新しい服を作ろうと思う」

 御厨に負けじと錦織が言う。


「そろそろ暑くなってきたし、執筆の最中も涼しくて、書くことに集中出来るような部屋着を作って、彼女にプレゼントしたい。もちろん、機能性だけじゃなくて、デザインにもる」

 その提案は、実に錦織らしいと思った。


「新しい洋服って、気分転換も出来るし、それを着て新たな気持ちで執筆してもらえばって思う。新巻さんのサイズは分かってるし、徹夜して、明日中には仕上げるよ」

 錦織は、作業にかかるために、今すぐにでも部室を飛び出す勢いだ。


「そういうことなら、僕は新しい柔軟剤を作ろう」

 僕は言った。


「そう言うと思ったよ」

 錦織が言って、みんなが笑う。


 落ち込んでる気分が上がったり、やる気が出てくるようなアロマの効果を取り入れた柔軟剤を作って、新巻さんの服を洗おう。

 錦織が作ってくれた新しい服を、さっそくその柔軟剤で洗ってもいいかもしれない。


 結局僕も、そんなことしか出来ないんだけど。


「僕は、皆さんみたいに特技とかないですから、掃除とか、料理の手伝いとか、いつも以上に、しっかりとやります」

 子森君が言った。


「お手伝いに入りますから、なんでも言いつけてください」

 子森君はシャツのボタンを外して、腕まくりする。


「私も、手伝います! その間は、皆さんの負担を少なくするように、自分のことは自分でしますし、私にも、ご用を言いつけてください」

 弩も、子森君に負けじと言った。


 部長として、こんなにありがたいことはない。

 みんな、新巻さんのために一致団結している。

 去年の文化祭のときみたいに、主夫部が一つにまとまった。


 これなら、新巻さんも今度の苦難を乗り越えられそうな気がする。




「ちょっといいかな?」

 それまでずっと黙って僕達の会議を見守っていたヨハンナ先生が、そこで初めて口を開いた。


「御厨君が美味しいスイーツを作る。御厨君が洋服を作ってあげる。塞君が柔軟剤を作る。子森君が掃除する。弩さんが手伝う。でもこれって、あなた達がいつもやってることなんじゃないの?」

 先生が言う。


「えっ?」

 ヨハンナ先生に言われて、僕達はそれぞれがあらためて考えた。


「これって、普段のあなた達じゃない。いつもと変わらないよ。寄宿舎の私達は、普段からあなた達に、美味しいご飯やおやつを作ってもらってるし、服を作ってもらったり、直してもらったり。洗濯物をふわふわに良い香りで仕上げてもらったり。廊下や部屋を、ピカピカに掃除してもらったり。これって、いつものあなた達と、どこが違うの?」

 先生は、教室にいるときみたいな、ちょっと厳しい口調だった。


「それに、さっきから服とかスイーツとか言ってるけど、大切なことを忘れてない? そういうことじゃないと思うよ」

 先生が続ける。


「仕事でスランプに陥った女子がスイーツとか服とか、即物的なことで気持ちが変わるのは、一瞬のことでしかないんだよ。前の私がそうだったから分かるもの。洋服買ったり、外に美味しいもの食べに行っても、満足するのは一瞬だけ。一瞬だけ問題から目を逸らせるけど、それで問題は解決しない。あとで残った買い物袋の山を見て、なんでこんなに散財しちゃったんだろうって、逆に後悔して落ち込んだりするしね。値札が付いたままの服を押し入れに仕舞って、私、何してるんだろうって、自己嫌悪したり」

 先生の話を聞きながら、以前、先生が住んでいたマンションで、一回も袖を通したことのない服が、何枚も何枚も、押し入れの中に入っていたのを思い出した。


「新巻さんが求めてるのはそういうことじゃないんじゃないの? 新巻さんがスランプから立ち直る切っ掛けは、服とかスイーツでは、掴めないよ」

 ヨハンナ先生に言われて、僕達主夫部全員が、しゅんとしてしまった。


 先生が言うことが、一々、もっともだったから。


「少し前から思ってたの。あなた達はもう、家事の腕ならどこにお婿むこに出してもおかしくないくらい、上達してるよ。それは毎日そのお世話になってる私が保証する。だけど、あなた達は『主夫部』であって『家事部』ではないんだよ。その意味は分かる?」

 先生に言われて、僕達は考え込んでしまった。


「よく考えなさい」

 先生はそう言って、ソファーから立ち上がる。


「先生はこれから職員会議があるから、行くね」

 湯呑みに残っていたお茶を飲み干して、部室を出て行くヨハンナ先生。


「一応、ヒントをあげておくと、塞君、この前、私がアンネリのことでちょっと落ち込んでたとき、君は何してくれた?」


「えっ?」


「私はどうやって元気を取り戻したっけ?」


「ええと……」


 僕、先生になんて言ったっけ。

 僕は、記憶の糸を手繰たぐる。


「そのあたりに、答えがあるんじゃない」

 先生はそう言って部室のドアを閉めた。

 僕達部員だけを残す。


 新巻さんが本当に求めていることって、なんだろう?

 僕達は新巻さんに、何をしてあげればいいんだろう?

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