第229話 ガールズトーク

 電話で新巻さんが僕の家にいたことを告げると、ヨハンナ先生は、ほっと息を吐いた。

「あぁ、良かった」

 スマートフォンのスピーカーから、ヨハンナ先生の吐息が漏れてくるみたいに感じる。


「担当の能登のとさんには、私のほうから上手く言っておくよ。塞君のことだから大丈夫だと思うけど、新巻さんのこと、くれぐれもよろしくね」

 ヨハンナ先生が、そんなふうに言った。


 先生の電話の後ろで、街の雑踏が聞こえたから、今、先生は寄宿舎を出て、新巻さんを探しに外に出ているのかもしれない。

 車であちこち探し回っていたのかも。


 僕達のことは家に帰して、自分は一人で新巻さんを探す。

 ヨハンナ先生のそんな優しさに、胸が熱くなった。

 明日は、いつもより10分多く寝かせてあげて、夕食のときにはビールも一本、サービスするって決める。



 ヨハンナ先生にかけた電話を切って、僕は、花園と枝折の二人の妹を向いた。


 ピンクのワンピースに黒いスパッツの花園に、灰色のパーカーにキュロットパンツの枝折。


「それで、二階に新巻さんがいるんだね?」

 僕が訊くと、

「なんで分かったの?」

 って、花園が真顔で訊く。


 いや、分かりやすすぎるから……


 二階には誰もいないからって言って、僕の前に立ち塞がったら、二階に誰かいるとしか思えないし。

 今、うちに誰か来るとしたら、行方不明になってる新巻さんしかあり得ない。


 嘘が下手な花園は可愛いけど、これからの人生、苦労しそうで、ちょっと心配だ。


 花園の隣では、枝折が頭を抱えていた。


「新巻さんはどの部屋にいるの?」

 僕が訊くと、枝折が「私の部屋」って、渋々答える。


「それで、二人はお兄ちゃんに内緒で、新巻さんをこの家に泊めるつもりだったの?」

 僕の質問に、二人がコクリと頷いて答えた。


「ご飯とか、どうするつもりだったの?」


「私達の分を半分残して、あとで、持っていこうかと」

 花園が言う。


 そんな、親に黙って部屋で捨て犬を飼う子供じゃないんだから……

 お風呂とか、トイレとか、狭い家の中にいたら、僕と新巻さんは絶対にバッティングしてたし。


「お兄ちゃんが話してくるから、二人はリビングにいなさい」

 僕が言うと、二人は項垂うなだれてリビングに向かう。




 ノックしてドアを開けると、新巻さんは、二階の枝折の部屋で、クッションを敷いた床に正座していた。

 新巻さんは、寄宿舎を出たときの、白いシャツに紺のパンツのままだった。

 ハーフアップの髪を止めるリボンも紺色だ。

 新巻さんの、書類やノートパソコンが入ったトートバッグが、すぐ横に置いてあった。


 落ち着いていて大人っぽい新巻さんがこういう服装をすると、仕事が出来る社会人、って感じだ。


「勝手に上がり込んでごめんなさい」

 僕が声をかける前に、新巻さんが言った。


 細身でスクエアな形の眼鏡が下にずれていて、新巻さんは裸眼で僕を見上げる。


「迷惑かけてごめんなさい。でも、枝折ちゃんと花園ちゃんを怒らないで。私が無理にここに来たんだから。私の立ち回りそうなところは、全部、編集の能登さんに押さえられてるだろうし、ここなら知られてないかと思って、枝折ちゃんに連絡して押しかけたの。だから、妹さん達を叱らないで。私、出て行きます。私が原稿上げるの放棄したのが悪いんだし」

 新巻さんがそう言って、立ち上がった。


「出て行かなくていいよ」

 僕は新巻さんに座ってもらう。

 僕も、新巻さんの前に正座した。


「新巻さんは、出て行かなくていいし、僕は妹達を叱らない。むしろ、困っている新巻さんを助けて、家に招いた二人のことが兄として誇らしい。褒めてあげたい。抱きしめてほおずりしたいくらいだから」

 僕が言うと、新巻さんは微妙な顔をする。


 抱きしめて頬ずりしたい、のくだりは余計だったかもしれない。


「だから、もし良かったら今日はここに泊まっていって。ヨハンナ先生には、さっき電話しておいた。先生が能登さんに伝えてくれるみたいだから、そっちの心配もないよ」

 僕が言うと、新巻さんが、「ありがとう」って、頭を下げた。


 目がキラキラ濡れていて、新巻さんは涙ぐんでいる。

 新巻さんをこんなふうに追い詰めたのはなんなんだ。


「新巻さんらしくないけど、どうしたの?」

 僕が訊く。


 新巻さんは、鼻を啜って、少しのあいだ黙っていた。


 そして、少ししてから答える。

「兎鍋シリーズの次の巻で、主人公が重大な選択をすることになるんだけど、それを、読者のみんなが受け入れてくれるかどうか、心配だったの。私が書いたほうの選択で、みんなが納得してくれるか心配で、筆が止まっちゃったの。書けなくなっちゃったの。その選択が正しいのか、分からなくなっちゃったの」

 涙ぐんだ新巻さんが、そんなふうに心の中を吐露とろした。


 新巻さん(つまり森園リゥイチロウ)にはたくさんのファンがいるし、そのプレッシャーが重くのしかかってるんだろう。

 いつもはたから見ていて、一字一字絞り出すように書いている新巻さんだから、心労も相当なものなんだろう。


 そんな大切なことを僕に打ち明けてくれたのは嬉しいけど、僕は、どんな言葉をかけたらいいのか、それが見つからなかった。


 責任が重大すぎる。



 僕達が、言葉もなく正座で向かい合ってたら、


 ぐるる


 って、新巻さんのお腹が鳴った。


「とりあえず、すぐにご飯用意するから、一階に下りようか」

 僕が訊くと、新巻さんが恥ずかしそうに頷く。


 こういうときの顔は、普通に、同級生の女子なんだけど。




 一階に下りてリビングのドアを開けると、花園と枝折の二人が、僕と新巻さんに駆け寄ってきた。


「はい、花園ちゃん、花園ちゃんはお風呂入れて来て。枝折ちゃんは、新巻さんに貸す服を用意して。お出かけ着のままだと、新巻さん窮屈きゅうくつだからね」

 僕は二人に指示を出す。


「それじゃあ……」

「うん。新巻さんはうちに泊まっていくよ」

 僕が言うと、花園と枝折は抱き合って喜んだ。

 二人とも、ぴょんぴょん跳ねて無邪気に喜ぶ。


「それじゃあ、花園はお風呂掃除して、お湯を入れて来まーす!」

 花園が、風呂場にすっ飛んで行った。


「まだ着てない新品のスエットありますから、用意してきます!」

 枝折も、二階に駆け上がって行く。


 新巻さんが泊まるって決まったら急に元気になって、現金な二人だ。


「二人がこんなに素直なら、新巻さんがずっといてくれればいいのに」

 僕が言ったら、新巻さんがちょっとびっくりした顔をした。


「枝折も花園も新巻さんがいてくれて、嬉しくてたまらないんだよ。平気な顔をしてるけど、いつも兄妹三人で、二人も寂しい想いをしてると思うから」

 僕が言うと、新巻さんが「そうだね」って頷く。



 その日の夕食はにぎやかだった。

 僕達はあえて新巻さんの小説の話はせずに、学校や寄宿舎の話をして、盛り上がる。

 あこがれの新巻さんの前だと緊張して話せなかった枝折も、すっかり打ち解けて、普通に話せるようになった。

 花園は、「お姉ちゃんお姉ちゃん」って新巻さんにまとわり付いて、結局、お風呂も一緒に入る。


 眠る段になると、客間に布団を三つ敷いて、新巻さんと枝折、花園が、三人で川の字になって寝た。

 ガールズトークをするからと、僕は一緒に寝かせてもらえなかった(なぜだ!)。


 客間を仕切るふすまから、いつまでも弱い光が漏れていたから、三人は真夜中まで起きてたみたいだ。



 女子三人でどんな話をしていたのか、ちょっと気になる。

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