第228話 置き手紙

「はい、それじゃあ、何か質問はありますか?」

 教卓のアンネリさんが、教室を見渡して訊いた。

 スーツの上着を脱いで、シャツを腕まくりしたアンネリさんが、青いキラキラした瞳で僕達を見る。

 アンネリさんは、シャツのボタンを上から二番目まで開けていた。


「はい、付き合ってる人はいますか?」

 男子の一人が、手を挙げて訊く。


「付き合ってる人はいません。恋人募集中です」

 不躾ぶしつけな質問に、アンネリさんは笑顔で答えた。


「年下の男って、どう思いますか?」

 別の男子が訊く。

「カワイイと思います」


「初恋の相手は、誰ですか?」

「同じ幼稚園に通っていた『ゆう君』です」


「ファーストキスの相手は誰で、場所はどこですか?」

「ファーストキスの相手は、小学校のとき抱いて寝ていた縫いぐるみのクーちゃんで、場所はベッドの上です」


 アンネリさんは、男子から浴びせられる質問にすらすらと答えた。

 よどみなく答えて、笑顔も絶やさない。

 先生がしていた現代文の授業と全く関係ない質問にも、アンネリさんは怒ったりしなかった。


「一々、夢がある答えをくれるな」

「どれ一つとして、俺たちの夢を壊すような答えがないな」

「心に染みるな」

 クラスの男子達が、感心して、そんな言葉を漏らしている。

 中には、斜め上を向いて、涙を流さんばかりの奴もいた。


 そんな男達を、クラスの女子が、冷ややかな目で見ている。



「こら! 私の妹に手を出したら容赦ようしゃしないって言ってるでしょ! プライベートな質問もダメだよ」

 教室の後ろで、アンネリさんがする授業を見守っていたヨハンナ先生が言った。

 ヨハンナ先生がにらみをかせると、まだまだ手を挙げて質問しようとしていた男子が、それを引っ込める。


「はい、それじゃあ、質問もないということで、これで授業を終わります」

 アンネリさんが言ったタイミングで、授業が終わるチャイムが鳴った。

 アンネリさんは、授業の進め方も、時間配分も完璧だった。


 ヨハンナ先生は、喜んでいるような、困っているような、微妙な顔をしている。


 出来がいい妹を持った気持ちって、僕にも分かる。

 でも、ヨハンナ先生の場合、先生だって完璧なんだから(片付けが出来ない点と、お酒飲みすぎな以外)、僕と一緒にしたら怒られるかもしれないけど。





 その日の夕方、寄宿生の夕飯が終わって、僕達、主夫部の男子が帰ろうとしたら、玄関に来客があった。


「森園先生、いらっしゃいませんか?」

 寄宿舎を訪れたのは、森園先生、つまり、新巻さん担当編集者の、能登のとさんだった。

 デビュー当時からずっと新巻さんの担当だという、二十代後半の落ち着いた雰囲気の女性だ。


「あれ? 新巻さんは能登さんと一緒じゃないんですか?」

 玄関で、ヨハンナ先生が訊いた。

 何事かと、玄関には寄宿生と主夫部、全員が集まった。


 今日、新巻さんは、編集者さんと打ち合わせがあるから夕飯はいらないと言い残して出掛けた。

 だから、夕食の席にもいなかった。


 僕も、新巻さんはてっきり、能登さんといると思ってた。


「はい、それが、昨日先生から原稿を受け取って、それを叩き台に、今日、打ち合わせをする筈だったんですけど、原稿も送ってもらえずに、打ち合わせ直前になって、先生から、ごめんなさい、行けませんって、メールが来たので……」

 能登さんが、困り顔で言う。


「ご実家の方にもいないし、先生がよく使うホテルとか、行きそうなところは全部当たってみたんですけど、いなくて、ここにもいないだろうなとは思ったんですけど……」

 能登さんは念のため、ここにも確認に来たみたいだ。


 まさかとは思うけど、みんなで寄宿舎の中を探した。

 隅々まで、空き部屋も、開かずの間や地下通路も探したけど、新巻さんはいなかった。


 仕方なく、ヨハンナ先生がマスターキーを使って新巻さんの部屋、211号室のドアを開ける。


 カーテンやシーツ、ソファーをエメラルドグリーンで統一してさっぱりとした新巻さんの部屋は、整理整頓されていた。

 作家にしては部屋の中に本が少ないのは、隣の212号室を図書室にしていて、ほとんどの本をそっちに片付けたからだ。


「あっ! これ」

 弩が、置き手紙に気付いた。

 窓際に置いた文机に、書き置きが残されている。



 ごめんなさい。


 小説の最後が、どうしても書けません。


 こんなふうに逃げてごめんなさい。


 私のことは、心配しないでください。

 おかしなことは考えていません。


 能登さんに申し訳ないと伝えてください。


                    ないる


 緑色の罫線が入った便箋に、新巻さんの柔らかい字で、そう書いてあった。



「前にも一回、こういうことがあったんです」

 能登さんが言う。


「森園先生は基本的に原稿を落とさないんですけど、こんなふうにどうしても書けないときがあって、その時は、一切の連絡を絶って、ビジネスホテルにこももって原稿を書いてました。だから、今回も、またどこかに籠もってるのかもしれないですけど……」

 能登さんは、便箋を持ち上げて、それに何度も目を走らせた。


「原稿は、急ぐんですか?」

 ヨハンナ先生が訊く。


「はい、早ければ早いほうがいいんですけど、でも、締め切りには余裕がありますし、四日、いえ、ぎりぎり五日くらい遅れても大丈夫です」

 能登さんが伏し目がちに言った。


 能登さんの言い方からすると、本当はもう、まずいのかもしれない。

 能登さんが立ち回って、どうにか時間を作ろうとしてるのが、言葉の端から分かった。


「お騒がせして、すみませんでした。他も当たってみます」

 能登さんはそう言って帰って行く。

 僕達は、メールやLINEのグループで新巻さんに呼びかけることを、能登さんに約束した。




「どうしますか? 僕達も新巻さんを探しますか?」

 能登さんが帰ったあとで、僕はヨハンナ先生に訊く。


「新巻さんのことだもの、大丈夫でしょう」

 ヨハンナ先生が言った。


「能登さんが言ってたみたいに、どこかのホテルにでも泊まってるんだよ。一人になって色々考えたいこともあるだろうし。だから、新巻さんを信じましょう」


 ヨハンナ先生は、きっと、僕達のことも考えてそう言ったのかもしれない。

 探すとなれば、夜遅くに出歩くことになるし、逆に僕達が危険な目にあったら困るって、心配してるに違いなかった。


「まあ、明日学校に来なかったら、全力で探すけどね」

 ヨハンナ先生が、そんなふうに言う。


 僕達主夫部の男子は、後ろ髪を引かれながら、寄宿舎をあとにした。




 家に帰りながら、僕は考える。

 このことは、枝折に伝えるべきだろうか?


 森園リゥイチロウの、大ファンの枝折のこと。


 枝折に伝えたら、枝折は、森園先生つまり新巻さんを、一晩中探し回るかもしれない。

 心配して、夜も眠れないかもしれない。


 これはやっぱり、伝えないほうがいいだろう。

 枝折にはこのことは黙っておこう。

 嘘つくみたいで、ちょっと心苦しいけど。


 なんなら、夜中に僕一人、枝折や花園が寝たあとで、家を抜け出して探しに行ったっていい。




 家に帰って玄関のドアを開けると、玄関で花園が僕の前に立ち塞がった。

 部屋着のピンクのスエットで、両手を伸ばして僕をさえぎる花園。


「お兄ちゃん、二階には誰もいないから! ホントにホントに、誰もいないんだから!」

 出し抜けに、花園が言った。


「もう! 花園ったら!」

 リビングから飛び出してきた枝折が、大きな声を出して花園をにらむ。


 なるほど……


 どうやら我が家の二階に、新巻さんがいるみたいだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る