第222話 実家

 山々が囲むわずかな平地に、近代的な鉄筋コンクリートの建物が建っていた。


 三階建ての白い建物で、一階がピロティの吹き放ちになっているから、巨大な豆腐が森の中に浮かんでいるように見える。


 これが、弩の実家の母屋だった。



 車寄せで、初老の執事さんと、メイドさん五人が僕達を迎えてくれる。


 執事さんはパリッとしたスーツを着ていて、メイドさんは、紺のエプロンドレスで頭にホワイトブリムをつけていた(こんなテンプレみたいなメイドさん、いるんだ)。


「お帰りなさいませ、お嬢様」

 メイドさん達が、弩に向かって頭を下げると、

「ただいま戻りました」

 って、弩がすまし顔で言った。


 当たり前だけど、やっぱり、弩ってお嬢様なんだ。


 普段、弩のホワイトロリータを隠したり、コタツでうたた寝してる間に髪を三つ編みにしたりして悪戯するけど、そんなことしたらまずいような気がしてきた。



 僕達はエレベーターで三階まで上がって、執事さんに案内されて、長い廊下を歩く。


 廊下の真っ白な壁には、風景画や抽象画、年代の古い絵から現代アートまで、様々な絵画が掛けてあった。

 所々にソファーやベンチも置いてあって、ギャラリーみたいだ。



「普段ここには、弩の家族は誰もいないの?」

 廊下を歩きながら僕は弩に訊いた。

 弩の両親は仕事で飛び回ってるし、弩は寄宿舎にいる。


「はい。母も父も、一年のうち、ここに滞在するのは一週間あるかないかです」

 弩が当然のように答えた。

 それなのに、警備も含めて、これだけの人員を配置しているのか。

 廊下は、埃一つ落ちてないってくらいに掃除が行き届いてるし。


「父や母が突然帰ってきたり、海外のお客様をお迎えしたりするので」

 なるほど、そういうことか。

 ここは、弩家にとって、VIPを迎える、迎賓館げいひんかんのような役割もしてるらしい。



「お客様は、こちらのお部屋をお使いください」

 長い廊下の先で、執事さんがゲストルームに案内してくれた。

 僕達には、一人に一部屋ずつ用意される。

 どの部屋も、大きな窓から広いテラスに続いていた。

 ダークブラウンのモダンな家具で揃えた部屋は、ホテルの高級スイートって感じだ。


「この部屋の面積だけで、うちの床面積くらいあるよ」

 花園が言って、キングサイズのベッドにダイビングした。


 花園、恥ずかしいから、やめなさい。



「それでは、すぐに夕食にいたしますので、それまでごゆっくと、おくつろぎください」

 執事さんは、そう言って、部屋を出て行った。


「それじゃあ、一度、荷物置いてこようか」

 ヨハンナ先生が言って、みんな、それぞれの部屋に散る。


「弩、僕達のことはいいから、親しい執事さんとか、メイドさんと話してくれば? 久しぶりに会って積もる話もあるだろ?」

 僕は、弩に声を掛けた。


「いえ、今ここにいる皆さんは、初めて会う方達ばかりですから、特には……」

 弩が言う。


「ふうん、そうなんだ」

 意外だった。

 初老の執事さんだから、ずっとここに勤めてて、小さな頃から弩の世話をしたとか、そういうことだと思ってた。


「はい、以前、ここに長く勤めていた方が買収されて、私の登下校時間とルートを漏らして、私が誘拐されそうになったことがあったので、それ以来、執事さんやメイドさんは、半年ごとに刷新さっしんするのだそうです。だから、今おられる方は存じ上げません」

 弩が、少し寂しそうに言う。


「そうなんだ……」

 誘拐されそうになったとか、簡単に言うけど、弩も色々と大変なんだな。


 弩が、ゴールデンウィークも夏休みも冬休みも、ここに帰らなかった理由が、分かった気がした。




 夕食の支度が整ったとメイドさんが呼びに来て、僕達は二階の食堂に向かう。


 食堂は、建物の角にあって、二面の壁がガラス張りになっていた。

 ガラスの向こうに、広い芝生の庭が見える。


 端と端では会話出来ないんじゃないかっていうくらい長いテーブルに、僕達は固まって四人で座った。

 弩とヨハンナ先生が並んで座って、その対面に僕と花園が座る。


 真っ白なテーブルクロスの上に、お皿と、ナイフとフォーク、グラスが、たくさん並んでいた。


 想像はしてたけど、やっぱりこんなふうに格式張ったディナーになるのか。

 テーブルマナーとか、ちょっと緊張する。


 ソムリエの男性が来て、ヨハンナ先生に分厚いワインのリストを渡した。

「分からないので、辛口の白ワインでお願いします」

 先生がチャーミングな笑顔で言うと、ソムリエの男性がお勧めを持ってきた。


 前菜の、ホタルイカと菜の花のマリネからディナーが始まる。

 スープは、新玉葱のスープ、白トリュフの香り添え。

 魚料理は真鯛とホタテのポワレ。

 肉料理は黒毛和牛のローストだ。


 僕と花園は、前に座る先生や弩の真似をしながら、なんとか、とどこおりなく食事を済ませた。


 せっかくの料理なのに、あんまり、食べた気はしなかったけど。


「先生、少し、ひかえたほうが……」

 さっきからヨハンナ先生がワインをガブ飲みしてるから注意した。


「だって、いつもの安物じゃなくて美味しいんだもの」

 ワイングラスを手に、先生は上機嫌だ。


 結局、先生は食事中にボトル二本を開けたけど、あれ、一本いくらするワインだったんだろう?


「ねえ、ゆみゆみのお部屋見せて」

 デザートの苺のソルベを食べながら、花園が言った。

「うん、いいけど」

 弩が頷く。



 夕飯のあと、みんなで弩の部屋にお邪魔した。


 弩の部屋は、三階東南に面した角部屋だっった。

 僕達のゲストルームも十分広かったのに、それを二部屋繋げたくらいの広さがある。


 白とピンクで統一された部屋の真ん中には、天蓋てんがい付きのベッドがあって、レースのカーテンが下がっていた。


「実生活で天蓋付きのベッドって初めて見たよ」

 ヨハンナ先生が言う。

「お姫様みたい」

 花園も、目を輝かせていた。


 ベッドの左には白い革のソファーセットがあって、その前に100インチくらいのテレビがある。

 その反対には、勉強机と、デスクトップパソコンが乗った別の机があった。

 ゲーマーだった弩らしく、1500Wの電源を積んだ、グラボ三枚差しの超高性能パソコンだ。


 右手側の奥がウォークインクローゼットになっていて、そこだけで僕の部屋の二倍はあった。


「私、ゆみゆみの家の子になろうかなぁ」

 クローゼットの洋服に目を輝かせて、花園が言う。

 そんなに簡単に、お兄ちゃんを裏切るんじゃない。


「そうだ、お兄ちゃん、ゆみゆみと結婚しちゃいなよ。そうすれば、私、ゆみゆみの妹になれるし」

 なんだその安易な解決方法は!


 大体、弩が僕なんかと結婚するわけが……


 って、弩、花園のこと、なでなでしてるし。




 僕達がそんなふうに弩の部屋でだべっていたら、ヨハンナ先生が、うとうとし始めた。

 先生は、ソファーの上で幸せそうな顔をしている(ちょっとお酒臭いけど)。


「それじゃあ、今日はもう寝ようか?」

 先生、僕達のために長時間運転してくれたり、森の中で迷ったり、ワインをたくさん飲んだりして、疲れているのかもしれない。


「そうだね、明日、いっぱい遊ぼう」

 花園が言って、僕達はそれぞれの部屋に別れた。





 風呂に入って、落ち着いて一人になると、なんだか、部屋が広すぎて眠れなかった。


 大きな窓から見える外の風景は、月と、黒々とした森だけで、他には何もない。


 林の中にある寄宿舎も静かだけど、ここの静けさはそれを超えていた。

 この地上に、僕以外の人間がいなくなったんじゃないかって思うくらいの静けさだ。



 森を見ながら、そんなふうに物思いにふけっていたら、ドアがノックされた。


「はい」

 僕が答えてドアを開けると、廊下に、パジャマ姿の花園が立っている。


「どうした、花園?」

 僕が訊くと、花園が部屋に入ってきた。


「うん、部屋が広すぎて、なんか、眠れなくて……」

 花園が、上目遣いで言う。

 花園は、その手に枕を抱えていた。


「お兄ちゃんと一緒に寝たいっていうこと?」

 僕が訊くと、花園はコクりと頷く。


「ヨハンナ先生とか、弩のところに行けばよかったのに」

「だって、そしたら子供っぽいって思われるし」

 花園が顔を赤らめた。

 花園も、子供っぽいとか気にするようになったんだ。


「分かった。一緒に寝よう」

 僕が言うと、花園は嬉しそうに頷いた。

 花園が枕を置いて、二人でベッドに横になる。

 キングサイズのベッドだから、二人で寝てもまだまだ余裕があった。

「枝折ちゃんも、来ればよかったのにね」

 花園が言う。


 そういえば、枝折は、今、どうしてるんだろう?

 「超常現象同好会」の合宿でフィールドワークってことだけど、ちゃんと、布団のあるところで眠れているんだろうか。


 あの拝さんと一緒なら、大丈夫だとは思うけど、ちょっと心配だ。




 兄妹二人で枕を並べて寝ていたら、また、ドアがノックされた。


「はい」

 ドアを開けると、廊下に、キャミソール姿のヨハンナ先生が立っている。


「先生、どうしたんですか?」

 キャミソールの先生は見慣れてるけど、先生はワインで少し紅潮してるし、ドキッとした。


「なんかさ、部屋が広くて眠れなくって」

 先生が、頭を掻きながら言う。


「先生も来たんだ!」

 ベッドの上の花園が、ひょこっと起き上がった。


「なんだ、花園ちゃん、いたの」

 先生がそう言ったあとで、チッて、舌打ちするような音が聞こえる。


「ねえ、落ち着かないなら、先生もお兄ちゃんの部屋で一緒に寝ようよ」

 花園が言った。


「そう? それなら、お邪魔しようかな」

 後ろに枕を隠していて、ここで寝る気満々だったヨハンナ先生が、ベッドに飛び込む。


「でも、あれだよ。二人は先生と生徒なんだから、真ん中に花園が寝て、壁になるよ」

 花園は、自分の枕をベッドの真ん中に置いた。

「花園は巨人でも破れない強固な壁だからね」

 花園が言う。


「大丈夫だよ花園ちゃん、先生は、妹さんの前でお兄ちゃんを襲ったりしないから」

 先生が笑いながら言った。


 え、じゃあ、花園がいなかったら、僕は襲われていたのか。


「お兄ちゃんも、先生を襲ったらダメだよ」

 花園が言った。


 花園は、両手に僕とヨハンナ先生で、なんだかすごく嬉しそうだ。




 三人で川の字になって、花園が寝息を立て始めた頃、また、ドアがノックされた。


「はい」

 三度みたび、答えて僕がドアを開けると、廊下に、白いネグリジェ姿の弩が立っている。


「弩、どうした?」


「あのあの、部屋が広くて、眠れなくて」

 小さい弩が、さらに小さくなって言った。


「ゆみゆみも来た!」

 眠りかけていた花園が起きて、先生もベッドの上で弩に手を振る。


「あれ、二人も来てたんですか?」

 弩が、そう言って笑った。


「部屋が広くて眠れないって、ここ、弩の家じゃないか」

 僕が言うと、「そうなんですけど」って弩がほっぺたを赤くする。


「今の生活に慣れて、寄宿舎が弩さんにとって一番落ち着ける場所になったってことなんじゃない? 私達のこと、家族みたいに思ってくれてるってことでしょ? いいよ、弩さんも来なさい。今日は四人で寝よう」

 ヨハンナ先生がベッドから下りて、弩の手を引いた。

 弩を自分の横に寝かせる。


 僕達は、広い広いお屋敷の中で、一つのベッドに固まって、四人で寝た。

 キングサイズのベッドだけど、さすがに四人で寝ると狭い。

 だけど、三人の寝息を聞いていたら本当に安心できて、僕もすぐに眠りに落ちた。



 みんな寝相が悪くて、朝起きたら僕の両隣にヨハンナ先生と弩が寝ていたのは内緒だ。

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