第220話 お出かけ

「お兄ちゃん、ゴールデンウィークだし、花園かえんをどこかに連れて行け!」


 休日の昼下がり、家のソファーで久々に惰眠だみんをむさぼっていら、後ろから花園が僕に馬乗りになった。

 花園はうつ伏せに寝る僕の首に手を回して、キャメルクラッチを決める。


 去年はみぞおちに膝を入れてきたけど、今年は技で来たか。


 花園はパフスリーブの白いブラウスに、サスペンダーで釣ったオレンジのキュロットパンツで、黒いニーソックスを穿いている。


 甘いキャメルクラッチだから、全然痛くなくて、背中が伸びて気持ちいいくらいだ。


「ほら、花園をどこかに連れて行くのです。それはお兄ちゃんのつとめだぞ」

 花園はキャメルクラッチしたまま言った。

 僕がニーソの足をタップするのに、許してくれない。



 姉の枝折がいないせいで、朝から花園は余計に僕に突っかかってきた。

 枝折は、超常現象同好会の合宿で、おがみさん達と、どこかのダム湖に沈んだ村の調査に行ってしまった。

 ゴールデンウィークにフィールドワークなんて、ブラック部活かと思ったけど、枝折は嬉しそうに、口の端を二ミリくらい上げて、いさんで出掛けた。

 なにか、変なことに巻き込まれないといいけど……



「だけど花園ちゃん、花園ちゃんはもしかして、受験生なのでわ」

 花園は今年、中学三年生だ。


「そういうお兄ちゃんだって、受験生なのでわわ」

 花園が言い返してくる。


「お兄ちゃんはいいんだよ。受験生である前に、主夫なんだし」


「なにそれ、カッコいい」

 枝折がそう言って、手を放した。

 いきなり放されたから、僕はソファーに鼻をぶつける。

 ゴメンゴメンと僕に馬乗りになったまま、花園が謝った。


 ゴールデンウィークに、僕達兄妹は、こんなたわいない、そして、幸せな遣り取りを続けている。



「そういえば、花園ちゃん、花園ちゃんは、進路どうするの?」

 僕が訊くと、

「そういう、細けぇこたぁ、いいんだよ」

 花園は茶化して誤魔化した。


 細かいっていうか、それは人生において、基盤みたいなところだと思うけど。


「たぶん、高校に行くと思うけど、まだ分かんないな」

 花園が、素の声に戻って言う。


「花園の前には可能性が広がりすぎてて、何を選んだらいいのか、まだ分からないよ」

 そう言って溜息を吐く花園。

 花園の溜息が、僕のうなじの辺りに当たった。

 くすぐったくって、震える。


「それに、花園の周りは、すごい人ばっかで困っちゃうよ」

 花園の顔が少し曇った。


 ぽつりと言ったその一言が、花園の本音なのかもしれない。


 一つ上の枝折は、最年少で公認会計士試験受かっちゃうし、アイドルとして成功しつつある古品さんや、写真家の萌花ちゃん、小説家として成功している新巻さん。

 ヨハンナ先生や弩、縦走先輩に鬼胡桃会長。


 そして、護衛艦「あかぎ」の艦長をしている母。


 花園は、魅力的な女性をたくさん見ている。

 そんな中で育っている。

 花園はいつも明るいから、そんなこと気にしてるふうに見えないけど、やっぱり、どこかプレッシャーになってるのかもしれない。


 僕からしてみれば、花園だって、十分、魅力的な女性なんだけど。



「でも、花園はいざとなったらお兄ちゃんのお嫁さんになるからいいよ」

 花園はそう言って破顔した。

 曇った表情を顔から追い出す。


「花園ちゃん、残念ながら、進路として『お兄ちゃんのお嫁さん』が許されるのは、小学校三年生までだ」

 僕は言った。


「マジか……妹は、小三で人生を決めなきゃいけないのかよ!」

 花園がそう言って天を仰いだ。


 いや、そういう意味じゃなくて……




「それじゃあ、あそこに行くか」

 僕が言うと、

「うーん、あそこかぁ……」

 って、花園が目をつぶってうなる。


 「あそこ」って言っただけで、花園には通じた。

 「あそこ」とはもちろん、寄宿舎のことだ。


 寄宿舎には今、ヨハンナ先生と弩が残っている。

 二人も、寄宿舎で僕達みたいにのんびりと過ごしてるはずだ。


 ヨハンナ先生と弩以外の寄宿生で、萌花ちゃんは連休の間、家に帰って河東先生と過ごしている。

 宮野さんも入学以来、久しぶりに実家に帰って、家族水入らずの生活を送るらしい。

 新巻さんは新作の執筆が遅れていて、ゴールデンウィークのあいだ、出版社の人にホテルに缶詰にされるって言ってた。

 北堂先生は、ひすいちゃんをおじいちゃんとおばあちゃんに見せるために、田舎に帰った。



 一方で、主夫部のほうは、御厨はいつも通り、母親でモデルの天方リタと一緒にバカンスに出掛けた。

 子森君も家族旅行だ。

 錦織は、古品さんから招待を受けて、久しぶりに「Party Make」のフェスに同行している。


「まあ、寄宿舎で我慢してやるか。ゆみゆみと遊ぶの楽しいし、ヨハンナ先生と一緒に寝れるし。また、みんなでバーベキューしたら楽しそうだし」

 花園が言う。


 去年のゴールデンウィークはそんなふうに過ごしたっけ。

 僕は、あのとき初めて寄宿舎に泊まったのを思い出す。



「それじゃあ、花園ちゃんはお泊まりセットを用意して」

「はーい」

 僕に馬乗りになっていた花園が、ようやく立ち上がる。

 足取り軽く、二階に上がっていった。


 僕も、顔を洗って着替えよう。

 そう思って起き上がったら、外で車のエンジン音がして、玄関脇の駐車場に車が入って来た。


 リビングの窓から見ると、車はヨハンナ先生のフィアット・パンダだ。


 二階から、花園が駆け下りてきた。

 花園はそのまま、玄関のドアを開ける。


「お兄ちゃん! ヨハンナ先生と、ゆみゆみもいるよ!」

 花園が興奮した声で言った。


 僕達が寄宿舎に行く前に、二人の方から来た。



 玄関のヨハンナ先生と弩は、余所行きの恰好をしている。

 白いタイトスカートを穿いて、上は黒のインナーに、ライトグレーのカーディガンのヨハンナ先生と、水色のワンピースにカンカン帽を被った弩。


 結局、二人はうちに泊まりに来たのか。

 それだったら、わざわざそんなお出かけ着で来なくてもいいのに。


「ゆみゆみ久しぶりー」

 花園がそう言って、玄関で弩の頭をなでなでする。

 こら花園、弩の方がお姉さんなんだから、止めなさい。


「先生も、会いたかったよー」

 花園はそう言ってヨハンナ先生の胸に飛び込んだ(ちょっと羨ましい)。

 先生は、よしよしって、花園を抱きしめる。


「さあ、それじゃあ、二人とも出掛けるよ。準備して」

 ヨハンナ先生が言った。

「えっ?」

 驚いて花園が先生の顔を見上げる。


「せっかくのゴールデンウィークだし、これから四人でお出かけしましょう」

 先生が言って、弩が頷いた。


「お出かけ? やったー!」

 花園が無邪気に喜ぶ。


「どこに行くんですか?」

 僕は訊いた。

 お昼過ぎの中途半端な時間だし、ゴールデンウィークで、今からだと、どこも込んでて大変そうだけど……


「うん、いいところ行こう」

 先生はそう言って、弩と「ねっ」って目を合わせた。

 なんか、二人とも勿体もったいっている。


「これから、弩さんの家に行くよ」

 先生が言った。


「えっ? 弩の家?」

 僕は裏返った声で訊き返す。


「はい。いつも先輩のおうちにお世話になってばかりなので、たまにはおもてなししたいのです」

 弩が言った。


「父がお連れしなさいって言っているので、どうぞ遠慮なさらずに、うちに来てください」

 弩が、嬉しそうに言う。


「やったー! ゆみゆみの家だ!」

 花園が二階に駆け上がって行った。


「さあ、塞君も、着替えて来なさい」

 ヨハンナ先生が言う。


「分かりました」


 弩の家ってどんなところなんだろう?

 日本を代表するような財閥の家って、想像がつかない。


 それに、弩のお父さんって……


 一体、どんな人なんだろう?

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