第219話 怪異

 黒い作務衣を着たおがみさんが、弩の部屋のドアを開けた。

 拝さんは頭に鉢巻を締めて、右手には出刃包丁、左手になたを構えている。

 拝さんの後ろには、サポートするように笛木君が続いた。


 寄宿生と主夫部は、廊下でそれを見守っている。


「床下に降りる入り口はどこ?」

 ドアのところで拝さんが訊く。


「部屋に入ってすぐの右手の床に、扉があります。ラグをめくってください」

 弩が答えた。


「OK、解った」

 拝さんと笛木君が部屋に入る。

 枝折も後に続こうとするから、僕が止めた。


「枝折ちゃんは、お兄ちゃん達と一緒に待ってたほうがいいんじゃないかな」

 僕が言うと、

「どうして?」

 って、枝折が訊き返す。

「だって、危ないから」

「どこが?」

「だって、何が出てくるか分からないし」

「えっ?」

「えっ? 枝折ちゃんは分かってるの?」

「分かってるよ」

 枝折が当たり前のように答える。

「床下に何がいるか、分かってるの?」

「うん」


 そんな……枝折は超常現象同好会に入部してまだ数日なのに、もう、幽霊だとか、妖怪だとか、そんな怪異が見えるようになったのか。

 全てを悟ってるのか。


 僕の心配をよそに、枝折は普通に弩の部屋に入った。

 床の扉を開ける音がして、拝さんが床下に潜ったのが、ドアと壁の隙間から見える。

 続いて、笛木君も降りた。


「枝折ちゃんは降りなくていいわ。ここ狭いから上にいなさい」

 床下から、拝さんの声が聞こえる。

 僕は、内心、よかったと、胸をなで下ろした。

「分かりました」

 枝折はそれに従う。



 少しして、鉈を振り下ろす音が聞こえてきた。

「しつこいわね! もう!」

 そう言って、拝さんが鉈を振り下ろしている。

「ほら、観念しなさい」

 出刃包丁でザクザクと何かを突き刺すような音も聞こえた。

「この野郎! 畜生!」

 笛木君の声も聞こえて、笛木君は何かを足で蹴り上げてるみたいだ。


 床下には、そうとう手強い相手がいるらしい。


 僕の背中にいる弩が、僕の腕をぎゅっとつかんだ。

 そんな怪物がいる場所で、床板を挟んで寝ていたと思うと、今更ながら恐ろしくなったんだろう。



 そんな格闘がしばらく続いて、やがて鉈や包丁の音が聞こえなくなった。

 拝さんが床下から上がるのが、ドアの隙間から見える。


 弩の部屋から出てきた拝さんは、埃や土、蜘蛛の巣が張りついて汚れていた。

 手に持った出刃包丁と鉈には、何かの汁がついて濡れている。

 少し緑がかったそれは、何かの体液なのか?


 拝さんに続いて出てきた笛木君は、風呂敷包みを背負っていた。


「厄介な奴だったけど、どうにか駆除くじょしたわ」

 拝さんが言って、笛木君が床に風呂敷包みを置く。

 ドスンと、床から振動が伝わってきた。

 中には相当重い物が入ってるらしい。

 包みは、弩が両手で抱えて抱えきれないくらいの胴回りがあった。


「これが、弩の部屋の床で、うごめいていたもの?」

 風呂敷包みを指して僕が訊く。


「ええ、そうよ」

 拝さんが答える。

 拝さんが退治した、妖怪とか、怪異の首でも入っているんだろうか。

 寄宿生と主夫部、全員が息を呑んだ。


「中を見てもいい?」

 新巻さんが訊いた。

 新巻さんは懐からメモ帳を取り出して、目を輝かせている。

 その中身に興味津々だった。

 僕は、中を見たいような、見るのが怖いような、複雑な心境だ。


「いいわよ。当然」

 拝さんが無表情で言う。


「笛木君、お願い」

 拝さんが目配せすると、笛木君は「はい」って従って、しゃがんで包みに手をかけた。

 中に何が入っているのか、囲んだみんなが笛木君の手元を注目する。

 弩は僕を盾にして後ろに隠れた。


 風呂敷がはらりとめくれて中身が見える。


 包みの中から出てきたのは、先が鋭くとがった、黒々とした竜のきば……ではなくて、たけのこだった。


「はっ?」


 大きく成長した筍が一本。そして、土から顔を出したばかりの、まだ小さな筍が六本。黒い皮が付いたままのそれが、ごろごろと風呂敷包みの中に入っている。


「弩の部屋の下にあったのって……」


「そうだよ。隣の竹林の、竹の地下茎ちかけいがこの建物の下まで入って、そこから筍が生えたんだね。それが床を押してたんだよ。それで変な音がしてたんだと思う。筍は一日で20㎝も30㎝も伸びるから。最盛期には50㎝伸びることもあるらしいし、ぎゅうぎゅう床を押して音を立てたんだね」

 拝さんの答えに、みんな力が抜けた。

 緊張してた分、弩がその場にへたり込む。


「だって、拝さんが、床下に厄介な奴が巣くってる、なんて言うから」


「厄介でしょ? 竹はいったん根を張ると、どんどん増えるよ。そのうち、床板を押し上げて、弩さんのベッドを持ち上げてたかもね。この館を侵食してたかも。とにかく、これが音の正体だよ」


 そんな……


「あなた達、なんだと思ってたの?」

 逆に拝さんが訊いてくる。


「妖怪とか、怪物のたぐいだと……」

 僕が言うと、拝さんが破顔した。

 隣で、笛木君もフフフと声を出して笑う。


「お兄ちゃん、さっき竹林を通ったときに、気付かないと」

 枝折が言った。

 枝折は、お兄ちゃんいい加減にしてよねって、呆れている。


「まあでも、しょうがないよね。私達、超常現象同好会が扱う案件の殆どはこんな感じで、人の思い込みだったり、勘違いなの。だから、この同好会が、学校のオカルト現象を解決してるっていっても、大半はこんな地味な作業よ。世の中、不思議なことなんて、そうはないわ」

 拝さんが言った。


「割合にすると、こういう空振りと本物の割合は、8:2くらいかな」

 拝さんが言う。


 そうか、良かった……


 って、二割も本物があるのか!



「あのう、この筍、頂いてもいいですか?」

 御厨が訊いた。

 採れたて美味しそうな筍に、御厨は目を輝かせている。


「いいけど」

 拝さんは簡単に譲ってくれた。

 弩の部屋の床を突いた大きな筍は、もう硬くて食べられそうもないけど、他の小さい奴は丁度食べ頃だ。

 魅力的な旬の食材を料理したくて、御厨はうずうずしていた。



「それじゃあ、私達は帰るから」

 拝さんは、筍を切った鉈と出刃包丁を返して、着替えのために脱衣所に向かった。


「あの、もし良かったら、髪を洗うけど」

 僕は、拝さんに言ってみる。

 床下に潜った拝さんの髪は汚れていた。

 女子の綺麗な髪を、埃や、蜘蛛の巣まみれのままで帰したら、主夫部の名がすたるし。



「そう、じゃあ、お願いしようかな」

 少し考えて拝さんが言う。

「うん、喜んで」

 僕は、脱衣所の洗髪台に拝さんを案内した。


 拝さんは、少し警戒しながら洗髪台に座る。

 拝さんの長い髪で、洗髪台のボウルはいっぱいになってしまった。

 僕は、最初に、ぬるま湯で丁寧に汚れを落とした。


 その後でシャンプーをつけて髪を洗い始めると、拝さんが目を瞑る。

 拝さんは、僕に、その頭と髪を完全に預けてくれた。



「拝さん」

 指の腹で丁寧に拝さんの頭皮をマッサージしながら、僕は声を掛ける。

「んっ?」

 気持ちよさそうな顔で、マッサージの効果で顔が上気してきた拝さん。


「拝さんは、なんで前髪で顔を隠してるの?」

 僕は訊いた。

「えっ?」

「だって、おでこ出した方が、絶対可愛いと思うのに」

 真っ白いおでこと優しそうな目は、絶対に拝さんのチャームポイントだ。

 それを隠してしまうのはもったいない。


「可愛いとか、あなた、面妖めんようなことを言うわね」

 拝さんが言った。

「ゴメン」

 そんなこと訊くのは、余計なお世話だったかもしれない。

 拝さんは好きでその髪型にしてるんだろうし、可愛いって言われて喜ぶ女子ばかりではないだろうし……


 訊いてしまったあとで、反省する。


 これだから僕は、女子の気持ちが分からない奴って、みんなに言われるのかもしれない。

 鬼胡桃会長や、縦走先輩、古品さんに、ここで責められたことを思い出した。


 家事の腕は上がっても、そっちのほうは、全然進歩していない。

 




「どうしたの、この筍!」

 夕方、寄宿舎に帰ってきたヨハンナ先生が、食卓を見て目を丸くした。

 北堂先生の胸に抱かれたひすいちゃんが、びっくりして泣き出す。

 ヨハンナ先生が、ゴメンゴメンと、ひすいちゃんをなだめた。


 だけど、ヨハンナ先生が大声を出すのも分かる。


 御厨が用意した食卓には、筍づくしのメニューが並んでいた。


 筍ご飯

 筍の煮物

 青椒肉絲チンジャオロース

 筍とチーズの田楽でんがく

 筍のきんぴら

 筍の酢味噌和え

 筍と春野菜のサラダ

 若竹汁


「こんな筍、どうしたの?」

 ヨハンナ先生が訊いた。


「まあ、色々とありまして……」

 僕が昼間の筍退治のことを説明すると、ヨハンナ先生は腹を抱えて笑った。

 北堂先生も笑って、ひすいちゃんも釣られて笑う。


「よし、こんなしゅんの味覚が食べられるなら、今日は日本酒だね」

 先生はそう言って自室にお酒を取りに行った。


「僕、ご飯の前に、拝さんにお裾分けしてきます」

 お世話になったし、拝さん達、超常現象同好会にお礼がしたかった。

 御厨が、ホーローの容器に筍料理を詰めて、お弁当包みに入れて用意してくれる。

 僕はそれを持って寄宿舎を出た。



 くだんの部室に行くと、幸い、拝さんはまだ残っていた。

 部室の中で、一人、静かに本を読んでいる。


「これ、さっきの筍。御厨が料理したから、よかったら食べてもらおうかと思って」

 僕が包みを差し出すと、拝さんは「ありがとう」って微笑んだ。

 目を瞑って鼻を寄せて、包みから漏れる筍の香りを嗅ぐ。


「あれ?」

 僕は、目の前の拝さんに何か違和感を覚えた。


「どうしたの?」

 拝さんが訊く。

「ううん、なんでもない」

 僕は首を振った。


 その時僕は気付く。


 目の前にいる拝さんが、髪留めで前髪を寄せて、目とおでこを出していることに。


「おかしい?」

 拝さんが、その陶器みたいに白いほっぺたを、ピンクにして訊く。


「ううん、すごく、似合ってる」


 僕が言うと、拝さんは飛び切りの笑顔を見せてくれた。

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