第218話 結界崩壊

「おかしいわね。この学校の敷地内は、私が張り巡らせた結界で、全ておおわれている筈なのだけれど」

 おがみさんはそう言って、僕が差し入れた抹茶わらび餅を食べる手を止めなかった。

 椅子に座った拝さんは、もきゅもきゅと優雅にわらび餅を噛んでいる。


 相変わらず前髪で目を隠してるから、拝さんがどこを見てどんな表情をしているのか、それは分からない。

 長い黒髪が艶々で、肌が陶器みたいに白い拝さんは、目の前にいるのに気配がしないっていうか、そこにいる感じがしなかった。


 僕の隣にいる弩は、借りてきた猫状態で固まっている。

 拝さんからにじみ出るオーラに圧倒されているのかもしれない。



 放課後。

 弩の部屋の下にうごめく「なにか」について、僕と弩は「超常現象同好会」の部室に相談に来ていた。

 部室には拝さんのほかに、部員の笛木君と部員になったばかりの枝折もいる。

 笛木君も枝折も、御厨が作った手土産の抹茶わらび餅に舌鼓を打っていた。


 笛木君が、自分のわらび餅を小皿に分けて、部室の隅の棚に置きながら、「食べな」って壁に向けて声を掛けたのは、ちょっと不思議だったけど。



 僕達が掃除した超常現象同好会の部室は、今のところ清潔に保たれていた。

 頭蓋骨の上にも、爬虫類の標本の上にも、埃は積もってない。

 ただでさえ、この文化部部室棟は時間の流れから取り残されたような場所なのに、この部屋は、そこからもっと別の次元にあるような、浮世離れした感覚があった。



「笛木君、学校の敷地内に異変はないわよね?」

 拝さんが訊く。


「ええ、異変はないっすよ。あやちゃん、寄宿舎には何もないよな?」

 笛木君は、さっきのわらび餅を分けたお皿の方に向けて訊いた。


「なにもないそうです」

 しばらくして笛木君が拝さんに報告する。

 一体あそこに何があるんだ(あるいは、誰がいるんだ)?


 今まで、学校内で起きた色々なオカルトみた事件を次々に解決してきたという超常現象同好会だけど、この同好会自体が怪しい。



「弩さんの、空耳じゃないの?」

 拝さんが言った。

 拝さんはわらび餅をたいらげて楊枝ようじを置く。


「でも、弩は二日連続で変な音が聞こえたって言ってるし、なあ弩?」

 僕が訊くと弩はコクリと頷いた。

 弩は僕の後ろにぴったりと張りついて、隠れるようにしている。


「弩は、嘘つくような奴じゃないし、夜眠れないのはかわいそうだから、どうにか調べて欲しいんだけど……」

 僕が頼んで、弩が頭を下げた。


 拝さんはフッと息を吐いて、少し考える。

 拝さんの長い髪がサラサラ流れる音も聞こえるような、静かな部屋だ。



「いいわ、見に行くだけ行きましょう。美味しいわらび餅もごちそうになったし、枝折ちゃんのお兄さんのお願いでもあるし、弩さんは可愛いし」

 拝さんはハンカチで口元を拭いてお茶をすすった。

 弩さん可愛いしって言ったけど、全然感情がこもってない言い方だ。


「笛木君、いつものお願い」

 拝さんが言うと、笛木君が立ち上がって部室の奥の棚から風呂敷包みを取り出した。

 これは何かの道具なのか?


 オールバックの髪型に無精髭で、開襟シャツっていう、ちょっとやんちゃな笛木君なのに、拝さんには従順な感じだった。

 二人の関係って、どうなんだろうって、ちょっと気になる。


「枝折ちゃんも来なさい」

 拝さんが声を掛けると枝折が「はい」って素直に返事をした。

 枝折は無表情だけど、いつもより目を0.5ミリくらい見開いてるから、凄く、わくわくしている。


 兄としては、本当は枝折にはここにいてほしかったけど、枝折の目は絶対に行くって語っていた。

 こうなった枝折は、もう、止められない。




 林の獣道を通って、寄宿舎まで来てくれた拝さんは、館内に入る前に、まず、外を一周、ぐるっと歩いた。

 腕を組んだまま静々と歩く拝さん。

 その後ろを風呂敷包みを持った笛木君が歩いて、枝折と、僕と弩が続いた。


「地下道の出口がある物置小屋も見せてくれる?」

 拝さんが言うから、僕はそっちにも案内した。

 腕組みしたままの拝さんは、物置小屋を外から眺める。


「中に入る?」

 僕が訊くと、拝さんは首を振った。

 中に入るまでもないって感じで、素っ気ない。


 拝さんはそのまま、物置小屋を囲む竹林を歩いて寄宿舎の方に戻った。


 膝まで届きそうな黒髪で、セーラー服を着た真っ白い肌の拝さんが竹林の中を歩いているのは、どこか幻想的というか、ともすれば怖い感じすらした。

 水墨画の世界に迷い込んみたいで、どこか現実感がない。


 そのまま、寄宿舎の外壁まで歩いた拝さんは、しゃがんで下見板したみいた張りの壁を観察する。

 観察してるんだと思う。

 目が前髪に隠れてるから、どこを見てるのか分からない。


 その壁の向こうが、弩の部屋だ。


「なるほど、そういうことね」

 しばらく、そこでたたずんだ拝さんは、そう言って立ち上がった。


「原因が分かったの?」

 僕は訊いた。

「ええ、分かったわ」

 拝さんが無感情に言う。


「それじゃあ、弩さんを困らせるやからは、さっさと始末してしまいましょうか」

 玄関の方に向けて歩き出す拝さん。


「やっぱり、何かいるの?」

「ええ、とっても厄介やつな奴が、ここに巣くっていたわ」


「そんな……」

 それを聞いた弩がびっくりしておびえている。


「大丈夫、私が退治してしまうから」

 拝さんが抑揚よくようのない声で言った。



 僕達が寄宿舎に上がると、何事だろうと、主夫部の部員や寄宿生が集まってきた。

 錦織と御厨、子森君、新巻さんに、萌花ちゃん、宮野さん。

 二人の先生とひすいちゃんは、まだここに帰っていない。


「ちょっと着替えたいから場所を貸してくれる」

 拝さんが言って、僕は風呂場の脱衣所に案内した。

 拝さんは笛木君から風呂敷包みを受け取って中に入る。


 笛木君が持っていた風呂敷包みには、黒い作務衣さむえが入っていたみたいで、しばらくすると拝さんがそれに着替えて出てきた。

 ピシッと糊が掛かった作務衣で、素足の拝さん。


 この作務衣が超常現象同好会の制服とでもいうかのように、拝さんはそれを着こなしている。

 拝さんは今までもただならぬ雰囲気をまとっていたけど、作務衣を着るとそれが増した。


「包丁とか小刀とか、何か刃物があったら貸してくれる?」

 拝さんが訊いて、御厨が台所から出刃包丁を持ってくる。

 宮野さんは自分の部屋からなたを持ってきた。


「武器は多い方がいいから、両方借りるわね」

 宮野さんは両方を受け取ってふところに仕舞う。


 刃物で立ち回りって、これから何が始まるんです?


 拝さんは気合いを入れるように頭に鉢巻きを絞めた。

 太い鉢巻きで前髪を後ろに流したから、拝さんの顔の全体が見える。


 真っ白な額、三日月みたいな細い眉毛の下に、うるんだ黒目がちの目があった。

 もっと、冷たくて、人の全てを見通してるとでもいうような、きつい視線を想像していただけに、ちょっとびっくりする。

 拝さんは、慈愛じあいに満ちた目をしていた。



「さあ、さっさと始末してしまいましょうか」

 片手に出刃包丁、片手に鉈を持った拝さんが、弩の部屋に入る。


 僕達は固唾かたずんで見守った。

 

 弩の部屋には、一体、何が潜んでいるんだろう。

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