第217話 専門家

「篠岡、弩を知らないか?」


 朝、僕がいつものようにヨハンナ先生の部屋で、先生の金色の髪をかしてたら、ドアの隙間から顔を出して錦織が訊いた。


「えっ? 知らないけど、いないのか?」


「ああ、いつもなら朝ごはんの配膳はいぜん手伝ってくれるんだけど、今日は見ないから、てっきり、篠岡にまとわりついてるんだと思って」

 エプロン姿の錦織が言う。

 まとわりつくって、弩は子犬か!


「こっちには、来てないな」

 僕は、洗濯物を干した後で、ヨハンナ先生を付きっきりで着替えさせたり、顔を洗わせたり、ビールの空き缶を片付けさせたりしていたから、見ていない。


「朝寝坊したんじゃないの? この時期だし、春眠しゅんみんあかつきを覚えずってね」

 まだ寝ぼけまなこのヨハンナ先生が言った。

 そんな、先生じゃないんだから。


 弩は目覚めはいい方だし、朝起きたら、着替えて、ちゃんと自分でシーツをベッドから外して、ランドリールームに持ってくる。


「まだ起きてないのかな? 見に行こうか」

 僕は錦織と連れ立って、弩の112号室に向かった。

 放っておくとベッドに戻って二度寝しそうだから、ヨハンナ先生も引っ張って連れて行く。



「弩、朝だぞ。起きてるか?」

 僕は112号室のドアを叩いた。

「おーい、弩」

 錦織も声を掛ける。

 部屋の中に、人がいる気配はした。


 しばらく待っていると、部屋の中からこっちに向かって来る足音がして、ドアが開く。


「先輩、おはようございます」

 僕達の前に現れた弩は、まだパジャマのままだった。

 目の下にくまを作っていて、その目もまだ完全に開いていない。

 綺麗な長い黒髪も、ぼさぼさだった。


 窓のカーテンが閉まったままで、部屋は薄暗い。


「弩が寝坊って珍しいな。まあ、たまにはいいけど」

 先生みたいに寝坊の常習じゃ困るけど、弩だって遅くまで寝てる日があったっていい。


「すみません。昨日の夜、あまり眠れなかったのです」

 眠い目をこすりながら弩が言った。


「どうした?」

「はい、床の下から、時々、なにか、ぎゅうぎゅうと床を押して、床板がきしむ音が聞こえて、それが気になってしまって……」


「床の下から?」


「はい、それがずっと続くので、眠れませんでした。朝方になって、ようやくく少し寝られたんですけど」

 弩はそう言った後で、大あくびする。

 弩の目の端から、大粒の涙がこぼれた。


 僕は、弩のベッドの下あたりの床に耳を近付けて、音を聞いてみる。

 今は、そんな変な音は聞こえなかった。

 遠くで、朝の支度にみんなが動き回ってる振動が、微かに伝わってくるだけだ。


ねずみとか、そういう小動物かな?」

 この寄宿舎を囲む林には、リスもいる。

「そういう、ちょこちょことした動きではなかったですけど」

 弩は首をひねった。


「夜中に、地下通路で、また誰かが何かしてたとか?」

 錦織が怖いことを言う。


 弩の部屋の下には、隣の111号室から外の物置小屋へ続く、地下通路が通っていた。

 通路を抜ければ寄宿舎に入れるだけに、気味悪い。



「ちょっとこれは捨て置けないわね」

 ヨハンナ先生が一瞬で教師の顔に戻った。


「よし、放課後、地下を調べてみましょう!」

 ここの管理人らしくヨハンナ先生が言う(これで職員会議を抜けられるとか思ってないか心配だけど)。




 放課後、僕達は地下通路を調べた。

 ヨハンナ先生と、僕、子森と宮野さんで、地下道に潜る。

 子森君は、元サッカー部で体格がいいから探索メンバーに加わって、宮野さんはやめた方がいいって止めたのに、地下道を見たいと付いてきた。


 以前ならこういうとき、腕っ節が強い縦走先輩がいて、バーベルのシャフトを持って先頭に立ってくれたから、今は非力な僕達でちょっと心許ない。



 懐中電灯とモップで武装した僕達は、開かずの間の鍵を開けて、中に入った。

 床の扉から、地下に降りる。


 地下に続く階段には、うっすらと埃が積もっていた。

 最近ここを人が通った形跡はない。


 ヨハンナ先生が先頭で、僕と子森君が後ろに続いて、殿しんがりは宮野さんがつとめた。


 地下道の壁は濡れていて、木で組んだ柱のあいだから、所々ゴツゴツした岩が見える。

 床には、また少し水が溜まっていた。

 宮野さんは支えの柱に光を当てて、その造りに見入っていた(さすが、見るところが違う)。



「FBIよ。誰かいるの。出て来なさい」

 暗がりに向けてヨハンナ先生が呼びかける。

「なんですか? FBIって」

 僕が訊いた。


「いえ、誰かいるなら、なんか脅しといた方がいいと思って」

 暗くて見えないけど、ヨハンナ先生はたぶん、てへぺろしてると思う。

 ヨハンナ先生はふざけて言ったんだろうけど、先生が言うと、本当にドラマのFBIっぽいから困る。


 そのまま地下道を歩いて、弩の部屋の下まで、進んでみた。


「丁度、この辺りですね」

 弩のベッドの真下を調べる。


 天井や、周囲の板壁に懐中電灯を当てて入念に調べたけど、そこに目に付く異変はなかった。

 引っ掻いた痕跡こんせきとか、弩の部屋に向けて地面を掘ったような穴もない。

 板の隙間に積もっている埃も、他の場所と変わらなかった。



 そのまま地下道を抜けて、物置小屋まで抜けてみる。


 物置小屋への出入り口の内鍵も、ちゃんと掛かっていた。

 以前の騒動のとき、外からは開けられないように内側に南京錠も付けてあるけど、それも二つ、しっかりと閉まっている。


 物置小屋の中も、最近誰かが入ったような形跡はなかった。

 物置小屋の周りの竹林も調べてみたけど、人が歩き回ったような足跡はない。

 古い長靴が、片方、落ちていただけだった。 


 僕達四人は、寄宿舎に戻る。



「どうでした?」

 玄関で心配そうに待っていた弩が訊いた。

 僕達は首を振る。


「みなさんお疲れ様です。とりあえず、お茶にしましょう」

 御厨が言って、僕達は食堂に集まった。


 御厨が、お茶と今日のおやつを出す。

 新巻さんや萌花ちゃん、錦織も食堂に集まって来た。


 御厨が作った今日のおやつは、路地栽培苺のブランマンジェだ。

 ふるふるのブランマンジェの上に贅沢に乗った二つ分の苺と、甘酸っぱい苺ソースがたまらない。



「もしかしたら、これは私達に手に負える案件じゃないのかもね」

 御厨にブランマンジェのお代わりを要求しながら、ヨハンナ先生が言った。


「と、言いますと?」

「うん、これは、幽霊とか、妖怪とか、そういう分野の話なんじゃない?」

 先生が意味ありげに眉をしかめる。


「なんか、わくわくするわね」

 常に携帯しているメモ帳を開いて、新巻さんが言った。


「先輩、人事だと思って……」

 弩が半べそをかく。

 もしそうだったら、弩は幽霊とか、妖怪がいるような場所で眠っていたのだ。

「ゴメンゴメン」

 新巻さんが慰めるように弩を抱きしめた。



「よし、こうなったら、専門家に頼みましょうよ」

 ヨハンナ先生が言う。


「専門家ってどういう?」

 僕が訊いた。


「決まってるでしょ。こういう、幽霊とか、妖怪とかに強い専門家。枝折ちゃんが入った『超常現象同好会』の拝さんだよ」


 拝さんか……


 膝まで届きそうな長い黒髪で、視線を前髪に隠した、透き通るように白い肌の拝さん。


「そうね、彼女に頼みましょう」

 ヨハンナ先生はそう言って、二つ目のブランマンジェをかき込む。


 枝折も関わってるし、僕は、なんだかあんまり気が進まないけど……

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