第216話 ブラックボックス
「まだ、ですかね」
弩が言った。
「まだ、だな」
僕が返す。
僕達主夫部は、「超常現象同好会」の部室の前で、待機している。
僕も、錦織も御厨も、弩も子森君も、全員がエプロンに三角巾、手にはゴム手袋をはめていた。
顔は、目にゴーグル、口にはマスクの、フル装備だ。
母木先輩が残してくれた高圧洗浄機や、先輩が開発に参加した洗剤、スペクトラムXXXマーク3も持ち出している。
主夫部がこんなふうにフルアーマー状態で掃除に
ちょうど一年前の、ヨハンナ先生のマンション以来かもしれない。
あの時はまだ、主夫部が部活として成り立ってなかったけど。
僕が一人で「超常現象同好会」の部室を掃除すると言ったら、他の部員全員が「ずるい」と言って、付いてきた。
こんな掃除のし甲斐がある物件は滅多にないから、部長一人が独占するのはずるいって、みんな口々に言った。
妹の枝折の生活環境をどうにかしようという、僕の個人的な理由でここを掃除することになったから、一人でやるつもりだったけど、みんなの意向を受けて、この掃除は主夫部の正式な活動になった。
我が部員ながら、こんなに家事欲に
「まだ、ですかね」
弩が言った。
「まだ、だな」
僕が返す。
それ程に僕達は前のめりになってるのに、僕達は部室の前で、もう十分以上待たされていた。
日直の仕事が終わった枝折も駆け付けて、「超常現象同好会」の部室の前で待っている。
中で、部長の
「お待たせ、もういいわよ。存分に掃除して」
結局、三十分待って拝さんが部室から出てきた。
セーラー服で、いつも通り肩に謎の黒猫のぬいぐるみを乗せている拝さん。
拝さんと一緒に、もう一人の部員、
笛木君は、同級の三年生で、オールバックにしたツーブロックの髪に
制服のネクタイを絞めずに、
細身で、開襟シャツの襟元からくっきりと鎖骨が見えていた。
「遅くなって御免なさいね。
嘘かホントか、拝さんはそんなことを言う。
前髪で目が隠れているから、冗談で言ってるのか、本気で言ってるのか、表情が読めない。
「それじゃあ、二人は終わるまで、主夫部の部室でお茶でも飲んでいて。ほら枝折、二人を案内して」
僕達主夫部で話し合った
掃除する間は、お茶と、御厨が作ったスイーツで、二人を部室に釘付けにしておく作戦だ。
二人にうろうろされて、掃除を邪魔されたらたまらない。
「篠岡、もし部屋の中で幼女の声が聞こえても、それに返事をしたら駄目だぞ。もし聞こえても、無視して聞こえないふりをしていろ」
笛木君は部室を出るとき、僕にそう言い残して行った。
なんだよ、幼女の声って……
ともかく、二人に部屋を出てもらって、掃除を始める。
まず、レールにゴミがたまって中々開かない窓を力尽くで開けて、外気を入れた。
窓から新鮮な空気が入って、部屋に充満していたお香の匂いがドアの方に抜けて行く。
その窓ガラス自体が
窓を開け放した後で、テーブルや本棚に
ゴーグルとマスクで完全防備してきて良かった。
これを枝折が吸い込んでいたらと思うと、ぞっとする。
煙幕みたいな埃が外に排出されるのを待って、本格的に掃除を始めた。
テーブルや床に積んである本を、とりあえず外に出す。
溶けた
ホルマリン漬けの爬虫類の標本や、頭蓋骨のレプリカ(たぶん)も、磨いて、棚にディスプレイする。
物を片付けて
蝋燭やお香で、壁も煤けていたから、クリームクレンザーで磨く。
煤で壁に同化していたカレンダーを外してみると、それは1992年のものだった。
この同好会って、そんなに歴史があるんだ。
もしかしてその頃から掃除されてなかったら怖い。
体中が
窓に掛かっている暗幕みたいな重たいカーテンは、外して洗うことにする。
椅子は以前、僕達主夫部が、文化祭のとき家具店から借りてきて、ぼやで買い取った物に変えた。そっちは煤も落としてあるし、新品同様だ。
埃まみれのシンクや、お茶道具も洗って使えるようにする。
これで枝折もこの部室でゆっくりとお茶が飲める。
テーブルの下にあった一抱えある木箱を片付けようとしたら、「ビリッ」って音がして、箱に貼り付けてあったお札のようなものが
黒々とした埃まみれの古い箱で、全部の面に繊細な彫刻が施されている。
彫刻のモチーフは、羊の頭部を被った人間で、それが無数に彫られていた。
お札には、
お札が剥がれて箱の
おどろおどろしい箱にお札って、一体、この中に何が封印されていたんだろう。
ちょっと、寒気がした。
よし、見なかったことにしよう。
僕は、閉めた箱の蓋に、両面テープでお札を貼り直しておいた。
結局、「超常現象同好会」の部室を掃除するのには、二日かかった。
逆に言えば、数年間蓄積した汚れを、我が主夫部は二日で片付けた。
これも、母木先輩の指導と、スペクトラムXXXマーク3のおかげだ。
「篠岡君、ありがとう。部屋が綺麗になったって、彼女達も喜んでるわ」
二日ぶりに部屋を明け渡したら、拝さんが言った。
んっ? 「彼女達」ってなんだ?
「超常現象同好会」の部員は、拝さんの他に、笛木君と、枝折のだけの筈だけど。
「ところで、篠岡君、テーブルの下にあった黒い木の箱は開けなかったわよね」
突然、拝さんが訊いた。
僕に顔を近付けて迫ってくる。
「えっ? うん、開けてないけど」
僕は
「そう、良かった。あの封印が解かれて箱が開いてたら、この世界が終わっていたところよ」
拝さんがさらっと言う。
えっ?
本当は、封印を剥がして、ちょっと蓋を開けちゃったけど……
「枝折ちゃんも分かったわね。あの箱は、絶対に開けちゃ駄目だよ」
拝さんが、新入部員の枝折に言い聞かせた。
余程、重要なことらしい。
今のところ、世界はまだ終わってないみたいだし、まあ、いいか。
笛木君も戻ってきて、綺麗になった部屋を隅々まで観察していた。
「ただいま。大人しくしてたか?」
笛木君、だれもいない壁に向かってなんか話しかけてるけど、あれはどういう意味なんだろう。
「それじゃあ、枝折ちゃんはここで預かるから」
拝さんが言った。
不安でたまらない。
可愛い妹を置いていくには、不安すぎる部活だし、不安すぎる先輩二人だ。
「お兄ちゃん、じゃあね」
枝折はそう言って手を振る。
口の端が一ミリ上がってるから、枝折は、すごく楽しそうだ。
僕は、時々、掃除をするといってここに枝折の様子を見に来ることに決めた。
なんなら、毎日ここに掃除に来たっていい。
いや、必ず来よう。
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