第215話 超常現象

「失礼します」

 僕は断ってその部屋のドアを開けた。

 まだ午後二時過ぎだというのに、部屋の中は薄暗い。

 お香をいてるみたいで、スパイシーな香りが鼻をついた。


 煙い室内は、両側の壁が本棚になっていて、真ん中にあるテーブルにも本がうずたかく積んである。

 テーブルの上には、多分レプリカだろうけど、人間の頭蓋骨が置いてあった。

 銀の燭台しょくだいもあって、溶けたろうがテーブルの上で山のように盛り上がっている。

 何か分からないけど、爬虫類はちゅうるいみたいなホルマリン漬けの標本もあった。

 天井の隅には、蜘蛛が巣を張っている。

 長い間ずっとそこにあるから、巣の上にほこりが積もっていた。

 奥の窓には暗幕のような重たいカーテンが掛かっていて、半分閉めてあるから、それで部屋が暗かったようだ。


「失礼します。どなたか、いらっしゃいますか?」

 僕がもう一度呼びかけると、本のあいだから、妹の枝折がひょっこりと顔を出した。


「どうしたの? お兄ちゃん」

 枝折が、きょとんとした顔で訊く。


 我が校のセーラー服もすっかり板に付いてきた枝折。

 学校で見る枝折も、やっぱり可愛い………とか、見とれてる場合じゃない。


「どうしたのって、それ、お兄ちゃんのセリフだよ! 枝折ちゃん、どうしてこんなところにいるの?」

 僕は訊いた。


 ここは、文化部部室棟でも特に濃い部活が集まった、魔境まきょうと呼ばれるエリアの一部屋だ。


「どうしてって、私、この部活に入ることにしたから、ここにいるんだよ」

 枝折が、僕を見て冷静に言う。


 もちろん、それは知っている。

 枝折がここに入るって噂を聞いたから、僕は急いで駆け付けたのだ。


「枝折ちゃん、本当にここに決めたの?」

「うん。決めたよ」

「ここ、『超常現象ちょうじょうげんしょう同好会』だよ」

「うん、分かってる」

 枝折は、僕を落ち着かせようとしてるのか、終始、静かな口調だった。


「枝折ちゃんは、こんな変な部活、止めておいたほうがいいと、お兄ちゃんは思う」


「こんな変な部活って、主夫部なんて作ったお兄ちゃんがそれを言うか」

 枝折が正論を言った。


 確かにそれを言われると、僕は何も言い返せない。



 ここは超常現象同好会という、主夫部が出来るまで、校内で一番異彩を放っていた部活だ。

 超能力から、幽霊、地球外生命体からタイムスリップまで、不思議なことは何でも扱うっていうのが信条の部活で、日々、怪しげな活動をしている。


 部員が二人しかいなくて、部として規定を満たしていない同好会なのに、ちゃんと部室を与えられた不思議な部活だ。


 それについては、この超常現象同好会が、校内で起こったオカルトめいた事件を幾つも解決しているから特別待遇を受けたとか、色んな噂がささやかれていた。

 とにかく、兄から見て、ここが枝折にふさわしくない場所なのは確かだ。



「篠岡君、うちのメンバーになろうって子に、変なこと吹き込まないで欲しいわね」

 後ろから声が聞こえて振り向くと、そこには一人の女子生徒がいた。


「うわあ!」

 僕は思わず、大声を出してしまう。

 その女子が、気付くと僕の肩にあごを載せるくらい、近くにいたから。


「なによ。幽霊でも見たみたいに」

 その女子生徒が言った。

 彼女こそ、この「超常現象同好会」創設者の、おがみ 敬子けいこさんその人だ。


 僕と同じ、三年生。

 膝まで届くんじゃないかっていう、長くて綺麗な黒髪をしている。

 目は前髪に隠れて見えない。

 スッと通った鼻に、細面の顔。

 真っ白な肌は、今まで一度も日に当たってないみたいな透明感がある。

 背は僕と同じか、少し高い。

 制服のセーラー服のスカートは長めで、黒いストッキングを穿いている。

 首からペンダントを提げていて、ペンダントトップに古いデザインの真鍮しんちゅうの鍵を付けていた。


 そして彼女は、肩の上に、小さな黒猫のぬいぐるみを乗せている(たぶんそれは、魔法少女が引き連れている小動物的なものだと思うけど、誰も怖くて本当のことは訊けない)。



「篠岡君、あなた、一年生の女の子に、自分のこと『お兄ちゃん』って呼ばせるなんて、良い趣味してるわね」

 拝さんが言った。

 ずっとここにいて、僕と枝折の会話を聞いてたのか。


「いや、枝折は僕の本物の妹だから」


「えっ?」

 拝さんは、跳び上がるくらいに驚いた。

 肩の黒猫が落ちそうになる。


「ああなるほど、あなたの親と、枝折ちゃんの親が再婚したのね。それで枝折ちゃんが妹になったのね。そういうことでしょ?」

 なんだその、アニメ的設定。


「いや、両親も同じだし」


「えっ? そ、そうなの?」

 拝さんはそう言って、僕と枝折を見比べる。

「嘘でしょ」

「本当だよ」

 僕が言うと、拝さんは目を瞑って一頻ひとしきり考えた。


「やっぱり、自然界には、まだまだ不思議なことがたくさんあるわね。これは、我が部の次の課題にしてもいいわ」

 拝さんが真剣な顔で言う。

 僕と枝折って、そんなに似てないだろうか。

 僕と枝折が兄妹なのは、オーパーツやUFO並の謎なのか。



「お兄ちゃん、私はもう、この同好会に入るって決めたから。それに、変なこと言ったら、部長さんに失礼でしょ」

 枝折が言って、座っていた椅子から立ち上がる。

 テーブルに積んであった本が崩れそうになって、慌てて僕が支えた。


「なんでこの部活なの? 枝折ちゃんは小説好きだから、文芸部とか、公認会計士試験受かってるから、簿記研究部とか、入ると思ってたのに」

 意外なところで、運動部とか選んで、体を鍛えるっていう選択肢もありかと思ってた。

 物静かな枝折が、逆にチアダンス部とか入ったら面白い、とか想像してた。



「もちろん、森園先生の小説は大好きだし、会計士の勉強も楽しいけど、私、他の可能性も試してみようと思ったの。この部活、すごく面白そうだし」

 枝折が言う。

 可能性を試すって、一体ここで、なんの可能性を試すんだ……

 超能力や魔法を手に入れようっていうのか?

 それとも錬金術でも習うのか?



「そういうことだから、お兄様、大切な妹さんは、私が大切にお預かりします」

 拝さんが枝折の後ろに回って、その肩に手を置いた。


「よろしくお願いします」

 って、枝折が頭を下げる。


 説得したいけど、枝折がこういうふうに一度決めたら、もう、てこでも動かないことを僕は知っている。

 そういう枝折だから、難しい試験に受かっちゃうんだし。


 僕が大きな溜息を吐くと、テーブルの本の上に積もっていた埃が、盛大に舞い上がる。



「分かった。枝折がこの同好会に入るのは認めるけど、とりあえず、ここを掃除しよう」

 僕が言うと、

「えっ? 掃除?」

 って、拝さんは「掃除」って言葉を初めて発するみたいに言った。

 掃除という概念がいねんを、たった今、得たみたいに。


「掃除するのはいいけど、私は手伝わないわよ」

 拝さんが腕組みして言う。

 意地でも動かないっていう姿勢だ。


「もちろん、掃除は僕がするから大丈夫」

 多分、僕が一人でやったほうが速いと思う。

 とにかく、一秒でも、枝折をこんな汚い部屋に置いてはおけない。


「僕が全部やるから、拝さんはこの部屋にあるもので、いるものといらないものを教えて。それだけでいい」

 僕は言った。

 あとは僕が整理する。


「えっ、この部屋にいらないものなんて一つもないよ」

 拝さんが言った。


 ああ、なるほど、そういうタイプか。


 この部屋の掃除は、すごく時間がかかりそうだ。


 枝折の口の端が一ミリくらい上がってるから、たぶん枝折は笑っている。

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