第213話 最強の騎士団
「子森君、頑張れ!」
「子森君、ファイトー!」
朝の寄宿舎に、女子達の弾けた声が響いた。
寄宿舎の一階の廊下では、子森君が雑巾掛けをしている。
紺色のジャージで裸足になっている子森君が、寄宿舎の廊下、端から端までを、雑巾掛けで一気に駆け抜けた。
その子森君に、二年生の四人組の女子が、声援を送っていた。
僕達主夫部の朝練を見学したいと言ってここに来た女子だけど、目的は明らかに子森君だった。
彼女達は、さっきから子森君の
「子森くーん」
「ファイトー」
彼女達の声が廊下に響く。
それにしても、「ファイトー」って、子森君は何と戦っているんだ。
主夫部部長の僕と、寄宿舎寮長の弩は、少し離れた場所から、二人でその様子を見ていた。
見学したいって言ってくれるのは嬉しいけど、まさか、こうなるとは思わなかった。
「我が主夫部は、硬派な部活なのに、これは由々しき事態だ」
僕は言った。
サッカー部とか野球部、バスケット部では、常に見学の女子がいて、部活動中に声援を送ってるのを見るけど、主夫部では今までそんなことなかった。
「でも、硬派って言いますけど、どこかの誰かさんは、女子から依頼を受けると何でもほいほいと受けちゃいますけどね。女子バレー部のお世話をしたり、野球部やサッカー部のマネージャーのお手伝いしたりして、鼻の下伸ばしてますけど」
弩が、僕に皮肉っぽく言った。
「いや、あれは、一生懸命頑張ってる女子達を応援するという、主夫部の目的に沿った行動であって……」
「へえー」
弩が、ジト目で僕を見ている。
僕が言葉を重ねるだけ、言い訳になりそうだ。
「よし、分かった。それじゃあ、ちょっと注意してくる。ここは、主夫部の真剣な練習の場だから、少し静かにしていてくれないかって、ガツンと言ってくる」
僕が言うと、弩はそんなこと出来ますかね、みたいに、
「ちょっと、君達……」
僕は、彼女達の後ろから声を掛ける。
「あっ、篠岡先輩だ!」
一人の女子が言った。
それまで子森君の周りにいた女子が、僕の前に集まってくる。
「篠岡先輩って、家事が何でも出来るってホントですか?」
エプロン姿の僕を見て、ショートカットの女子が訊いた。
「エプロン、お似合いですね」
「すごく、いい香りですね。洗濯してたんですか?」
「柔軟剤、何使ってるんですか?」
女子達が、
「いや、えっと……」
僕は、彼女達に圧倒されてしまう。
「篠岡先輩って、女子の髪を洗うの、すごく上手いんですよね」
一人の女子が言った。
「今度、私も洗ってもらっていいですか?」
別の一人が訊く。
「私も、お願いしたいです!」
「私も……」
「私も!」
みんなが、先を競うように手を挙げた。
なんだ、みんな良い子達じゃないか。
「ガツンと、言ってきた」
僕は、弩の元に戻って言った。
「おいっ!」
弩に、思いっきり突っ込まれる。
弩の見事な手刀が、僕の胸に決まった。
弩、いつからそんなに突っ込みが鋭くなったんだ。
結局、子森君も交えて話し合って、寄宿舎ではあまり騒がないこと、寄宿生の静かな生活を乱さないことで、彼女達に納得してもらった。
静かに見学してくれたら、お茶くらいは出してあげよう。
そんなことがあった、その日の昼休みのことだ。
弁当を食べ終わった僕の机を、三人の男子生徒が囲んだ。
背が高くて体格がいい、同級生の男子だ。
「おい、篠岡」
その中の一人、正面に立ったサッカー部主将の
身長が190くらいあって、丸刈りの頭に褐色の肌、体全体に筋肉が付いていて、胸板なんて、制服のシャツがはち切れるんじゃないかってくらい、厚い。
後の二人もサッカー部で、小野田と同じような体型をしていた。
「ちょっと、いいか。うちの部員を引き抜いた件で、話がある」
小野田は、僕を見下ろして言う。
「今から、体育館裏まで付き合え」
それは、断ることを許さない言い方だった。
うちの部員を引き抜いた件って、子森君のことか。
「いいけど……」
三人に囲まれたら、そう答えるしかない。
僕は、小野田と来た他の二人に両脇を固められて、教室から連れて行かれる。
クラスメートが
同じクラスの新巻さんも心配そうに僕を見る。
僕は、大丈夫だからって、新巻さんに目で言っておいた。
もしかして、サッカー部だった子森君が主夫部に入って、部員を取ったって言い掛かりを付けられるんだろうか。
人目に付かない体育館裏に来いって、一発か二発くらい、殴られるかもしれない。
僕は覚悟した。
子森君みたいな優秀な人材をサッカー部から取ったんだから、それくらい、止むを得ないだろう。
一発か二発ならいいけど……
連れて行かれた体育館裏は、誰もいなくて薄暗かった。
体育館と体育倉庫の間で、それらが壁になってるから、外からは全く見えない。
僕は、体育館裏の通路の袋小路に追い詰められた。
サッカー部主将の小野田が僕の前に立つ。
両脇の二人は、腕を組んで控えていた。
もう、僕にはどこにも逃げ場がない。
「おい、篠岡」
小野田が口を開いた。
眉毛が濃くて、
いよいよ殴られるのかと思った、その時だ。
「篠岡、子森のこと、よろしく頼むな」
しかし小野田は、そう言って僕に頭を下げた。
「あいつ、家事は不慣れで足を引っ張ることがあるかもしれないけど、主夫部で可愛がってやってくれ」
小野田は、頭を下げたままそんなふうに言う。
「う、うん。それは、もちろん」
僕はそう答えて頭を上げてもらった。
こんなふうに丁寧に頭を下げられると、こっちが恐縮してしまう。
「あいつはいい奴だから、ちゃんと面倒見てやってくれ。子森が主夫部に入りたいってそっちの道を選んだなら、俺は、それを尊重したいと思う。あいつは、自分にはサッカーの才能がないなんて言うけど、俺は、先輩として、サッカーであいつの良さを引き出してやれなかった。それは心残りだけど、あいつが別の道を選んだなら、俺は応援したい」
小野田は、少し
「サッカー部部長として、主夫部部長の篠岡に頼む。あいつを、そっちの道で輝かせてやってくれ」
小野田が、もう一度頭を下げる。
「もちろん、主夫部部長として、約束する」
僕は言った。
僕だって自信はないけど、精一杯やるって言うのが、こうやって頭を下げる小野田の心意気に
「そうか、ありがとう」
小野田は
「その代わり、子森を悲しませるようなことしたら、俺が許さないからな」
頭を下げた態度から一転、小野田がちょっとだけ
でも、その後ですぐに口元が
とにかく、子森君が、女子からも男子からも愛されていたことが分かった。
「じゃあ、そういうことだから。昼休みに呼び出してすまない。付き合ってくれて、ありがとうな。教室だと、こんな話、出来ないから」
小野田は、照れながら言った。
少し顔を赤くした小野田は、他の二人と共にそこを立ち去る。
僕は、一人で体育館裏に取り残された。
話のあいだ、ずっと体が強張っていた僕は、その場にへたり込む。
力が抜けて、そのまま自然と笑ってしまった。
小野田に殴られるとか、勝手に想像してた僕が馬鹿みたいだ。
サッカー部の小野田達は、正々堂々としたスポーツマンだった。
そんなことするわけない。
「先輩! 大丈夫ですか!」
突然、体育館裏に、弩の大きな声が響いた。
何かと思ったら、サッカー部の三人が帰ったのと入れ替わりで、この体育館裏に寄宿舎の女子達が来る。
弩と萌花ちゃんと、新巻さんと宮野さん。
おかしなことに、弩はヘルメットを被って、モップを両手で構えている。
萌花ちゃんも、ヘルメットに竹ぼうきを持って振り上げていた。
新巻さんに至っては、剣道の面にフライパンを持っている。
宮野さんは溶接用の黒い面を被って、手に金槌を持っていた。
四人とも、なぜ、そんな物騒な格好……
「先輩が、サッカー部に連れ去られたって聞いて、急いで駆け付けたんですけど」
弩が言う。
詳しく聞いてみると、僕が連れて行かれるところを目撃したクラスメートの新巻さんが、昼休み中だった他のみんなを呼んで、僕を助けに来てくれたらしい。
なるほど、その格好は、僕を守ろうと、手近にあった武器や防具を装備してきたのか。
屈強なサッカー部員に対抗する、彼女達の考え得る限りの装備だった。
「ありがとう。でも、話し合いは円満に済んだから」
僕が言うと、四人は肩の力を抜いて、構えていたモップや竹ぼうきを下ろす。
みんなも相当、緊張していたんだろう。
冷静になって考えて、四人はお互いの格好を見て、笑い出した。
僕も釣られて笑う。
体育館裏に、しばらく、
彼女達は、僕を守ろうとモップやフライパンで武装した可愛らしい騎士だけど、僕にとっては、最強の騎士団だ。
「それで、なんの話だったんですか?」
弩が訊いた。
「いや、ちょっとな」
これは、僕と小野田の間の秘密にしておいたほうがいいだろう。
弩や新巻さんがしつこく訊いてきたけど、僕は口を割らないでおいた。
「ねえ、今日の放課後、みんなの髪洗わせてもらっていい? 頭も、じっくりとマッサージするけど」
僕は、四人に訊いた。
「えっ、いいんですか?」
「うん、お願い」
弩と新巻さんが言って、萌花ちゃんと宮野さんもニコニコしている。
今日は、四人に精一杯サービスしてあげよう。
僕は騎士達の忠義に、僕なりの方法で精一杯、
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