第212話 屋根裏

 寄宿舎二階の天井から、あしが二本、生えていた。

 黒いショートパンツに、黒いニーソックス。

 その間に見える絶対領域ぜったいりょういきまぶしい、女子の二本の脚だ。



 放課後、僕は取り込んだ洗濯物を畳んで、寄宿生の各部屋に届けていた。

 新巻さんと宮野さんの部屋に配達しようと二階に上がったら、廊下の天井にある屋根裏への点検口が開いて、そこから脚がぶら下がっていたのだ。


 このニーソックスとショートパンツからすると、多分、この脚の主は、新入生の宮野さんだ。

 僕は寄宿生全員の衣服を全部把握してるから、分かる。

 宮野さんは脚をぶらぶらさせていて、もがいてるみたいだった。


 点検口の下には、倒れた脚立きゃたつが転がっている。

 宮野さんはこれで屋根裏に上がろうとでもしたんだろうか。



 僕は、とりあえず、階段脇のチェストに洗濯物を置いて、脚が生えている点検口の下に駆け付けた。


「宮野さん、どうしたの? 大丈夫?」

 僕が声をかけたら、

「きゃっ!」

 と短い悲鳴がして、宮野さんが降ってくる。


 僕は、降ってきた宮野さんを両手で抱き留めた。

 宮野さんが、お姫様抱っこの形で僕の腕に納まる。

 僕はそのまま尻餅をついたけど、宮野さんが軽かったから、どうにか廊下に落っことさないで済んだ。


 空から少女が降ってくるなんて、アニメの中だけの話かと思ってたけど、こうして真面目に家事をしてると、神様はそんな場面にも付き合わせてくれるらしい。


「せっ、先輩、済みません。大丈夫ですか?」

 宮野さんは、びっくりしていて心臓の鼓動が速かった。

 体を通して、どくどくする鼓動が伝わってくる。


「うん、僕は大丈夫、でも危なかったね。どうしたの? こんなところで」

 僕は訊いた。

 天井から降ってきた女子に訊くには、もっともな質問だと思う。



「屋根裏を見に行こうとしたら、背がぎりぎりで、飛びついたら脚立が倒れて、降りられなくなっちゃったんです」

 確かに、この洋館は、日本の昔の建物にしては天井が高いし、弩よりちょっと背が高いくらいの宮野さんには、脚立を使っても届かないかもしれない。


「助けを呼ぼうか、このまま屋根裏を探検しようか迷ってたら、先輩の声がして……」


 白いブラウスにショートパンツで、パンツはサスペンダーで吊ってる宮野さん。

 今日は三つ編みを解いて、ポニーテールにしている。

 ニーソも穿いてるし、ボクっ娘好きな新巻さんが見たら、キュンキュンしそうな格好だ。


「屋根裏を見に行こうとしたって、どうして?」

 新しくここに入って来て、探索するにしても、屋根裏まで見に行くことはないと思うけど……


「はい、単純に、この建物の構造を知りたかったのもありますし、この建物に隠された『からくり』を見付けられるんじゃないかと思って……」


「からくり?」


「はい」

 宮野さんが頷く。


「この『失乙女館』を設計した建築家の青村あおむら喜太郎きたろうのことは、前にも話したと思うんですけど、青村は、自分が作る建築に、秘密の『からくり』を仕掛けるのが常だったんです。それが遊び心なのか、青村が自分の建物だって主張するサインなのか分かりませんけど、とにかく、そんな趣向しゅこうがあるので、ここにも何か『からくり』があるんじゃないかって、ここに来てから、ずっと探してます」


「『からくり』って、どういうこと?」


「はい、大掛かりな『からくり』で言えば、青村の五棟目の建築、金屋かなやホテルなんかは特に有名です。一階に泊まっていたと思って朝起きたら、三階になってたり、左の突き当たりの部屋に入ったと思ったら、右端の部屋にいたり。そういう話、聞いたことありませんか?」

 宮野さんが教えてくれた。

 確かに、そんな不思議な話、どこかで聞いたことがある。


「そこまで大掛かりじゃないにしても、青村の建築にはれなく、そういう仕掛けが隠してあるんです」


「それなら、この寄宿舎だと、『開かずの間』の地下通路があるけど、それのことなんじゃないの?」

 僕は訊いた。

 弩の部屋の下を通る、あの地下通路だ。


「いえ、あれはちゃんと防空壕ぼうくうごうっていう目的があったみたいだし、青村が建てた後に作られたものだから、違うと思います」

 ああ、確かに、あの地下通路は、先の大戦のものだった。


「だけど、この建物にそんな謎が隠されてるなら、改修工事のときとかに見つかってる筈だけど」

 前に、空調設備を新しくしたり、各部屋にLANを敷いたりして、工事が入った。

 そんな「からくり」があるとしたら、そのとき発見された筈だ。

 ここまで歴史がある建物なんだから、その前にも、何度か修繕工事はあっただろうし。


「そうなんですよね。もう、その『からくり』が見つかってしまって、工事のとき取り除かれてしまったとかだったら、残念ですけど、もし、未だ見つかってない仕掛けがあるなら、何か特別な、途轍とてつもない仕掛けがあるんじゃないかと思って、僕、期待して探してるんです」

 宮野さんが目をキラキラさせて言った。


「ふうん」

 宮野さん、面白い女子だ。

 この建物に住みたくてこの学校に入学しちゃうし、ひすいちゃんのベビーチェアーとか、弩の食堂の椅子を簡単に作っちゃうし。


 そして、こうやって屋根裏を探検しようとするし。


 でも、この寄宿舎の住人になるには、ぴったりな女子だと思った。

 将来、彼女は偉大な建築家になるかもしれない。


「面白い『からくり』が見つかるといいね」

 僕が言うと、宮野さんは、

「はい!」

 と、声を弾ませた。



「ところで、新しい生活は、慣れた?」

 先輩風吹かせるわけじゃないけど、主夫部の部長として、僕は訊く。


「まだ慣れません、新しいことばっかりで、授業も大変です」

 宮野さんは正直に言って肩を竦めた。


「ここでの生活で、何か不満な点とか、ない?」


 新入生だし、学校生活では、まだ色々と緊張することもあると思うから、せめて寄宿舎にいるあいだは、リラックスさせてあげたい。

 母木先輩の言葉じゃないけど、寄宿生は全員僕達の妻なんだから、ここでは快適に過ごしてもらいたかった。


「不満とかはありません。ここでの生活は、すごく快適ですよ。みなさん、優しいし、ご飯は美味しいし、掃除も行き届いていて綺麗だし、毎日、ピシッとメイクされた気持ちいいシーツのベッドで寝られるし」

 それは、僕達主夫部が提供する最低限のラインだ。


「そう、良かった。でも、何か要望があったらいつでも言って。僕達はそれに全力で答えるから」


「はい、ありがとうございます」

 宮野さんはそう言って、人懐こい笑顔を見せる。



「それから、これは兄として言うんだけど、もし良かったら、枝折と仲良くしてあげてね。枝折は、最初取っ付きにくいかもしれないけど、本当に良い子だから。僕が言うのもなんだけど」


「もちろん。それに、枝折ちゃん、取っ付きにくくなんてないですよ。僕達、普通におしゃべりしてますし。枝折ちゃんから、先輩のことも色々聞いてますから」

 宮野さんがそう言って含み笑いした。


 枝折……


 枝折は宮野さんに、僕の何を言ったんだ。



「先輩、それで、あの……そろそろ……」

 二人で話してたら、宮野さんが、急にもじもじし始めた。


「何?」

 宮野さん、どうしたんだろう?

 ほっぺが真っ赤になってる。


「あの……、先輩、そろそろ下ろしてください」

 宮野さんが、僕の腕の中で言った。


「あっ!」

 宮野さんが天井から落っこちてきて、お姫様抱っこしたままだ。


「いえ、僕は別にこのままでもいいんですけど、みなさんが、怖い顔してこっち見てるし」

 宮野さんがそう言って、視線を送る。


 そっちの方向を見ると、廊下の先に、弩と新巻さんと萌花ちゃん、それに、ヨハンナ先生が立っていて、こっちを見ていた。



「先輩、何してるんですか?」

 弩が、笑顔で訊いた。


 無邪気すぎるその満面の笑顔が、逆に恐ろしい。


「宮野さん、塞君に、なんか変なことされてない?」

 ヨハンナ先生が、ポキポキ指を鳴らしながら訊いた。


「いえ、違います! これは、誤解なんです!」

 僕は、すぐに宮野さんを下ろした。


 屋根裏に上がろうとした宮野さんが落っこちてきて、それを僕が受け止めたって、丁寧に説明する。

 小一時間説明して、どうにかみんなに納得してもらった。

 開いたままの点検口とか、倒れた脚立とか、物的証拠は残っている。



「まあ、それならいいですけど、破廉恥はれんちなことしたら、寮長として、先輩に出て行ってもらいますよ」

 弩が言った。


 僕達主夫部が夫で、寄宿生が妻なら、僕は、完全に尻に敷かれている気がする。



「まあ、私は、塞君に何度もお姫様抱っこされてるから、別にうらやましくないけど」

 ヨハンナ先生が言った。


「わ、私だって、何度も何度もされてますし」

 弩が言う。


 なぜか、二人が張り合っていた。



 それにしても、この寄宿舎に隠された「からくり」って、なんだろう。

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