第210話 新入部員

「僕、主夫部に入りたいんです!」

 部室に入って来た子森君が言った。


「待って、ちょっと落ち着こうか」

 僕は、興奮して前のめりになっている子森君にパイプ椅子を出して、そこに座らせる。

 お茶をれて、一服してもらった。

 それは、混乱してる僕が落ち着くためでもある。


 主夫部に入ってくれるのは嬉しいけど、たった今サッカー部を辞めてきたって……



 僕の隣の席で、弩もあたふたしていた。

 子森君はイケメンだし、背は高いし、サッカー部だし、クラスでも人気者だったんだろう。


 顧問のヨハンナ先生は、ソファーの上で足を組んで、黙って僕達を見守っていた。

 この事態を収めるのは部長である僕の仕事だって、先生は目で言っている。

 先生が、しっかりやりなさい、って言ってるのが分かった。



「主夫部に入りたいって、本気なのかな?」

 子森君がお茶を飲んで落ち着いたところで、僕が訊く。


「はい、僕は本気です! 主夫部に入れてください!」

 子森君は、僕の目を真っ直ぐ見て言った。

 その目を見る限り、悪ふざけしてるようではない(元々、悪ふざけするような子森君じゃないけど)。


「でも、突然どうして?」

 僕は訊いた。


「はい、僕、やりたいことが見つかったって思ったんです。ホワイトデーの件で、寄宿舎で修行させてもらったとき、気付きました。僕は、これがやりたかったんだって」

 子森君はそう言って、爽やかに白い歯を見せる。

 興奮していて、ちょっと汗ばんだ子森君から香りが立ち上って、柔軟剤に「ファーファ ファインフレグランス オム クリスタルムスクの香り」を使ってるって分かった。


「料理を作ったり、洗濯をしたり、掃除したり、女子マネージャー二人のために色々してたら、それが楽しいって気付きました。マネージャーが喜んでくれる笑顔を想像して家事をしてると、もっとこうしてやろうとか、もっと上手くなりたいとか、色々考えるんです。考えてる時間も楽しいんです」

 子森君の発言には、一々同感できる。

 僕達は同じ想いで、主夫部として活動してるし。


「だから、主夫部に入って、家事の色んなことを学びたいし、主夫になるってどういうことか、考えてみたいんです。頑張ってる女子のために、色々できるようになりたいんです」

 子森君は、前のめりになってるわけじゃなくて、僕なんかよりもずっと、頭の中が整理出来ていた。


 彼は、本気で主夫部に入りたいって、考えている。



「サッカーのほうは、あきらめてもいいの?」

 二年間、サッカー部にいたってことは、子森君はサッカーにも情熱を持っていた筈だ。


「残念ながら、僕にそっちの才能がないのは、分かってましたから。レギュラーになれそうもないし、この先、試合に出られるかどうかも………もちろん、だったらもっともっと練習すればいいんだし、頑張ればいいんですけど、もう、それだけの情熱が向かないっていうか、その情熱は、主夫部のほうに向けたいんです」

 そこまで言ってくれると、この部活を作った者として、冥利みょうりきる。


「朝練とかあるし、あの広い寄宿舎の掃除はすっごく大変だけど、大丈夫? 冬とか、水が冷たくて洗濯とか炊事も楽じゃないけど」

 弩が訊いた。


 他にも、寄宿舎には部屋を汚す天才がいるし、まだサンタクロースを信じているお嬢様もいる……


「うん、サッカー部でも朝練はあったから。僕、サッカーのセンスはないけど、体力だけはあるし、体も丈夫なほうだし、きついのは、大丈夫」

 子森君はそう言って弩に微笑み返す。



「本当にいいんだね」

 僕は、最後の確認に訊いた。


「はい、本当にいいです。よろしくお願いします」

 子森君が立ち上がって、頭を下げる。


 子森君が入部してくれて、これで同好会への降格を逃れるのは良かったけど、部長として、子森君のことしっかり面倒見ないとって、責任も感じた。


 でも、何よりも一言、仲間が増えて嬉しい!



「それじゃあ、入部届を書いてもらおうか」

 僕は落ち着きを装って、子森君に入部届を差し出す。

 五十枚用意した入部届けを、やっと一枚、使えた。

 子森君はそれに躊躇ちゅうちょなく、名前を書き込む。


「同級生だけど、後から入ったから、後輩だからね」

 弩が、子森君に言った。


「はい、よろしくお願いします。弩先輩!」

 子森君、ノリもいいみたいだ。



「よし、これで主夫部も安泰あんたいね」

 そこで初めて、ヨハンナ先生が口を開いた。

 僕に対して、よくやったね、みたいな視線を送ってくれる。


「さあ、それじゃあ、さっそくみんなのところに行きましょうか」

 そう言ってヨハンナ先生が立ち上がった。


「ほら先生、まだ大福の粉、落ちてますよ。プリントもまとめてください。お茶、半分残ってますけど、飲みますか? 入れ直しますか?」

 僕がヨハンナ先生の世話を焼くのを、部員になったばかりの子森君が、食い入るように見ている。


「勉強になります!」

 子森君は言うけど、先生は特別だから、勉強にはならないと思う。





 夕暮れの寄宿舎には、御厨が作る夕餉ゆうげの、ほっとする匂いが漂っていた。

 この匂いからすると、今日はカレーライスだ。

 揚げ油の匂いもするから、カツカレーかもしれない。



 寄宿舎の住人と主夫部の部員は、食堂に集まっていた。

 保育園からひすいちゃんを連れ帰った、北堂先生もいる。


「今度、主夫部でお世話になります。子森翼です。よろしくお願いします」

 子森君は、みんなの前で挨拶した。


 みんな、拍手で子森君を迎える。


 僕は、子森君に、新巻さんと萌花ちゃん、北堂先生とひすいちゃんを紹介した。

 新巻さんが小説家であることを説明すると、子森君はびっくりしていた。


「あんまり騒がれたくないから、これは主夫部と寄宿生だけの、秘密ね」

 新巻さんが、唇の前に人差し指を立てて言う。


「萌花ちゃんが、『Party Make』のジャケット写真とかを手がける、『MOEKA』なことは、知ってる?」

 僕が訊くと子森君は、首を振った。


「ここには、色々な才能を持った女子が、集まっているんですね」

 子森君は、感心しきりだ。


 ひすいちゃんがクリクリの目で子森君を見て、「だーだー」って発しながら手を伸ばした。

 私のことも紹介してよって、言ってるのかもしれない。


「私は、北堂ひすいです。よろしくお願いします」

 北堂先生が、ひすいちゃんの代わりに、子森君に挨拶する。

 フードが付いた、水色のカバーオールのひすいちゃん。


「あの、僕、抱っこしていいですか?」

 子森君が先生に訊いた。

「えっ? ええ、いいけど」

 北堂先生が言って、慎重にひすいちゃんを受け渡す。

 子森君は、ひすいちゃんの頭を支えながら、彼女を縦に抱っこした。


「可愛いですね」

 僕が初めてひすいちゃんを抱っこしたときは、緊張で強張こわばってたのに、子森君は自然に抱いている。

 ひすいちゃんは、子森君のふところが定位置だったみたいにそこに収まって、安心していた。


「子森君、赤ちゃん抱っこするの、随分ずいぶん慣れてるみたいだけど、どうして?」

 北堂先生が訊く。


「僕、二歳になる年の離れた妹がいて、家に帰ると面倒見てるんで、赤ちゃんの世話は得意です」

 子森君が答えた。


「ミルク作ったり、おむつ変えたり、一通りのことは出来ますよ」

 子森君がわけないって感じで言う。

 言ってる間に、ひすいちゃんは子森君の腕の中で、うとうとし始めた。

 余程、心地いいんだろう。


「へえ、そうなんだ」


 子森君に、そんな特技があったとは……


 子森君は、イケメンで、イクメンだった。


 僕達が子森君に色々教える代わりに、僕達は、子森君から色々学べるかもしれない。



「さあ、みんな、それじゃあ、この後することは分かってるわね」

 ヨハンナ先生が、僕達を見回して言った。


「はい、もちろん、子森君の歓迎パーティーの準備ですよね」

 弩が、カーディガンのそでをたくし上げる。


「そう、分かってればよろしい!」

 また、お酒が飲めるって、先生は満面の笑顔だ。


「子森君、君のための歓迎パーティーだから、座っててもいいけど、どうする?」

 僕は訊いた。


「いえ、手伝わせてください。料理とか、覚えたいです!」

 さすが、主夫部部員。

 こころざしが高い。


 僕達主夫部は、頼もしい人材を得た。


 これでやっと、新しい一年のスタートが切れる。

 主夫部の二年目が、今、スタートした。

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