第209話 待ち人

「人、来ないな」

 僕が言う。

「人、来ませんねぇ」

 弩が言った。


 放課後の主夫部部室で、ただ、時間だけがむなしく過ぎていく。




 僕と弩は、入部希望者を待っていた。

 二人、部室の中に長机で受付を作って、パイプ椅子に並んで座っている。

 長机の上には、ペンと、五十枚印刷した入部届が重ねてあった。

 だけど、今のところ入部届は、ただの一枚も減っていない。


 こんなふうに待ち続けて、もう、今日で三日目だ。



「なんで誰も来ないんでしょうね。私達寄宿生が、あんな完璧な演技で、さり気なく主夫部のことを勧めたというのに……」

 弩が言った。


 まじか……


 さり気ないどころか、不自然さしかない演技だったけど。


「先輩、あれじゃないですか? 学校ツアーしながら、新入生の女子相手に、僕は毎日妹のパンツを洗ってるから云々のくだりを、言ったんじゃないですか?」

 弩が、僕をジト目で見ながら言った。

 セーラー服の上に、クリーム色のカーディガンを羽織った弩は、机に両手で頬杖をついて、ほっぺたを「むにゅ」ってしている。


「いや、言ってないし」

 僕は最近、あのセリフを控えていた。

 僕自身は別におかしいとは思わないけど、女子受けが悪いから止めている。

 もちろん、ツアー中にその種の発言はしていない。

 ツアー中は、自分が主夫部であることも伏せてたくらいだし。


「主夫になりたいっていうたくましい男子が、一年生の中に一人くらい居ていいと思うんですけどね」

 頬杖ついたまま、弩が言った。


 なんか、弩の発言が上級生っぽい。

 弩も日々成長していて、後輩を迎える準備は出来ていた。


「後輩が出来たら、絶対かわいがってあげるのになぁ」

 弩にかわいがってもらう後輩って、なんか羨ましいとか、思ってしまった。



 待つあいだも何かしていたかったから、スマートフォンで主夫部ホームページの活動報告を更新したり、そこにある掲示板に目を通して、書き込みに返信したりする。


「あっ、先輩、『Party Make』のデビュー曲、オリオンランキング、週間三位来てますよ!」

 同じようにスマートフォンをチェックしていた弩が、興奮気味に言った。

 スマホのプッシュ通知で、ニュースが届いたらしい。


「ホントか! やったな!」

 僕は、弩のスマートフォンを覗き込む。

 ニュースサイトを見ると、確かに「Party Make」の「寄宿舎を抜け出して」が、ウイークリーチャートで三位だった。

 上の二組は、大御所バンドが五年ぶりにリリースしたシングルと、超売れっ子のグループアイドルだから、その中での三位は、大健闘だって言っていいと思う。


「古品さん達、頑張ってるな」

「はい」

 デビュー曲のプロモーションで、テレビの歌番組で何度も「Party Make」を見たし、FMでヘビーローテーションしてくれる局もあって、デビュー曲はラジオでも頻繁に流れている。

 それに、古品さんが、今度CMが決まったって言ってたから、これからもっともっと「Party Make」を目にする機会が増えるかもしれない。


「僕達も頑張らないとな」

「そうですね」


 「Party Make」の三人から、元気をもらった。

 なんとしても一人部員を入れて、主夫部を存続させたい。



 そんなふうに僕達が二人で決意を新たにしていると、いきなり、部室のドアが開いた。


 すわ、入部希望者と思いきや、


「なんだ、ヨハンナ先生か」

 腕まくりのシャツに、紺のスカートのヨハンナ先生が、部室に入ってくる。


「なんだとは何よ! この美人セクシー敏腕びんわん教師に対して。失礼しちゃうわね!」

 ヨハンナ先生が、口を尖らせた。

 教師の前に、美人・セクシー・敏腕って、三つも肩書きをつけてくるとは……


 先生はたくさんのプリントやファイルの束を抱えていて、定位置のソファーに、どっかと腰を下ろした。

 いつも通り、職員室から逃げて、ここで仕事をするらしい。


「それで、新入部員は? 誰か入部してくれたの?」

 先生が訊いた。

「いえ、まだ一人も……」

「そう、困ったわねぇ……」

 主夫部の顧問でもある先生が、表情を曇らせる。

 先生……お気楽なようでいて、僕達のことちゃんと心配してくれてるんだ。


「主夫部が同好会に降格したら、この部室に逃げ込めないし、美味しいおやつも食べられないものねぇ」

 先生が溜息を吐いた。


 そっちか!


 確かに、同好会になったら、この部室は没収されるし、予算が少なくなるから、おやつも作れなくなるかもしれない。


「まあ、いざとなったら、部活未加入生徒のリストを職員室から持ってくるから、二、三人、見繕みつくろって幽霊部員にしちゃえばいいよ」

 冗談か本気か、先生がそんなことを言った。


 ヨハンナ先生の場合、七割方、本気かもしれない。



「先生、お茶入れましょうか?」

 僕が訊くと、

「うん、お願い」

 先生が、キラッキラの笑顔で答えた(守りたい、この笑顔)。


 僕は緑茶と、今日のおやつ、苺練乳大福を出す。

 苺と白あんの大福の中から、噛むと、とろっと練乳が出てくる、御厨の新作だ。


「ほら先生、粉が落ちてるじゃないですか」

 ヨハンナ先生が大福を叩かずにかぶりついたから、周囲に付いていた餅取り粉が、プリントの上に散ってしまった。

 僕は、固く絞ったふきんでプリントの上の粉を拭く。


 まったく、美人セクシー敏腕教師は世話が焼ける。


 こんな状態だから、三年になっても担任がヨハンナ先生で良かった。

 うちの高校は、二年から三年になるときは、担任が持ち上がりだから、担任教師もクラスメートも変わらない。

 同じクラスなら、ずっと、こうやって近くで先生の世話をしていられる。

 ずっとそばにいられる。

 ヨハンナ先生が、教室でカッコイイ教師でいるのを手伝える。


「ほらもう、スカートの上にも……」

「えへへ」

 先生の紺のタイトスカートにも粉が散ってるから、僕は、先生に立ってもらって拭き取った。


 そんな、いつもの部室の中に、


 コンコン


 と、ドアをノックする軽快な音が響く。


 ドアの磨りガラスの奥に、誰かが立っているのが見えた。

 ブレザーを着てるから、多分、男子生徒だ。


「はい!」

 僕と弩が、同時に返事をした。


 僕はひとまずヨハンナ先生をソファーに置いて、席についた。

 弩はパイプ椅子に座り直して、髪と制服を整える。


「どうぞ」

 僕達が声を揃えて言うと、

「失礼します!」

 と、どこかで聞いたような声がした。


 勢いよく部室のドアが開いて、声の主が部室に入ってくる。


 それは、僕がよく知る人物だった。

 180を超える身長で、細身のイケメン。

 パーマがかかった前髪を垂らしていて、僕達を前に、顔が少し紅潮している。


「あれ? 子森こもり君?」

 僕と弩が、同時に言った。


 子森君、子森翼君は、僕が以前、傷の手当てをしたサッカー部員だ。

 ホワイトデーのときは、マネージャーにお弁当を作ったり、洗濯を代行するために、主夫部に修行に来た。

 素直で、飲み込みが早くて、楽しそうに家事をしてたのが、すごく印象的だった。



「子森君、どうかしたの?」

 弩が訊く。

 そうか、彼は一年生のとき、弩のクラスメートでもあった。


「また、サッカー部でなんかやるの?」

 僕が訊いた。


 また、僕達主夫部の力を借りたいことでもあるんだろうか?

 だとしたら、協力は惜しまないけど。



「いえ、篠岡先輩! 僕、たった今、サッカー部辞めてきました。主夫部に入れてください!」

 子森君が、そんなふうに言う。


「僕、主夫部に入りたいんです!」

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