第206話 是々非々
「無理です無理です! 絶対に無理です!」
弩が、すくと立ち上がって、悲鳴に近い声を上げた。
いきなりだったから、北堂先生の胸の中でうつらうつらしていたひすいちゃんが、びっくりして泣き出す。
北堂先生が「よーし、よし」とあやして、慌てた弩が「ごめんなさい」と謝った。
ひすいちゃんが泣き止んで眠るのに、しばらくかかる。
「だけど私、寮長なんて、絶対に無理です。出来ませんから」
弩が、今度は声を落として言った。
昼下がりの寄宿舎食堂では、鬼胡桃会長が卒業して空いた寮長のポストを巡って、話し合いが持たれている。
寄宿舎の住人全員がそこにいて、僕達主夫部も、オブザーバーとして話し合いを見守っていた。
テーブルの上には、御厨手作りの桜餅と、ほうじ茶がある。
桜餅に巻いてある桜の葉の塩漬けは、去年集めた若葉で、一年寝かせたから綺麗な茶色に変色していた。
桜の葉の優しい香りと、なめらかなこしあんの甘さ、ほうじ茶の芳ばしい組み合わせが、絶妙だ。
話し合いでは、弩に任せるのが妥当だろうと、意見がまとまりつつあった。
最上級生の新巻さんが務める案も上がったんだけど、執筆で忙しいし、他のメンバーでは、萌花ちゃんもカメラマンとしての活動がある。
新入生の宮野さんは、入ったばかりでまだ寄宿舎のことを全部把握してないし、高校生活に慣れるのが先だろう。
「私、まだ、みんなをまとめていくことなんて、出来ません」
弩が、縮こまって言った。
「まだ、って言うけど、いつになったらその時期が来るの? 将来のことを考えたら、弩さんもこの辺で、少しでもリーダーになる経験を積んでおくべきなんじゃない?」
ヨハンナ先生が、先生の顔を見せて厳しく言う。
弩は、なんといっても、後々、あの大弓グループを率いることになるのだ。
「もう、やるしかないな」
僕が言って肩を叩くと、弩は「そんなぁ」と、か細い声を出した。
「大丈夫、私達も支えるし」
新巻さんが言って、萌花ちゃんと宮野さんが頷く。
「分かりました。微力ですけど、寮長として、皆さんが、毎日心地よく生活出来るように、私、頑張ります!」
最後には弩も納得した。
意思が固まったからか、弩は凜々しい目をしている。
「じゃあ、決まりね。弩さん、この寄宿舎の寮長として、頑張りなさい」
ヨハンナ先生が微笑んで、そこにいるみんなが拍手した。
ひすいちゃんも、僕達の拍手の真似をしている。
弩は前に主夫部の文化祭を成功させた経験もあるし、寮長として、十分上手くやっていけると思う。
「さて、それじゃあ、次は、主夫部の部長を決めましょうか?」
寮長が決まってお開きかと思ったら、ヨハンナ先生が急にそんなことを言い出した。
「へっ?」
ここから、食堂は主夫部の会議に移る。
「部長と置かないで、何か決めるときは、今までみたいにみんなで話し合って決めればいいじゃないですか」
僕は言った。
普段は緩い連帯で、まとまるときには、びしっと一つにまとまる、今の主夫部の感じが好きだ。
主夫部は、リーダーを一人決めて、その指導力で進んでいくような部活じゃない。
「部長会とかで、人を出さないといけないこともあるんだし、決めないわけにはいかないでしょ? 今までそれは、母木君がやってくれてて、あなた達はそれに甘えてただけなんだよ」
ヨハンナ先生が言った。
先生が言うのも、もっともだ。
主夫部を作ったのは僕だったけど、他の部活との交渉や、生徒会周りの手続きとかは、母木先輩が全部やってくれていた。
自分は部長じゃないと言いながら、先輩はその役目を果たしていたのだ。
「自分から部長やりたいっていう、立候補者はいる?」
ヨハンナ先生が訊いて、僕達部員を見回した。
だけど、誰も名乗りを上げることはない。
「それじゃあ、他薦で。誰がいいかな?」
先生が訊いた。
すると、
「篠岡だと思います」
錦織が言った。
「僕も、篠岡先輩がふさわしいと思います」
御厨もそう言う。
「私も、篠岡君がやればいいと思うな。まあ、私は部外者なんだけどね」
腕組みした新巻さんが無責任に言った。
「篠岡先輩、覚悟を決めたらどうですか?」
萌花ちゃんが親指を立てて言う。
北堂先生も、宮野さんも、僕を見ていた。
「篠岡先輩、もう、やるしかないですね」
弩が、僕の肩に手を置く。
さっきの仕返しか。
僕は、掃除をしながら、母木先輩に主夫部と寄宿舎を頼むって言われたことを思い出した。
あのとき、両方を次の代まで引き継いでくれって、言われたことを。
「分かりました。それじゃあ、僕、部長やります。頼りないかもしれないけど、みんな、よろしくお願いします」
僕は、立ち上がって頭を下げた。
ここまできたら、もう、そう答えるしかない。
「協力します」
「まあ、力まないで今まで通り、やろうよ」
御厨と錦織が言って、拍手した。
主夫部だけでなく、寄宿生も拍手で迎えてくれる。
二人の先生も拍手していて、ひすいちゃんも、「だーだー」と、この雰囲気を喜んでるみたいだった。
「新部長さん、寮長として、よろしくお願いします。これから、主夫部とは是々非々で行きますから。ここを部活で使うに当たって、私達は、要求するところは、ちゃんと要求します」
弩が、そんなことを言いながら、握手の手を出す。
僕は、「お、おう」と、戸惑いながら弩の手を握り返した。
寮長になったばかりの弩が、いきなり覚醒している。
ってゆうか、弩だって、主夫部なんだけど……
「もうすぐ入学式もあるし、新部長の初仕事は、新入部員の勧誘だね」
ヨハンナ先生が言った。
入学式が終わると、講堂の外に各部活の部員が待ち構えていて、盛大な勧誘を受けた、自分のときを思い出した。
今年は、僕達もあんなふうに勧誘する番なんだ。
「最低一人は入れないと、部室が取り上げられちゃうから、頑張ってね」
先生が、さらっと重大なことを言った。
「えっ? そうなんですか?」
「そうだよ。同好会扱いになるから、部室は使えないし、部費が学校から出ないから、全部、自己負担になるよ」
ヨハンナ先生が脅かすように言う。
最近は寄宿舎にいることが多いから、部室はいいとしても、部費が出ないのは痛い。
「まあ、一人くらい楽勝だよ」
錦織が、肩を竦めて言った。
「そうですよね。誰か一人なら、入ってくれるでしょう。僕、クッキーとか作って、新入生に配りますし」
御厨も簡単だって感じで、笑っている。
「そうだな」
考えてみれば、こうやってここに四人も集まってるんだし、一学年に一人くらい、入ってくれる生徒もいるだろう。
食堂には、楽観的なムードが漂っていた。
だけどそれが甘すぎる考えだったことを、僕達は後で思い知らされることになる。
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