第202話 翡翠
「紹介するわね。彼女の名前は、
ヨハンナ先生が、新しい寄宿舎の住人だという彼女を紹介した。
「北堂です。これから、寄宿舎で生活することになりました。皆さん、娘の『ひすい』共々、よろしくお願いします」
北堂さんというその彼女は、そう言って頭を下げる。
深く頭を下げて、ウェーブがかかったショートボブの髪が、ふわっと揺れた。
「娘のひすい」ってはっきりと言ったから、やっぱり、胸に抱いた赤ちゃんは、彼女の子供なんだ。
妹とか、親戚の子供を連れてきたとか、そういうことではないらしい。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
お花見で、すっかりくつろいでいた僕達は、姿勢を正して彼女に挨拶した。
「だ、たぁ」
彼女の胸に抱かれている赤ちゃんが、声を漏らす。
眠っていたのが、周囲の異変に気付いて起きたみたいだ。
「わー、可愛いー!」
花園が北堂さんに近づいて、赤ちゃんの顔を覗き込んだ。
赤ちゃんはグリーンのカバーオールを着て、その上からフードが付いた白いケープを羽織っている。
つぶらな瞳で、覗き込んだ花園のことを観察しているように見えた。
花園の顔に向かって手を伸ばして、足をばたばたさせている。
「いくつですか?」
花園が訊くと、北堂さんが、「七ヶ月です」と、答えた。
花園と同じくらいの背丈で、年恰好も同じに見える北堂さんが、赤ちゃんを抱いている光景は、どこか不思議だった。
やっぱり、母子というより、少し年が離れた姉妹ってほうがしっくりくる。
「赤ちゃんも、寄宿舎で一緒に暮らすんですか?」
新巻さんが訊いた。
「そうだよ。当たり前でしょ? だって、ひすいちゃんは、瑠璃子さんの娘さんなんだし」
ヨハンナ先生が答えた。
「泣いたりして、ご迷惑かけるかもしれないけれど……」
北堂さんが済まなそうに表情を曇らせる。
「いえ、それを気にしてるんじゃなくて、学校に通いながら、昼間どうするのかな、と思って……」
新巻さんが言った。
「昼間、彼女が学校に通っているあいだ、ひすいちゃんは近所の保育園に預かってもらうことになってるの。学校が終わったら迎えに行って、それからここで過ごすから」
ヨハンナ先生が説明する。
学校の駐車場からコンビニに行く道の途中に、確かに保育園があった。
ここからだと、歩いて五分くらいの距離だ。
多分、そこに預けるんだろう。
「最初は、学校の近くにアパートを借りて、そこに住もうと思ってたんですけど、事務長さんや先生方が、寄宿舎の部屋がたくさん空いてるから、そこに住んだらどうかって、勧めてくださったんです。通うのに時間がかからないし、保育園も近いし、丁度いいだろうって。だから、お言葉に甘えちゃいました」
北堂さんが、ひすいちゃんのケープを直しながら言った。
「色々とご迷惑かけることもあると思いますが、どうぞ、よろしくお願いします」
北堂さんが、もう一度、深く頭を下げる。
「ここの子達は、みんな良い子達だし、困ったときは助け合って、平和に暮らせると思うよ」
ヨハンナ先生が言った。
「ねっ、みんな」
先生に問われて、僕達は「はい!」と返事をする。
「それじゃあ、後でちゃんと紹介するけど、取り急ぎ教えておくと、こっちが、寄宿生の弩さんと、萌花ちゃん、そして、新巻さん」
ヨハンナ先生が、三人を順に紹介した。
「それから、男子のほうは、主夫部の篠岡君と、錦織君、御厨君」
先生は僕達のことも紹介してくれた。
「主夫部っていうのは、さっき、ヨハンナ先生から聞きました。主夫部なんて部活があるって、面白いですね」
北堂さんが興味深そうに僕達を見る。
「ご飯のことは、僕に任せてください。赤ちゃんの離乳食は、これから勉強します」
御厨が、北堂さんとひすいちゃんに笑いかけた。
「洋服のことは、僕が担当するから。後でサイズを測らせてもらうけど、いいよね。赤ちゃんの服を作るのは初めてだから、ちょっと楽しみ」
錦織は、ひすいちゃんに手を振る。
二人とも、初めて赤ちゃんのお世話をするのに、
そういうことなら、僕も。
「僕は主に洗濯を担当します。大丈夫、僕は毎日、妹達のパン…」
言いかけたところで、弩が僕の口を塞いだ。
「篠岡先輩は、洗濯の達人なんですよ」
僕の代わりに弩が言う。
せっかく、カッコよく決めようと思ったのに……
「それから、そっちの可愛い二人は、篠岡君の妹の、枝折ちゃんと、花園ちゃん」
先生が紹介を続けた。
花園は「よろしくー!」と元気よく挨拶して、枝折は控えめに頭を下げる。
「二人は私とか寄宿生とも親しいし、時々こうやって遊びに来るの。枝折ちゃんはもうすぐ、この学校の生徒になるし……あっ、そういえば……」
先生が思い出したように枝折を見た。
「まだ、発表されてないけど、言っちゃっていいよね。枝折ちゃんは北堂さんと、同じクラスになるよ。さっき職員室に、新年度の一年生のクラス分けとか担任の名簿があって、それ見てきたの。本当は入学式の後で発表なんだけど、教えちゃうね」
先生が、「秘密だよ」と、枝折にウインクする。
枝折は北堂さんのほうを見て、恥ずかしそうに会釈した。
北堂さんも「よろしくね」と、笑顔を返す。
「クラスメートとして、枝折と仲良くしてやってね。枝折、人見知りするから、取っ付きにくいかもしれないど、良い子だから。まあ、兄の僕が言うのもなんだけど」
僕が頼むと、枝折が、お兄ちゃん余計なこと言わないでよ! みたいな目で、僕を睨んだ。
だけど、兄としては、やっぱり心配なのだ。
「クラスメートって、もう! 篠岡君たら、何言ってるの?」
ところが、北堂さんが、笑いながらそんなふうに言った。
お母さんが笑ったのに釣られて、抱かれているひすいちゃんも笑う。
二人をここに連れてきたヨハンナ先生も、声を殺して笑っていた。
「えっ? はい? どういうことですか?」
僕は訊き返す。
僕、なんか変なこと言っただろうか?
「私は生徒じゃなくて、教師だよ」
北堂さんが、言った。
「ひっ?」
僕は、頭の天辺から出たような声を出してしまう。
僕だけじゃなかった。
北堂さんとひすいちゃん、ヨハンナ先生以外の全員が、それぞれ調子の外れた声を出す。
「私、これでも
北堂さんが続けた。
「大体、私は、ヨハンナ先生と同い年だし」
北堂さんが言って、ヨハンナ先生が頷く。
嘘だ。
絶対に、嘘だ。大嘘だ。
どう見ても、やっぱり花園と同い年くらいにしか見えなかった。
枝折の担任教師だなんて、逆に枝折が教師で、北堂さんが生徒の方が、まだ、リアリティがある。
「枝折ちゃんの担任教師として、保護者代わりの篠岡君とは色々と遣り取りすることになるけど、そっちの方もよろしくね」
北堂さん、いや、北堂先生が言って、ひすいちゃんが、「うー」と、僕に向けて手を振った。
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