第16章

第201話 お花見

「おじゃましまーす」

 寄宿舎の玄関で、妹の花園かえんが無邪気な声を出した。


「ゆみゆみー、花園と枝折が遊びに来たよー」

 花園が靴を脱ぎながら、弩の部屋のほうに呼びかける。

 花柄のワンピースに、白いGジャンの花園と、白いブラウスにネイビーのフレアスカートの枝折。


 花園や枝折が顔を見せれば、いつも子犬みたいにすっ飛んでくる弩が、一向に出てくる様子がない。


「弩、ゆみゆみ出ておいでー」

 花園がもう一度呼んだ。

 そんな、「まっ○ろ○ろすけ」的に呼ばなくても……



 春休み、どこかに連れて行けとうるさい花園と枝折を、寄宿舎に連れてきた。


 ここなら弩に遊んでもらえるし、二人が来ることで、三年生が卒業して寂しそうだった弩の慰めにもなると考えたのだ。



「ゆみゆみ?」

 花園は弩の部屋の前まで行って、ドアをノックした。

 それでも弩からの返事はない。


「そうだ! ゆみゆみのことだから、ドアの前におみやげのホワイトロリータ置いておけば、出てくるかも」

 花園が言って、背負っていたリュックからホワイトロリータの袋を出して、一つ、ドアの前に置いた。


「おい花園、ホワイトロリータ置けば出てくるなんて、弩を馬鹿にしすg」


 出てきた。


 弩は、ドアの前のホワイトロリータを拾い上げて包みを剥き、ぽりぽりと子リスみたいにかじった。

 水色のワンピースに、薄黄色のカーディガンの弩。


「ゆみゆみ、久しぶり!」

 花園が、ひしと弩に抱きついた。


「やっぱ、ゆみゆみは可愛いのう」

 愛おしそうに弩の頭をなでなでする花園。

 弩と花園は背丈も逆転してるし、どっちが年上か分からない。


「弩、大丈夫か?」

 反応が鈍かったのは、やっぱり、先輩達がいなくなって、ショックを引きずってるんだろうか。


「大丈夫です。ちょっと昼寝をしてただけですから。私は、落ち込んだりしてませんよ」

 弩はそう言って、笑顔を見せた。

 作ったふうではない、自然な笑顔だ。


「そうそう、やっぱ、ゆみゆみは笑ってないとね」

 花園がそう言って、弩にホワイトロリータをもう一つ、渡す。

 弩はそれを受け取って、ぽりぽり囓った。


 おい花園、弩を餌付えづけするんじゃない。



「枝折ちゃん、花園ちゃん、いらっしゃい」

 台所から、エプロン姿の御厨が出てきた。

 昼食の支度を手伝っていた錦織も出てくる。


「二人が来るっていうから、美味しいランチを作っておいたよ」

 御厨が言う。


「やったー! ありがとー」

 花園は御厨に対して親指を立てた。


「あ、そうだ。枝折ちゃん、新しい制服直してあげるから、後でサイズ測らせてね」

 錦織が声をかけると、枝折は少しうつむきながら「はい」と返事をする。

 そうだ、枝折も、うちの高校のセーラー服を着ることになるんだ。

 卒業した三年生の色が新一年生に回ってくるから、枝折が結ぶのは黄色いリボンになる。


「錦織、職務上知り得た枝折の体のサイズに関する情報は、制服直し以外に使わないと一筆書いて、署名捺印しろ」

 僕が言うと、

「もう、お兄ちゃん! 変なこと言わないでよ。恥ずかしいな」

 枝折に怒られた。


「兄は私が心配なだけで、悪気があるわけではないので、どうか許してあげてください」

 枝折が錦織に頭を下げる。


「大丈夫だよ、枝折ちゃん。篠岡のことは分かってるから」

 錦織が笑いながら言った。



 僕達が来たのに気付いて、二階から新巻さんが下りてくる。

 自室で写真のプリントをしていた萌花ちゃんも出てきた。


「枝折ちゃん、花園ちゃん、こんにちは」

 新巻さんが声をかけると、枝折は恥ずかしそうに、僕の後ろに半分体を隠してしまう。

 やっぱり、枝折にとって憧れの対象の新巻さんは、直視するにはまぶしいらしい。



「枝折ちゃんと花園ちゃんが来てるし、せっかくだから、お花見しながらランチしましょうか?」

 御厨が提案した。


「よし! そうだな。お花見しよう」

 この辺りのフットワークの軽さは、母木先輩がいなくなった主夫部でも、健在だ。



 寄宿舎を囲む林の中には、裏庭の方に三本の桜の木があって、満開の一歩手前だった。


 僕と錦織が桜の木の下にブルーシートを敷いて、その上に緋色の毛氈もうせんをかぶせる。

 作業してる間に、毛氈の上に桜の花びらが何枚か落ちて、風流な模様になった。


 天気はいいけど少し肌寒いから、ブランケットと、クッションも用意する。

 暖を取るのと、ちょっとした焼き物が出来るように、七輪に炭を入れて、火をおこした。


 御厨が、ランチ用に作ったサンドイッチやおかずを、重箱に詰め替えて持ってくる。

 お茶用のポットや、飲み物を用意すれば、それでお花見の準備は完了。


「わあ、本格的だ!」

「私、こんなお花見、初めてです!」

 花園と弩が、じゃれ合いながら言った。


 僕達はお重を囲んで、輪になって座る。

 枝折がまだ照れてたから、わざと新巻さんの隣に座らせた。



「そういえば、ヨハンナ先生は?」

 僕は、辺りを見回して訊く。

 花見と聞いたら、一升瓶片手にすぐに現れると思った先生の姿が、見えなかった。

 昼過ぎだけど、まだ寝てるんだろうか?


「先生、新しく寄宿舎に入る人のことで事務長さんに呼ばれて、校舎の方に行ったよ」

 新巻さんが教えてくれる。


「新しい人って、あの、前に見学に来た宮野さん?」

 あの、僕っ娘の新入生のことだ。

 建築家志望で、この寄宿舎住みたくて我が校に進学したっていう、面白い女の子。


「ううん、あの子とは別の人の話みたいだったけど」

 新巻さんも詳しくは分からないみたいで、首を傾げて言った。


「どうしようか? 先生を待ってようか?」

 僕が訊く。

「いいじゃん。食べてようよ。どうせ、宴会は夜まで続くんでしょ」

 花園が僕達の行動を見透かしたように言った。


「そうだな、ぼちぼち始めてようか」

 錦織が言って、みんなが頷く。

 御厨のごちそうを目の前にぶら下げられたら、みんな、これ以上、我慢できないのだ。


 まあ、僕達がこうしてお花見をしていれば、ヨハンナ先生も嗅ぎつけてじきに来るだろう。


 僕は、先生をおびき寄せるために、七輪でスルメを焼いておいた。




 咲き誇る桜を愛でながら、晴天の空の下、みんなでランチをする。


 御厨が作ったサンドイッチは、アボカドとタルタルソースのサンドイッチに、アンチョビとポテトのサンドイッチ。

 レタスと豚肉の味噌漬けのサンドイッチに、卵とキーマカレーのサンドイッチ。

 クリームチーズとわさびのサンドイッチ。


 鶏の唐揚げや、揚げ餃子、卵焼きや生春巻きなど、おかずの方も抜かりない。




「もう、みんな、先にお花見始めてるなんて、ずるいじゃない」

 お腹がいっぱいになって、のんびりと桜の下でだべっていたら、ようやく、ヨハンナ先生が僕達のほうに歩いてきた。


「先生、おかえり!」

 靴を脱いだままの花園が、先生に飛びついた。


「みんな集まってるわね。丁度良かった」

 先生が花園を抱えてあやしながら言う。


 そんな先生の後ろに、誰かいた。

 紺のジャンパースカートに、ボーダーのニットを着ている女子だ。


「今度、この寄宿舎に入ることになった彼女を案内してたの。みんなに紹介するわね」

 先生がそう言って彼女を前に出した。


 身長は、弩より少し高いくらいだろうか。

 ウェーブがかかったショートボブの髪で、おおらかそうな目をした、丸顔の可愛らしい人だった。

 すっぴんの顔に浮かぶそばかすと、ピンクのほっぺたが、童顔を一層幼くみせている。


 僕達は、しばらく声も出さずに彼女を見詰めていた。


「みんな、どうしたの?」

 ヨハンナ先生が、僕達に訊く。


 だけど、僕達には言葉を失ってしまう理由があった。



 だって、彼女はその胸に、赤ちゃんを抱いているのだ。

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