第203話 引っ越し蕎麦

「おはようございます!」

 朝から、寄宿舎を囲む林に元気な声が響いた。

 林の獣道の入り口に、一台の白いトラックが乗り付けられる。

 トラックの側面には、「宮野工務店」という社名のロゴが書いてあった。


 トラックの助手席から、宮野さんが降りる。

 新一年生で、これから寄宿舎の住人になる「宮野たくみ」さん。


 デニムのジャケットに、カーキ色のカーゴパンツ。

 二本の三つ編みを交差させてサイドに寄せた彼女の髪型は、見学に来たときと変わらなかった。

「おはようございます!」

 と言って見せる人懐こい笑顔も、前に来たときと同じだ。


「おはよう!」

 寄宿生と主夫部、ヨハンナ先生で、彼女を迎えた。

 寄宿舎に入る宮野さんが荷物を運んできたから、これからみんなで引っ越しを手伝う。


 トラックの運転席からは、一人の男性が降りた。

 背が高くて、がっちりとした体型の初老の男性は、宮野さんのお父さんだ。


「みなさん、娘のために、お休みのところ、ありがとうございます」

 お父さんは、ヨハンナ先生や僕達に頭を下げた。

 日焼けしていて顔に深い皺を刻んだ、いかにも職人って感じの人だ。


「いえ、住人みんなで助け合うのが、この寄宿舎ですから」

 ヨハンナ先生が笑顔で答えた。

 金色の髪のヨハンナ先生が管理人だと知って、お父さんは、ちょっとびっくりしてるみたいだ。



 みんなで分担して、トラックから寄宿舎に荷物を運んだ。

 林の獣道を荷物を持ちながらすれ違うのは苦労する。

 外界との緩衝かんしょう地帯になって、寄宿舎の静けさを保ってくれる林だけど、やっぱり、こういう引っ越しのときは不便だった。


 工務店を営む宮野さんのお父さんは、寄宿舎の建物に興味津々で、荷物を運びながら、この洋館のあちこちに目を凝らしている。

 目の付け所が、親子で同じだ。



「宮野さんは、何号室に入るの? 全室、掃除は行き届いてるから、空いてる部屋ならどこでもいいよ」

 玄関まで一通りの荷物を運び終えたところで、僕が訊いた。

 母木先輩の意思を継いで、寄宿舎は空き部屋も全て、掃除されている。

 どの部屋を選んでも大丈夫だ。


 今は、ヨハンナ先生の106号室、萌花ちゃんの110号室、弩の112号室、新巻さんの211号室、以外、全部空いていた。


「はい、それじゃあ……」

 宮野さんは少し空で考える。


「それじゃあ、僕は206号室にします」

 宮野さんが二階を見上げて言った。


「ボクっ娘カワイイよボクっ娘」

 新巻さんが、宮野さんの「僕」に反応して、頬を緩める。

 新巻さんのボクっ娘萌えはなんなんだ……


 206号室は、二階の向かって右側、階段を上がってすぐの部屋だ。

「二階なら部屋に戻るたびに、この素晴らしい階段の彫刻を眺められるし、玄関の上のテラスに出られるから、屋根が見られるし」

 宮野さんは言った。


 この洋館「失乙女館」の設計者である青村喜太郎という建築家の大ファンで、ここに住むと決めた宮野さん。

 宮野さんの建物萌えも相当なものだ。




 大人数で働いたから、二階の部屋まで全ての荷物を運び終えるのに、一時間もかからなかった。


「みなさん、娘を、どうぞよろしくお願いします」

 宮野さんのお父さんは、帰る前に、僕達にもう一度、丁寧に頭を下げる。


 娘の宮野さんを外に出すんだから、お父さんも相当寂しいんじゃないかと思う。

 その気持ちが分かった。

 僕も、大学進学とかで枝折や花園が家を出るときのことを想像して、ちょっと切なくなる。


「大切な娘さん、責任を持ってお預かりします」

 ヨハンナ先生が胸を張って言った。

 お父さんを心配させないように、毅然とした態度を取ったんだろう。


 最後にお父さんは宮野さんに「それじゃあ、がんばれ」と、ぶっきらぼうな言葉を残して、帰って行った。


「うん、ありがと」

 玄関で背中を向けたお父さんに、宮野さんも素っ気なく返す。


 玄関を出たら、お父さんは、一度も振り返らずに獣道を抜けて行った。

 林の向こうで、トラックのエンジンがかかる音がする。


「あれ、宮野さん、ちょっと涙ぐんでる?」

 ヨハンナ先生が、宮野さんに訊いた。


「ぼ、僕は、涙ぐんだりしません!」

 宮野さんが、強く否定して、口を尖らせる。


「ボクっ娘カワイイよボクっ娘」

 新巻さんが、宮野さんの頭をなでなでしていた。


 このままだと新巻さんのキャラが崩壊しそうだ。




 お父さんを見送ったあとで、僕達は二階の宮野さんの部屋の荷物を解いて、家具を組み立てた。


 棚やベッドなどの木製家具の組み立ては、全部、宮野さんが手際よくやる。

 非力な僕達に代わって力仕事をしてくれるのは、以前は縦走先輩の役割だった。


 宮野さんの荷物を解いてたら、鋸や金槌、かんなやノミなど、大工道具がたくさん出てくる。

 ドリルやトリマー、グラインダーなどの電動工具も揃っていた。

 洋服に混じって、ヘルメットや安全靴、作業着も出てくる。

 クローゼットや棚に、それらが収まってる部屋は、およそ、僕が想像する女子の部屋ではなかった。

 本棚も、建築関係の本や、建物の写真集ばかりだ。


 でもまあ、萌花ちゃんの部屋はカメラやレンズだらけだし、縦走先輩の部屋はトレーニング器具だらけだったし、古品さんの部屋は衣装だらけだったし、鬼胡桃会長は部屋を五つも使ってたし、ヨハンナ先生の部屋は放っておくと酒瓶とおつまみのパッケージで埋まっていくし。

 この寄宿舎の中では、こっちのほうが普通なのかもしれない。




 宮野さんの部屋の片付けも一段落した頃、もう一台のトラックが、獣道の入り口に乗り付けられた。


 北堂先生が手配した、引っ越し業者のトラックだ。

 僕達は、ひとまず北堂先生を迎えに行く。


「おはようございます!」

 北堂先生が挨拶した。


 先生は引っ越し作業用に、ジャージとスニーカーって格好だから、もう、運動部の生徒にしか見えない。

 今日は引っ越しで預かってもらうって言ってたから、娘の「ひすい」ちゃんも連れてないし、そのまま初々しい新入生だ。


「君も、新しい寄宿生かい? よろしく。僕は、『宮野たくみ』」

 宮野さんはそう言って、北堂先生に握手の手を差し出した。


「宮野さん、あの……」

 僕が小声で呼びかける。


 そういえば、二人は今日が初対面だった。

 寄宿舎にあと二人、新しい入居者がいるとは伝えたけど、それが北堂先生とその赤ちゃんだってことは、伝わってなかったらしい。


「宮野さん、その人は、先生。一年生の担任の北堂瑠璃子先生だから」

 僕が説明しても、宮野さんはきょとんとしていた。

 丁寧に説明して、先生が運転免許証を見せたりして、漸く理解してくれる。


「す、すみません! まさか、先生だったとは、ごめんなさい!」

 宮野さんは平謝りした。


「いいのいいの。私、よく未成年と間違えられるの。コンビニではお酒売ってもらえないし、忘年会、新年会では補導されるし、車運転してると確実に白バイに止められるから」

 北堂先生は笑って許した。


 先生……結構、苦労してるんだ。



「それじゃあ、トラックから北堂先生の荷物を下ろしたら、ひとまずお昼ご飯にしましょうか?」

 ヨハンナ先生が言った。

 時刻は、一時ちょっと前だ。


「引っ越しなので、お昼はお蕎麦にしました。まだちょっと寒いから、かけそばにします。天ぷらも揚げますから、お好みで天ぷらそばにしてください」」

 御厨が言った。


 御厨が作る、桜エビやホタテの貝柱が入ったかき揚げは、さっそく、新しく来た二人の胃袋を捉えるだろう。


 これから主夫部で新しい住人のお世話が出来ると思うと、春からわくわくする。

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