第198話 送別会

 春らしい桜色のテーブルクロスを敷いた。

 寄宿舎の食堂が、ぱっと花が咲いたように明るくなる。

 普段の落ち着いた雰囲気の食堂もいいけど、やっぱりパーティーなんだから、こういう華やかなのがいいと思って選んだ。


 僕がテーブルクロスを敷いて悦に入っていたら、

「先輩、何サボってるんですか? 仕事はまだまだありますよ」

 後ろから、弩に声をかけられた。


「お布団干ししてください。どうせ今日は、みんなここに泊まることになるんですから」

 水色のエプロンをつけて、腕まくりした弩が言う。

 ポニーテールにした弩の長い髪が、背中で揺れていた。


「それが終わったら、台所の御厨君のサポートに入ってくださいね」

 弩が、次々に指示を出す。


「はい、分かりました」

 僕はなぜか、敬語を使ってしまった。


 僕と弩がそんな遣り取りをしていたら、ヨハンナ先生が段ボール箱を抱えて食堂に入ってくる。

 クリーム色のケーブルニットに、デニムのヨハンナ先生。


「買い出し行ってきたよー。ビールに焼酎に日本酒にワインに泡盛。お酒はばっちり。ポテチとか、鮭とばとか、乾き物のおつまみもね」

 段ボール箱から出した酒瓶をテーブルに並べて、先生はご満悦である。


「先生、今日の主役は卒業生の皆さんなんですよ。お酒は控えめにしてくださいね」

 腕組みした弩が、先生の前に立って注意した。


「えっ? う、うん……」

 ヨハンナ先生は気圧されている。


「それから、管理人として、皆さんを送るスピーチ、考えてきました?」


「あっ、えっと、その辺は、成り行きで……思いついたことを話そうかと……」


「お酒が入って、しどろもどろになる可能性もあるので、前もって考えておいたほうがいいんじゃないですか? 国語の先生なんですから、故事の一つも引いた気の利いたスピーチをしたらどうでしょう」

 弩が提案した。


「は、はい、そうですね」

 とうとうヨハンナ先生まで、弩に敬語を使いだす。



 今日の弩は、いつもと違った。



 鬼胡桃会長と縦走先輩、古品さん、母木先輩を送る送別会の実行委員長に任命したら、弩が覚醒したのだ。

 三年生の先輩達を、最高の形で送り出すんだって、張り切っている。


 朝から僕や錦織、御厨やヨハンナ先生に、次々に指示を出していた。

 しかも、その指示が一々的確なのだ。


 さすが、のちに大弓グループを率いる器、っていうことだろうか。


 玄関では、萌花ちゃんと新巻さんが「送別会会場」の看板を立てて、花や紙テープ、風船で飾ってるし、寄宿生、主夫部、全員が、弩の指示の下、動いている。



 鬼胡桃会長が去った後、この寄宿舎を仕切るのが弩だなんてことは……


 まあ、ないと思うけど。




 お昼過ぎになって、今日の主役達が、姿を見せた。


「よう、みんな、久しぶり」

 まず最初に現れたのは、縦走先輩だ。


 玄関に立った先輩は、真新しい紺のスーツを着ていた。

 足元はヒールの高い靴を履いているから、いつもよりも、もっと背が高い。


「午前中、入社式があって、こんなものを着せられてしまったんだ」

 縦走先輩が窮屈そうにシャツのボタンを外した。

 ジャージとかトレーニングウエアの縦走先輩もいいけど、パリッとしたスーツも格好いい。

 先輩は背が高いし、肩幅があるから、スーツが似合っていた。


 台所から飛んできた御厨が、先輩を見上げて、見とれている。

 縦走先輩はそんな御厨にウインクした。


「ところで、何か食べるものはないかな? 慣れないことをしたから、お腹が減った」

 縦走先輩が言う。


 良かった。


 外側はすっかり社会人だけど、中身はいつもの縦走先輩だ。




 次に寄宿舎の玄関に現れたのは、鬼胡桃会長と母木先輩だ。

 二人は明後日には東京に発つことになっていて、忙しい中、時間を割いて来てくれた。


 春っぽい、サーモンピンクのコートを着た鬼胡桃会長と、グレーのジャケットの母木先輩。

 元々、大人っぽい二人だから、もう大学生で通りそうだ。


「久しぶり」

 母木先輩が爽やかな笑顔で言った。


「ただいま」

 鬼胡桃会長が言う。


 ラブラブの二人は当然、手を繋いで来ると思ったら、50㎝くらい距離を置いて立っていた。

 一緒に来たのに、なんだか、よそよそしい。

 せっかくの送別会なのに、どこか微妙な空気だ。


「あの、お二人、喧嘩でもしたんですか?」

 僕が、恐る恐る訊いた。


「まあね」

「ちょっとな」

 二人は、お互いに目を合わせないで言う。


 そんな……

 ラブラブの二人が、こんな日に限って喧嘩だなんて。


「原因は、なんですか?」

 弩が鬼胡桃会長に訊いた。

 実行委員長として、捨ておけないって思ったんだろう。


「それがね、弩さん。午前中、同棲する二人の部屋に置くベッドを選んでたの。そしたら、みー君、ベッドは別々にしようなんて言うんだもの。私は、キングサイズのベッドで一緒にって、言ったのに」

 鬼胡桃会長が言う。


「だって、トーコは、寝相悪いだろ」

 母木先輩が抗議した。

「あー、ひどーい!」

 鬼胡桃会長が口を尖らせる。


「ああ、はい……」


 今、僕達は、濃厚な「のろけ」を聞かされている。

 なんて甘い喧嘩なんだ。


 みんなが、ヤレヤレって顔した。


「は、は、は、母木先輩は、鬼胡桃会長が寝相悪いの、なんで、知ってるんですか?」

 弩が顔真っ赤にして訊く。

 頭の天辺から蒸気を噴いて倒れそうだから、二人とも、これ以上、弩のライフを削るのはやめてください。




 ゲストの先輩達には、部屋着に着替えて、楽な格好をしてもらった。


 一応、送別会の始まりの時刻としていた午後二時前に、古品さんから実行委員長の弩に電話がかかってくる。


「古品さんは、忙しくて、二時までには来られないそうです」

 電話を受けた弩が言った。


 メジャーデビューと新曲のプロモーションで忙しい古品さんは、絶対に送別会には出るって言ってくれてたけど、昨日の段階で急な仕事が入って、来られるか、微妙な状態だ。


「仕事が終わったら絶対に駆け付けるって、言ってくれてますから、始めてましょうか?」

 弩がみんなに訊く。


「そうね。どうせ、一晩中、続けるんだし、始めましょう」

 ヨハンナ先生が言った。


「早く来ないと、料理、全部食べちゃうぞって、言っておいてくれ」

 縦走先輩が笑いながら言う(縦走先輩が言うと、しゃれにならずに本当に食べちゃう可能性は、否定できない)。




 準備が整った食堂に、先輩達を案内する。


 僕が敷いた桜色のテーブルクロスの上には、御厨が腕によりをかけた料理が、これでもかと並んでいた。


 お寿司や、おにぎり、パエリア、ピザや、サンドイッチ。

 鶏の唐揚げやエビフライ、天ぷらなどの揚げ物の大皿。

 ローストビーフやスペアリブ、豚の角煮、ミートローフ、生ハムや手作りソーセージの皿。

 シーザーサラダに、スモークサーモンのサラダ。

 クラムチャウダーに、ミネストローネ。

 ケーキやタルト、杏仁豆腐に、フルーツポンチで、デザートも抜かりなかった。



「あなた達、頑張りすぎじゃない?」

 テーブルの上の料理を眺めて、鬼胡桃会長が言う。


「全部、食べていいのか?」

 縦走先輩が涎を垂らした。


「はい、まだまだこれから焼き鳥も焼きますし、カレーもスパゲッティーも、グラタンもありますから、全部食べてください」

 御厨が言う。


 料理だけではない。


 窓側のサンルームには、簡単なステージが作ってあった。

 ステージ脇にはPAセットも用意してあって、卒業生を送る余興にも、カラオケにも対応している。


 会が長引いて、夜を徹して思い出話を話し込むことになってもいいように、ラグを敷いて、クッションとブランケットを置いた「くつろぎスペース」も作ってあった。



「それでは、これから、寄宿生、主夫部、三年生の送別会を始めます」

 実行委員長の弩が宣言する。


「でも、その前に……」


 女子達が、鬼胡桃会長を囲んだ。

「ちょ、ちょっとあなた達、なにするの!」

 鬼胡桃会長は、女子達に引っ張られて連れて行かれる。

「ちょっと、いい加減にしなさい!」

 会長が言っても、女子達は聞く耳を持たず、縦走先輩ががっちりとホールドしてるから、絶対に逃げられなかった。

 鬼胡桃会長は、そのまま107号室に連れて行かれる。


 会長が連れて行かれるのを、母木先輩が呆気にとられて見ていた。


「先輩は、こっちに来てください」

 母木先輩は、僕達の男子の担当だ。


 僕達は、母木先輩を105号室に連れて行く。


 そこは花婿の控え室になっていて、ハンガーにグレーのタキシードがかけてあった。


「これを着てください。今から結婚式をします」

 僕がそう言うと、母木先輩は困ったように、頭を掻く。


「僕が作った安物ですけど、リングも用意してあります」

 錦織が言って、シルバーのリングを渡した。


 107号室から悲鳴が聞こえたのは、たぶん、ウエディングドレスを見せられた鬼胡桃会長の、歓喜の悲鳴だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る