第196話 錬金術
「柔軟剤作るって、なに? 地面に魔法陣とか書いて、そこから柔軟剤を錬成するの?」
花園が訊いた。
部屋着のグレーのパーカーで、ポケットに両手を突っ込んでいる花園。
「お兄ちゃんは錬金術師か!」
僕は突っ込んだ。
たぶん、「錬金術師か!」って突っ込むのは、一生でこの一回限りだと思う。
「違うよ。この材料で、一から作るんだ」
僕が段ボール箱の中身を指して言うと、
「えっ! 柔軟剤って作れるの?」
花園が目を丸くして訊いた。
その隣で枝折は、箱の中から精油の小瓶を出して、珍しそうに眺めている。
「うん、作れると思う。前に、気に入った香りの柔軟剤が見つからなくてネットで色々調べてたら、自分の好きなアロマを調合して、自家製の柔軟剤作ってる人の記事見たんだよ。それで、いつか時間があったら柔軟剤を作ってみたいと思ってたんだ」
僕が言うと、花園と枝折は、感心したらいいのか、文句を言ったらいいのか、微妙な顔をした。
「いつか時間があったら柔軟剤を作ってみたいって思ってる男子高校生は、きっと、この世の中でお兄ちゃんだけだよ」
花園が言う。
そんな、僕を珍獣みたいに言うな。
「でも、一人一人に合わせた柔軟剤作って香りのプレゼントするのは、お兄ちゃんらしくていいと思う。ありきたりのお返しよりずっといい」
枝折が、口の端を2ミリくらい持ち上げて言った。
この表情、僕を絶賛してくれてるらしい。
「そうだね。よし! 花園も作るの手伝う。面白そうだし」
花園の方は、好奇心いっぱいって感じで、パーカーの腕をまくった。
夕飯を食べて片付けを済ませたあとで、僕達は、兄妹三人で柔軟剤作りを始める。
ダイニングテーブルの上に新聞紙を敷いて、材料と道具を並べた。
精製水のボトルに、グリセリンのボトル。クエン酸のボトル。
青や茶色の、アロマの精油の遮光瓶。
完成した柔軟剤を入れるガラス瓶。
計量カップや、計量スプーンに、かくはん棒。
「まずは、完成した柔軟剤を入れる容器を洗って、煮沸消毒しよう。市販品みたいに防腐剤を入れないから、雑菌が繁殖したらいけない」
僕が言うと、「はーい」と、花園が、大鍋を火にかけた。
僕と枝折で、瓶を綺麗に洗う。
洗った瓶を沸騰した熱湯に入れて二、三分煮たら、余熱で完全に乾くのを待った。
この辺の作業は、ジャム作りで何回も経験してるから、みんな慣れたものだ。
「この後は?」
花園が訊いた。
「グリセリンとクエン酸、精製水と、アロマの精油を入れて、混ぜる。これだけ。順番も、特に関係ないみたいだし」
きっと、ジャムを作るより簡単だ。
「これだけ? なんだ、簡単じゃん」
肩透かしをくった花園が、不満そうに言う。
「うん、でも、アロマの精油のブレンドが、
「そっか」
花園はうんうんと納得した。
「まずは、弩の分を作ろうか。弩は、どんなイメージ?」
僕は二人に訊く。
「ゆみゆみか……」
花園と枝折が、空で考えた。
「ちっちゃくて、可愛くて、ふわふわしてて、妹みたい!」
花園が言う。
二つ年上のお姉さんに妹って……
「そうだな。それじゃあ、花がちっちゃくて可愛いし、カモミールを中心に、ゼラニウムとラベンダーを入れてみようか」
アロマの遮光瓶から、カモミールを十滴、ゼラニウムとラベンダーを数滴、瓶の中に垂らしてみた。
「どうかな?」
僕が訊くと、花園と枝折が、くんくん香りを嗅ぐ。
「うん、ゆみゆみっぽい。女の子って感じ」
花園が言う。
「ラベンダーをもうちょっと足してもいいかも」
枝折が言った。
言われたとおり、ラベンダーを二滴足してみる。
「うん、ゆみゆみだ。悪戯したくなる香り」
花園が言った。
花園、その言い方はやめなさい。
香りが決まったところで、他の材料を適量入れて、枝折がよく混ぜる。
瓶には、花園が「ゆみゆみ」と書いたラベルを貼った。
「よし、じゃあ、次、ヨハンナ先生。ヨハンナ先生は、これを中心に組み立てようと思うんだ」
僕は、イランイランの精油が入った瓶を、二人に嗅がせた。
「なんか、大人な香りだね」
「凄く、色っぽいっていうか……」
花園と枝折が言う。
「これだと、セクシー過ぎるから、ライムで柑橘系の香り入れて、ゼラニウムを少し」
僕は、一滴一滴、丁寧に注いで混ぜた。
「どう?」
「大人カッコイイ香り。さっきよりしつこくないし」
枝折が言う。
「でも、ヨハンナ先生がこんな香りさせてたら、男子生徒、みんなメロメロになっちゃわない?」
花園が訊いた。
「大丈夫。香りは市販の柔軟剤みたいにはっきりとは出ないし、周りには微かに香るかな、って程度だから」
「ふーん」
まあ、僕も受け売りなんだけど。
「じゃあ、次は、新巻さんで」
僕が、次の瓶を用意する。
「新巻さんは、キリッとした知的なのがいいと思う!」
枝折が手を挙げて言った。
新巻さんのファンだけあって、枝折は積極的だ。
「それじゃあ、ペパーミントとか、ユーカリとか、清涼感がある香りに、ラベンダーで花の香りも少し足して……」
枝折が真剣に見てるから、僕も真剣にブレンドする。
瓶を仰いで、香りを枝折に嗅がせた。
「どうかな?」
僕が訊くと、目を瞑ってしばらく考えた枝折が、「うん」と頷いてくれる。
「合格だよ、お兄ちゃん」
スッとした香りは、執筆の途中で気分をリフレッシュするのにいいと思う。
「ラベルは枝折が書くから」
枝折は花園からペンを取って、「森園リゥイチロウ様」と、丁寧に書いた。
こんなに新巻さんに
「じゃあ、次は、萌花ちゃん」
「萌花ちゃんにはこれがいい」
花園が選んだのは、ローズウッドの精油だった。
バラの香りの中にピリッとスパイシーな香りがある。
それは、見た目可愛いのにカメラを持つと大胆になる萌花ちゃんに合ってるかもしれない。
「じゃあ、これに、ラベンダーとゼラニウムで、華やかさを足そう」
二つを足したら、萌花の名前にぴったりな、華やかな香りになった。
こうして三人で柔軟剤を作っていると、ずっと精油の香りに包まれてるからか、なんか、心が落ち着いて、幸せな気持ちになる。
これが、アロマの効果だろうか?
花園も枝折も、とろんとした目をしているし、血色も、いつもよりいいような気がする。
出来上がった柔軟剤の瓶を眺めていたら、
「ねえねえ、お兄ちゃん、花園のも作って!」
花園が、そんなことを言い出した。
「あれぇ? 花園ちゃん、お兄ちゃんからのホワイトデーのお返しは、いらないって言ってなかったっけ?」
僕は、意地悪く訊いた。
確か花園は、お兄ちゃんからのお返しなんて嬉しくないとか、めちゃくちゃ言ってたはずだ。
「まあまあ、細けぇことはいいんだよ」
花園が、背中に回って、僕の肩を揉みながら言う。
「そうだな、まだ材料もあるし、それじゃあ花園ちゃんをイメージした香りの柔軟剤も作ろっか。可愛くって、花園の名前の通り、フローラル系全開のやつ」
僕が言うと、
「うん、やった!」
って、弾けた声を出しながら、花園が僕の背中に抱きつく。
「お兄ちゃん、だーい好き」
なんて現金なやつだ。
枝折が、そんな僕達を見ていた。
無言で、じっと見ている。
「枝折ちゃん。枝折ちゃんも、作って欲しいの?」
僕が言うと、枝折がコクりと頷いた。
恥ずかしがって、僕と目を合わせずに下を向く。
「よし! 枝折ちゃんの柔軟剤も作ろう。知的でクール、だけどその奥に、可愛い花の香りが漂うっていうイメージで」
僕が言うと、枝折の顔がぱっと明るくなった。
「ありがと」
枝折は、上目遣いに言う。
いつもクールな枝折が見せるこんな顔が、たまらなく愛らしい。
「ほら、枝折ちゃんおいで、一緒に、お兄ちゃんに抱きついちゃお」
花園が手を引っ張って、僕の背中に枝折と花園がくっつく。
甘い香りの中で、妹二人がじゃれついて来て、幸せだ。
「で、お兄ちゃん。この中で、本命は、どれなの?」
花園が、柔軟剤の瓶を指してそんなことを訊く。
「どの瓶が本命なの?」
そこにあるのは、弩の瓶と、ヨハンナ先生の瓶、新巻さんの瓶と、萌花ちゃんの瓶。
「ほら、私達、目を瞑ってるから、指してみ」
花園が言った。
いや、二人とも、目がぱっちり開いてるんですけど。
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