第195話 自家製
「先輩、篠岡先輩!」
放課後、寄宿舎の裏庭で洗濯物を取り込んでいたら、誰かに呼ばれた。
「先輩、篠岡先輩?」
目の前に、子森君がいる。
サッカー部一年の、子森翼君。
子森君はパステルピンクのエプロンをして、頭に同じ色の三角巾をしていた。
そして、さっきから何度も僕を呼んでたみたいだ。
「ああ、ゴメン、ゴメン」
僕は、我に返る。
考え事をしていて、ぼーっとしていた。
ホワイトデーのことで、みんなからお返しはいらないって言われたり、枝折に本命には渡したらって言われたり、昨日から、そのことばかり考えている。
「それで、なんだっけ?」
洗濯物を籠に取り込みながら、僕は訊いた。
「はい、あの、僕、お弁当のおかず作ったんで、味見してもらっていいですか?」
子森君はそう言って、持っていた皿と箸を僕に差し出す。
「ああ、そっか。うん、もちろん」
僕は洗濯の手を休めて、箸を取った。
皿の上には、卵焼きとカボチャの煮物に、小アジのみりん干しが載っている。
それぞれが食べやすいように、一口大に切ってあった。
「これ、子森君が作ったの?」
「はい、御厨に教えてもらいながら作りました」
皿の上のそれぞれのおかずは、見た目が綺麗だし、形も崩れてなかった。
漂ってくる匂いも美味しそうだ。
「いただきます」
子森君は、僕が味見するのをじっと見守っていた。
忠犬のように、静かに僕を注目している。
見られながら食べるのは、ちょっと恥ずかしかった。
「うん、美味しいよ。卵焼きの甘さも丁度いいし、カボチャもホクホク。それに、この、小アジのみりん干し、自家製?」
僕が訊くと、子森君は「はい!」と、嬉しそうに頷いた。
「マネージャーが魚好きだって言ってたんですけど、焼き鮭とか、アジフライだと代わり映えしないから、みりん干し作ろうってことになって、御厨が教えてくれました。ネットに入れて、二階のベランダに干したんですよ」
子森君が興奮気味に言う。
魚のおかずとなって、
この塩気は、お弁当のご飯が進むと思う。
「料理経験がないところから、よく、ここまで出来るようになったよ」
僕が褒めると、子森君は、ほっぺたをピンクにしてはにかんだ。
「みなさんの教え方がいいんです」
子森君は、そんな可愛いことを言う。
ここ数日、主夫部にいるだけで、子森君は、掃除も洗濯も一通り出来るようになった。
めきめきと主夫力が上がっている。
真面目だし、熱心だし、素直だからどんどん吸収した。
ただイケメンなだけの、チャラチャラした一年生じゃないのは分かった。
「マネージャーのために何かしてあげたいって思うと、色々、工夫したくなるんです。先輩が言ってた通り、家事は、全然、苦じゃありません。もっともっと、色々、作りたいです。彼女達のために、色々、してあげたいです」
子森君は、白い歯を見せて、キラキラした笑顔で言う。
なんて、いい子なんだ。
目の前の手頃な位置に頭があるから、弩にするみたいに、頭を撫で繰り回しそうになって、ギリギリのところで、耐えた。
「頑張ってる女子に、色々してあげたいんです」
そうなんだ、子森君が言う、この感覚。
女子のために、何かしてあげたいっていうこの気持ち。
これが、家事をしてるときの僕達の気持ちなんだ。
子森君を見ていると、その初心を思い出す。
「それじゃあ、次の料理、教えてもらいますね。また、味見、お願いします!」
子森君はそう言って、走って台所に戻って行った。
僕も、女子達にホワイトデーのお返しをしたくなる。
お返しにあんなに情熱を傾けられる子森君が羨ましかった。
女子達は僕を気遣ってお返しを断ったけど、やっぱり彼女達に何かしてあげたい。
だけど、女子達はプレゼントを受け取らないって言うし、どうしよう。
僕はそんなことを考えながら、取り込んだ洗濯物が入った籠を抱えて、ランドリールームに帰った。
抱えた洗濯籠から、柔軟剤のいい香りが漂ってくる。
顔を埋めたくなるような、いい香り。
洗い上がった洗濯物の、清潔で、甘い香り……
「先輩、私達の洗濯物の匂いを嗅いで、悦に入らないでください」
廊下で、ちょうど前から歩いてきた弩が、眉間に皺を寄せていた。
部屋着の水色のワンピースに黒いスパッツ、上に薄黄色のカーディガンを羽織った弩。
弩からは、別の柔軟剤の香りが漂ってくる。
「どうしたんですか先輩? 基本的に変ですけど、今は特に変です」
弩がちょっと動くたびに、服が擦れて香りが広がった。
「そうか! この香り、これだ!」
「先輩、どうしたんですか? また、良からぬことでも、思いついたんですか?」
弩が、失礼なことを訊く。
「ああ、思いついた。弩、ありがとう。ホントに、ありがとう!」
僕はそう言って、弩の頭を撫で繰り回した。
弩は、わけも分からず「ふええ」と言う。
そうだ、あれを作ろう。
あれで、みんなにお返しをしよう。
その日、僕は学校帰りに輸入雑貨を扱う店に寄って、アロマテラピー用の精油を買った。
ジャスミンやラベンダー、ゼラニウムにイランイランなど、十種類くらいを買う。
その足で、ドラッグストアに寄って、精製水とグリセリン、クエン酸を買った。
500ミリリットルの精製水のボトルを十本も買ったから、段ボール箱に入れてもらって、結構な荷物になる。
箱を抱えて家に帰ると、
「どうしたのお兄ちゃん? 学校中の女子に、クッキーでも作って配るつもり?」
大荷物を見て、花園が怪訝な顔で訊いた。
枝折も、騒ぎを聞きつけて二階から下りてくる。
「いや、クッキーは作らない」
「それじゃ、ケーキかなんか? やっぱり、ホワイトデーのお返し、することにしたんだ」
「いや、ケーキでもない。だけど、ホワイトデーのお返しはすることにした。みんなに断られたし、特に寄宿生は、お返しを受け取らない取り決めをしてるから、何か作っても受け取ってもらえないと思う。だから、物じゃないお返しをするんだ」
「物じゃないお返し?」
花園が、頭から大きな「はてな」を生やした。
「そう、物は贈らない。香りでお返しする」
「香り? お兄ちゃん、香水でも作るの?」
枝折が訊いた。
「いや、これから、これで柔軟剤を作るんだよ」
僕は段ボール箱を開けて、二人に中を見せる。
箱の中には、精油の
「柔軟剤を? 作る?」
枝折と花園、姉妹が声を揃える。
「一人一人をイメージした香りの柔軟剤を作って、みんなに香りでお返しをするんだ」
僕が説明したけど、二人は何のことか、分かってないみたいだ。
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