第194話 オフサイド

「それじゃあ、その洗濯籠持って、僕についてきて」

 僕が言うと、子森こもり君は「はい!」と、小気味よく返事をして、籠を持ち上げた。

 朝早いのに、眠そうな顔もしてないし、真っ白い歯を見せて爽やかだ。

 サッカー部の朝練で、早起きに慣れてるからだろうか?


 寒いのに、上はジャージ、下は短パンで、無駄に元気だし。




 今日から、子森君は主夫部の朝練に参加していた。

 ホワイトデーに、マネージャーを休ませて、お弁当をプレゼントするってことで、朝は僕から洗濯を習って、午後は御厨から料理を習う予定だ。



 僕達は、物干し台がある裏庭に出た。

 空は真っ青で、洗濯日和だ。


「それじゃあ、物干し竿の朝露を拭こうか」

 僕が言うと、

「はい!」

 と、子森君は雑巾を持ってすぐに動いた。


 裏庭は寄宿舎の建物の陰になっていて、まだ日は当たってない。

 四本並ぶ物干し竿のうち、一本は一日中、日が当たらないから、陰干しするのに丁度よかった。


「洗濯物は、皺を伸ばしてから干す。それくらいは分かるよね」

 僕が訊くと、

「まあ、はい」

 と、子森君は曖昧に答える。

 Tシャツを叩いて、皺を伸ばして干して、見本を見せた。


「分かりました」

 子森君は真似をして怖々、やってみる。


「それから、風で動いて洗濯物が重ならないように、洗濯ばさみを竿に挟んで、ハンガーを止める小技ね」

 ハンガー毎に洗濯ばさみを挟んで、止める方法を教えた。


「勉強になります」

 子森君は、こんな細かいことでも、素直に聞く。



 僕が、弩のパンツを干そうとしたら、

「あの、先輩。パンツも洗濯するんですか?」

 子森君が目を丸くして僕に訊いた。


 まったく、おかしなことを訊く。


「君は、パンツを洗濯しないのか?」

 僕が訊き返した。

 一回穿いたら捨てるとか、ずっと洗濯せずに穿き続けるとか。


「いえ、そういうことじゃなくて……女子のだし」

 子森君は頬を赤らめている。

 首を竦めるようにしていた。


 ああ、なるほど、そういうことか。


「僕達は主夫を目指して日々、部活動をしてるんだし、パートナーのパンツを洗うのは当たり前だろう?」


「はい……」


「君のお母さんは、君が男子だからといって、君のパンツを洗うのを躊躇ためらったりするか?」


「いえ、しません」


「それと同じで、僕達も、弩が女子だからといって、パンツを洗うのを躊躇ったりはしない」


「なるほど、確かに、そうですね」

 子森君はそう言って、深く頷く。



「あのあの、さっきから、私のパンツを巡って、男子二人で、真剣に話し合わないでください」

 後ろから声がすると思ったら、僕と子森君の様子を見に来た弩が、いつの間にかそこに居て、仏頂面ぶっちょうづらをしていた。


「ああ、ごめん。弩のパンツを巡って真剣に話し合ってごめんな」

 僕は謝る。


「弩、弩のパンツを巡って、先輩と真剣に話し合ってゴメン」

 子森君も頭を下げた。


「もう!」

 なぜだか、弩は呆れて行ってしまった。

 僕達は、パンツについて、真剣に話し合っているというのに。



「あの、先輩。先輩は、毎日、こうやって洗濯してるんですか?」

 子森君が訊いた。

「ああ。ここだけじゃない、家では妹達の分もやってるぞ」


「大変じゃないですか?」


「大変じゃないな。大好きな人達のために、色々してあげられると思うと、自然に手が動く。どうやったら、大好きな人がもっと快適に過ごせるようになるか考えてると、わくわくする。君達だって、ゴールを目指してボールを蹴りながら、ドリブルって大変だな、とか、思わないだろう?」


「はい」


「それに、綺麗に洗い上がった洗濯物を、このお日様の下に泳がせて、柔軟剤の香りに包まれながら干すのは、気持ちいいじゃないか。洗濯しながら、心まで洗われるような気がする。だから僕は、洗濯が大好きだ」

 下級生相手に、長々と語ってしまった。


「はあ」

 子森君は、今一、共感してないみたいだ。


「あの、先輩、その、柔軟剤ってなんですか?」


「そこからか……」


「僕、そんなに無知でしょうか?」

「ああ、サッカーで言うと、今の質問は、オフサイドってなんですか? って、訊くくらいの無知だ」


「なるほど」

 子森君は深く頷いて納得する。


「子森君は熱心だし、真面目だし、すぐに覚えるよ。服の畳み方とか、アイロンとかは、また後で教えるから」

「はい、お願いします!」

 根は素直でいい奴みたいだ。


 そんなふうにして、僕達の朝練は終わった。



 だけど、こうして他人のホワイトデーの手伝いなんかしてていいんだろうか?

 僕も、みんなへのお返しの準備をしないといけないって、考えてたら、


「ねえねえ、篠岡君」


 教室で、長谷川さん、菊池さん、松井さん、いつものトリオが、僕の机を囲んだ。


「篠岡君、もしかして、私達にホワイトデーにチョコのお返ししようとか、考えてる?」

 長谷川さんが訊いた。


「えっ? まあ、うん」

 言えない、子森君が来るまで、すっかり忘れてたなんて、言えない。


「だったら、それ、いらないよ」

 松井さんが言う。

「あれは、あのチョコは普段お世話になってる感謝のしるしだし」

 菊池さんが言った。

「篠岡君、モテモテでたくさんチョコもらったから、お返し大変でしょ?」

 長谷川さんがジト目で僕を見る。

 別に、モテモテじゃないけど。


「実を言うと、確かにお小遣いとか、大変だなって……」

 僕が言うと、みんなが笑った。


「そうだよね。私達も、男子高校生の経済力には期待してないよ。だから、ホントに、お返しいらないからね」

 松井さんが冗談めかして言ってくれる。


「うん、ありがとう」

 僕が言うと、三人は笑いながら行ってしまった。



「篠岡先輩!」

 昼休みに廊下ですれ違った麻績村さん達、バレー部員にも、同じようなことを言われる。


「お返しは本当にいらないですよ。だって、私達が一方的に渡したんだし。先輩の負担になったらいけないし」

 麻績村さんが言って、他のバレー部員も頷いた。



 放課後になって寄宿舎に行くと、

「篠岡君、私達、寄宿生の取り決めとして、ホワイトデーにバレンタインデーのお返しは、受け取らないことにしたから」

 新巻さんが、寄宿生を代表して言ってくる。

 弩と、萌花ちゃん、ヨハンナ先生も、それに頷いた。

「みんなにお返ししてたら、塞君、大変だもの。それに、まだ送別会の準備とかもあって忙しいでしょ?」

 ヨハンナ先生が言う。


 そう言ってくれると楽だけど、何かみんなのためにしてあげたいって、考えてたのもあるし、ちょっと寂しい。


 だけど、本当に、ホワイトデーに何もしなくていいんだろうか?

 みんなの言葉に甘えていいのか。



 家に帰ると、枝折まで、

「お兄ちゃん、お返しはいらないからね」

 って、言ってきた。


 夜、リビングのソファーで、テレビを見る僕の太股を枕にして、寝っ転がってスマートフォンを弄っている花園も、

「花園もいらないよ。お兄ちゃんからクッキーとか貰っても嬉しくないし」

 とか、平気で言う。


 僕にチョコレートをくれた女子、みんなが、お返しはいらないと言った。


 これは、あれか、もしかして、フリなのか?

 逆に、用意しろってことなのか?


 みんなの言うことを聞いて、何も用意しないでいると、当日になって、あの人、本当に何も用意してこなかったよ、とか、陰口言われちゃうんだろうか?

 やっぱり、その程度の男よね、って思われないだろうか?



 心配になったから、枝折と花園の二人に訊いたら、

「もう、お兄ちゃん、考えすぎだよ」

 って、二人に笑われた。


「まあ、お兄ちゃんは今まで、お母さんと私達からしかチョコ貰ったことがないから、しょうがないよね。家事は出来ても、恋愛は初心者だし」

 花園が知ったような口を利く。


 さっきから生意気だから、花園のほっぺたを広げて変顔にして、スマートフォンで写真を撮る刑に処した。

「ほひいひゃん、やめれー」

 花園が僕の膝の上で暴れる。



「みんな、お兄ちゃんに感謝してチョコくれたんだし、そのことを言ってくれてるんだから、何もお返ししなかったとしても、文句言ったりしないよ。お兄ちゃんにチョコくれた人達、みんな、そんな人じゃないでしょ?」

 枝折が冷静に言う。

 言われてみれば、確かにそうだ。

 僕にチョコをくれたみんなは、素敵な女子ばかりだ。


「でも、もし、お兄ちゃんにチョコをくれた人の中に、お兄ちゃんが想ってる人、本命のその人がいたなら、その人だけには、渡してもいいんじゃないかな?」

 枝折がそんなことを言った。


 本命?


 本命ってなんだ?


「どう? おにいちゃん、本命、いるの?」

 花園が、ほっぺたをさすりながら訊く。


 花園と枝折が、僕を見詰めた。


「やだ、もしかして、花園? じゃ、仕方ない、兄妹の垣根を乗り越えるよ」

 真剣に考えたのに、花園が茶化すから、もう一度花園を変顔にしておく。


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