第15章

第186話 FM

「先輩、今頃、鬼胡桃会長と母木先輩、試験の最中ですね」

 段ボール箱に本を詰めながら、弩が言った。

 水色のジャージにピンクのエプロンで、長い髪を後ろでまとめた弩。


「そうだな。午後の試験が始まった頃かな」

 僕は答えた。


 鬼胡桃会長と母木先輩は、昨日と今日の二日間、志望大学の二次試験だ。

 二人は一昨日おとといから上京して、ホテルに泊まっている。


 今朝、頼まれていたモーニングコールをしたら、会長も先輩も、もうとっくに起きてたみたいで、いつもの声が聞けた。

「篠岡君、一分三十二秒遅いわよ」

 鬼胡桃会長には、そう怒られたくらいだ。


「お二人とも、大丈夫ですよね」

 弩が訊く。


「ああ、あの二人なら、間違いない。いいから、手を動かせ」

「はい」

 弩は、止まっていた手を動かして、本を段ボール箱に詰めた。


 寄宿舎、101号室の部屋中、段ボール箱だらけだ。


「縦走先輩、これは、実家と寮、どっちですか?」

 弩が訊いた。

「それは、教科書とか学校関係の本だから、実家だな」

 縦走先輩が言って、箱に「実家」とマジックで書いた。



 僕達は、朝から縦走先輩の引っ越しの手伝いをしている。

 卒業後、実業団の陸上部に入る縦走先輩は、会社が用意した寮に入ることになっていた。

 卒業式まで間があるし、先輩がここを去るのは、まだ少し先のことだけど、必要最低限の身の回りの物を残して、今日、片付けてしまうのだ。


 鬼胡桃会長と母木先輩、そして、仕事でいない古品さん以外の寄宿生、主夫部、総出の作業だった。




「先輩、学校のジャージとか、体操着とかどうしますか?」

 洗濯物は僕の担当だから、先輩の衣類をより分けている。


「そうだな、それは篠岡にやろう。サイズが同じだから、篠岡なら着られるだろう。部屋着にでもしてくれ」

 縦走先輩が言った。


「そして、それを着るたびに、私のことを思い出してくれ」

「は、はぁ」

 確かに、部屋着とか家事するときに着るには、丁度いいけど。


「欲しかったら、セーラー服もあげるぞ」

 先輩がそう言って、僕にセーラー服を当てる。

「いえ、遠慮しておきます」

「なんだ、篠岡は遠慮深いな」

 縦走先輩はそう言って笑った。


 縦走先輩にこうやってからかわれるのも、あと少しか。


「だったら、私がもらおうかな」

 突然、ヨハンナ先生が言った。

 もらおうかなって言って、下を向いてちょと照れている。

 先生、一体、何に使うんだ……




 みんなで黙々と作業していて、三時になろうかって頃に、

「みなさん、おやつにしましょう」

 台所から御厨が呼びに来た。

 僕達は作業を中断して、食堂で休憩する。


 今日のおやつは、御厨の手作り肉まんだ。

 引っ越し作業でお腹が減ったところに、蒸し上がったばかりの具がぎっしりと詰まった肉まんがありがたい。


「あ、そうだ。もうそろそろ、ラジオの時間だな」

 錦織が言った。


 古品さん達、「Party Make」のメンバーは、今、メジャーデビューシングルのプロモーションで、全国のFM局を回っている。

 今日も三時から、徳島のFMに出る予定だ。


 錦織が自分のスマートフォンを、食堂のコンポのスピーカーに繋いだ。

 スマホのアプリで全国のFM放送が聴けるようになっていて、錦織は徳島の放送局に合わせる。


 おやつを食べながら、三人が出るラジオ番組を聞いた。


「ほしみかです! ふっきーです! な~なです! 三人揃って、『Party Make』です!」

 ラジオから、おなじみの挨拶が聞こえる。


「三人はもうすっかり、アイドルさんですね」

 弩が言った。

 男性パーソナリティの前で、三人ともアイドルらしい弾けた声を出している。


「ラジオでの受け答えなんかも、慣れてきたよね」

 ヨハンナ先生も言った。


 古品さん達は、パーソナリティの厳しい突っ込みとかも、上手く受け流していた。

 これからメジャーデビューする新人アイドルだけど、ライブやフェスで、十二分に場数を踏んでるから、「Party Make」はその辺の新人アイドルとは違うのだ。


「私達のデビュー曲は、私が住んでいる寄宿舎を題材にしてるんです」

 古品さんが言った。


「今時、寄宿舎なんて珍しいね」

 ってパーソナリティの人が言って、

「すごく温かくて、私を支えてくれた大切な場所です」

 って答える。


 それがまるで、古品さんが僕達に向けて言ってくれてるみたいに聞こえた。


「それでは、聞いてください。私達、Party Makeで、『寄宿舎を抜け出して』」

 三人が曲紹介して、メジャーデビュー曲が流れる。




 授業はいつも居眠り

 私は永遠の眠り姫


 厳しいダンスレッスンで 

 いつもくたくたなんだもの


 宿題はいつも手付かず

 先生、今日も見逃して


 退屈な公式なんかより 

 歌詞を覚えていたいから



 ぼさぼさ頭の陰キャの私が

 そこではピカピカヒロインに変わる



 寄宿舎を抜け出して

 秘密の地下道を通って


 寄宿舎を抜け出して

 秘密のライブに行こう 

 

 寄宿舎を抜け出して

 秘密の地下道を通って


 寄宿舎を抜け出して

 秘密のライブに行こう 


 地下のライブハウスでは

 最前であなたが待ってる




 古品さん達のデビュー曲『寄宿舎を抜け出して』は、王道って感じのアイドルソングだった(カップリングがバキバキのEDMってところは「Party Make」らしい)。



「この歌聴くと、俺たちが初めて古品さんに会った頃のこと、思い出すな」

 錦織がしみじみと言う。


 その頃の古品さんは、夜はライブやレッスンで忙しくて、この寄宿舎に寝に帰るだけのような生活を送っていた。

 そして夕方むっくりと起き上がって、地下アイドルに戻る毎日だ。


「彼女がそこから、抜け出したのは、あなた達、主夫部のおかげよね」

 ヨハンナ先生がそんなことを言ってくれた。


「いえ、先生だって、ライブハウスまで、古品さんの送り迎えとか、ずっと応援してたじゃないですか」

 三人に専属のマネージャーが付くまで、ライブや、レッスンの送り迎えは先生がしていた。

 出席日数が足りなくて、また留年しないようにって、気を使ってたのも先生だ。


「いつか、彼女達が覇権を取るようなアイドルになったら、歴史の目撃者として、伝記を書くわ」

 新巻さんが言う。


 その時、装丁に使われるのは、萌花ちゃんの写真だろう。




 古品さん達のラジオ出演を聞き終えて、お腹のほうも一杯になった達は、充実した気分で、作業に戻った。


 101号室を片付けたら、縦走先輩がトレーニングルームとして使っていた102号室の器具も運び出す。

 ヨハンナ先生が二トントラックを借りてきて、先輩の実家まで運んでいった。



 二部屋の片付けが済んで、夕方五時前には、あらかた空っぽになってしまう。

 元々、縦走先輩の部屋は余計な物がほとんどなくて殺風景なくらいだったけど、がらんとした部屋は、寒々としていた。


「先輩、寂しいです」

 弩が、そう言って縦走先輩に抱きつく。

 先輩の体に手を回して、ひしと抱きついた。


「おいおい、弩、私はどこか遠くに行ってしまうわけじゃないぞ。ここから会社の寮まで、たった30㎞しかない。会いたくなったら、一っ走りの距離じゃないか」

 縦走先輩が言う。


 あの、30㎞を一っ走り出来るのは、縦走先輩だけです。


「時々、御厨の料理も食べたいし、私はちょくちょくここに顔を出す、面倒なOGになるから、悲しまなくていい」

 先輩はそんなふうに言って、弩の頭を撫で繰り回した。

 弩が涙目で「ふええ」と言う。


 一人っ子の弩にとって、縦走先輩も鬼胡桃会長も、古品さんも、姉みたいな存在だったんだろう。

 寂しくてたまらないのだ。


「よし、今日は鬼胡桃の部屋に世話になろうと思ったが、弩の部屋で寝よう。いいか?」

 縦走先輩が訊いて、弩が「はい!」と返事をする。

 仲の良い姉妹っていうか、母と娘というか。





 夜になって、鬼胡桃会長と母木先輩が帰ってきた。

 新幹線の駅に迎えに行ったヨハンナ先生の車で、二人とも、無事、ここに戻ってくる。


 もちろん、僕達は玄関で揃って出迎えた。


「お二人とも、どうでした?」

 誰も訊けないみたいだったから、僕が訊く。


「もちろん、ばっちりに決まっているじゃない。入試問題ごとき、この鬼胡桃統子の敵ではないわ」

 鬼胡桃会長が言った。

 会長は、いつもの涼しい顔をしている。


 良かった。

 この高飛車な物言いに、少しの躊躇もないところをみると、会長、本当に調子が良かったらしい。


「母木先輩は、どうですか?」

 続けて弩が訊いた。


「ああ、大丈夫だと思う」

 母木先輩も、柔らかい笑顔をしている。


「ねっ」

 と、手を繋いでいる鬼胡桃会長と母木先輩が、笑顔で頷き合った。

 なんか、うらやましい。


「ついでに、向こうで暮らすマンションの下見もしてきてやったわ。合格発表前に、早々と契約してやるわよ」

 鬼胡桃会長が言う。

 それでこそ会長だと思った。



「さあ、それじゃあ、ご飯にしましょう」

 御厨が言う。


 荷物とコートを僕達が預かって、二人を食堂の上座に座らせた。



 おかずを温め直したり、ご飯や、お味噌汁をよそっていたら、椅子に座っていた鬼胡桃会長が、少しの間に、テーブルに突っ伏して眠ってしまう。


「統子、おい統子」

 鬼胡桃会長はぐっすりと眠っていて、母木先輩が揺り起こそうとしても、起きそうになかった。


「母木君、いいよ、寝かせてあげましょう」

 ヨハンナ先生が言う。

「はい、そうですね」

 母木先輩は起こすのを止めた。


 会長は、腕を枕にして、顔に幸せそうな笑みをたたえて眠っている。

 こんなに幸せそうな会長の顔、初めて見た。




 鬼胡桃会長、口では強気なこと言ってるけど、すごく疲れてたんだろう。

 ここ数ヶ月、気を張っていて、それが解放されて、疲れが一気に出てきたんだ。


 眠ってしまった鬼胡桃会長は、母木先輩がお姫様抱っこで二階のベッドまで運んだ。

 そこに寝かせて、先輩が下りてくる。


「起きたら後で、夜食でも食べさせるよ」

 母木先輩が言う。

 なんか、母木先輩、もうすでに鬼胡桃会長の旦那さんみたいだ。



「じゃあ、残念だけど、今日はお預けだね」

 ヨハンナ先生は、このまま宴会に突入する気だったみたいで、テーブルにワインのボトルとか、日本酒の一升瓶を並べていた。


 先生、どれだけ飲む気だったんだ。



 まあ、先生、今日はトラックの運転に先輩達の送迎に大活躍だったから、瓶ビール一本くらい許してあげて、僕がお酌をしてあげよう。

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