第185話 ロール白菜

「ほら、先輩、行きますよ!」

 弩が、僕の手を引っ張った。

「お、おう」

 僕は、言葉とは裏腹に体を反らして、弩が手を引っ張る力にあらがう。


「もう! 先輩が怖がっててどうするんですか!」

 抵抗する僕を、弩が無理矢理連れて行こうとする。


「だってさ、人生が決まることだし、怖いじゃなか」


「大丈夫ですよ! 枝折ちゃんは受かってますから!」

 弩が、僕を睨みながら言った。

 なんだか、弩が大きく見える。




 今日、正午から、我が校の入学試験の結果が、校門の横の掲示板に張り出されることになっていた。

 合格者の受験番号が書かれた紙が、正午ぴったりに掲示される予定だ。


 四時限目の授業が終わったらすぐに行こうって思ってたのに、いざ、十二時を回ったら、怖くて見に行けなかった。


「まったくもう、お昼休みに先輩がいきなり呼び出すから、何事かと思ったら」

 弩が言う。


 一人で行くのが怖くて、誰か一緒に見に行ってくれと誘ったのに、誰も来てくれなかった。


「枝折ちゃんなら、大丈夫だろ」

 とか言って、みんなに断られた。


 僕だって、枝折の合格は信じている。

 だけど、万が一のことがあったら、と思うと、怖くて見に行けないのだ。



 仕方なく、一年生の教室まで行って、弩を誘った。


 実は、その前にヨハンナ先生にそれとなく、「枝折は合格してますか?」って訊いたんだけど、ヨハンナ先生は、

「受験のことについては公平を期するために一切ノーコメント」

 って、取り合ってくれなかった。

 普段、あれだけいい加減なくせして、先生はその辺については厳格なのだ。



「先輩がいきなり呼び出すから、私、ちょっと期待しちゃったんですよ」

 弩が言う。


「えっ?」

「あっ、いえ、こっちの話です」

 弩は、何を期待してたんだ。


「ほら、行きますよ!」

「分かった、分かったから」

 僕は、弩に掲示板の前まで、引っ張って行かれる。




 平日だからか、掲示板の前にいるのは、保護者や、中学校関係者みたいな人達が多かった。

 近くの中学校や、学校を休むか早退してここに来た何人かの中学生以外は、みんな大人で、百人近い人が掲示板の前にいる。

 受験番号を見つけて喜んだり、電話で喜びを伝えていたり、掲示板の前にはそれぞれのドラマがあった。

 掲示板の周りの桜の木々は、まだ花芽も固く、咲き乱れるのは当分先のようだ。



「ほら、先輩、見てください」

 弩が、僕を掲示板の前に引き立てた。


「大丈夫、枝折ちゃんが落ちるわけないでしょ」

「それは、分かってるけど……」

 掲示板の前で、目を上げるのが怖い。


「弩、すまん、代わりに見てくれ」

 情けないことに、僕は弩にそう言っていた。


「もう!」

 弩が、ぷんすかって感じで、腰に手を当てて言う。


「何番ですか? 枝折ちゃんの受験番号」


「252番」


「252番ですね、えーと………」

 目を伏せた僕の隣で、弩が掲示板に目を走らせる。


「ありました。枝折ちゃん合格ですよ」

 弩が、あっさりと言った。


「へっ?」

 もっとなんか、こう、ドラムロール的な演出とか、入れてくれればいいのに。


「本当か?」

「本当です。こんなことで、嘘ついたりしません」


「ホントに?」

「本当です、おめでとうございます!」


「ありがとう」

 そこで初めて、僕は目を上げて掲示板を見た。

 252番、確かに、その数字が掲示板にある。


「これで枝折ちゃんも、春からこの学校の生徒ですね」

 弩が言った。

「うん、弩、枝折のことよろしくな」

「はい、大切な妹ですし」

「妹?」

「いっ、いえ、あのあの、先輩の家に何度も泊まって、一緒に過ごしたことも多いし、枝折ちゃんは、私にとって妹みたいな存在だなぁ、ってことで」

「ああ、そうか」


「そ、それより先輩、枝折ちゃんに電話、かけてあげなくていいんですか?」


「ああ、そうだな」

 僕は、制服の内ポケットからスマートフォンを出して、枝折に電話をかける。


 枝折は僕の報告を待ってたみたいで、電話はすぐに繋がった。


「もしもし」

 スマホから、枝折の声がする。

 いつもの冷静な声だ。


 枝折の声を聞いたら、なんか、僕の方に感情が一気に込み上げてきた。


「じ、じおひ、お、おお、おにいじゃんだお」

 感極まって、声が出ていかない。


「はっ? ちょっとお兄ちゃん、どうしたの?」

 枝折が電話の向こうから訊いてくる。


「じおり、あど、あどな、あどだ……」


「ちょっと、お兄ちゃん落ち着いて、なに? なにがあった?」

 枝折にちゃんと伝えてあげないといけないって思ったら、余計に声が詰まってしまった。

 これじゃ、駄目だ。枝折が何かあったって勘違いしてしまう。

 万が一のことがあったって思っちゃう。

「じ、じおりじゃん、ご、ごおがくじでるお」


 僕が声にならない声を出していたら、横で聞いていた弩に、スマートフォンを奪い取られた。


「もしもし、枝折ちゃん? ゆみゆみだよ」

 弩が電話で枝折と話す。

 弩は、スピーカーでの通話にして、僕にも聞こえるようにした。


「あっ、ゆみゆみさん、どうしたんですか?」

 枝折が訊く。


「枝折ちゃん、合格だよ。掲示板に枝折ちゃんの受験番号あったよ。おめでとう!」

 弩が弾んだ声で言った。


「そうですか。ありがとうございます」

 スピーカーから、枝折の平板な声が聞こえる。


「あれ、あんまり嬉しそうじゃないね」

 弩が訊いた。

「いえ、すごく、嬉しいです」


 弩は分かっていない。

 ありがとうございます、の「あ」の部分がほんの少し上擦っていたから、枝折はすごく喜んでいる。

 きっと、電話の向こうで枝折の口の端が、2ミリくらい上がっているはずだ。


「枝折ちゃんのお兄ちゃん、感動しちゃって、大変なの。泣いてるし、鼻水垂らしてるし」

 確かに僕は泣いているし、鼻水を垂らしていた。

 でも、枝折の慶事だし、泣いたって、鼻水垂らしたっていいじゃないか。


「そうだったんですか。兄がご迷惑かけてすみません」

 どこまでも冷静な枝折だ。


「良かったね。これで枝折ちゃんも、春からうちの生徒だよ」

「はい、よろしくお願いします」

「うん、分からないこととかあったら、お義姉ねえさんになんでも聞いて」

 弩が言った。


 なんか今、弩は、「お義姉さん」って、変な漢字を当てて言った気がする。


「はい、お願いします。兄に、気をつけて帰って来るんだよって伝えてください」

 どっちが受験生なのか、分からない。


「うん、それじゃあ、また今度ね」

 弩は、そう言って電話を切った。


「まったくもう、ほら、先輩、ちーんしてください」

 弩がそう言って、ポケットティッシュを出す。

 いつもと立場が入れ替わっていた。

 

 僕は涙を拭いて、鼻をかむ。


「やっぱ、弩はあれだな。将来、大弓グループを率いる器だけあって、いざという時には強いな」

「えーと、こんなことで感心されても……今回は、先輩が情けないだけじゃないですか」

 確かに。

「ああ、すまん」

 でも、僕が弩に、ぐいぐい引っ張っていってくれるような片鱗を見たのは確かだ。





 そんなわけで、放課後、今日は部活に出ないで、家に帰らせてもらった。

 枝折にごちそう作ってあげるんだって説明したら、みんな、一も二もなく許してくれる。




 家には、妹達が先に帰っていた。


「お兄ちゃーん!」

 玄関のドアを開けたら、枝折より先に花園がすっ飛んできて、僕に抱きつく。

 もう、飛びつかれると倒れそうになるくらい、花園は重たかった。

 姉妹で、散々、喜び合ったらしく、花園の目尻には、まだ乾いていない涙の痕がある。


「ほら、枝折ちゃんも」

 花園が枝折を呼んで、僕達は三人で抱き合った。

 いや、花園、「枝折ちゃんも」じゃなくて、今日は枝折ちゃんが主役なんだぞ。


「枝折ちゃん、おめでとう」

 僕が改めて言うと、

「うん」

 枝折がコクリと頷いた。

 よく見ると、枝折の目にも泣いた痕があった。

 枝折も相当緊張していたんだ。

 枝折なら絶対に落ちるわけながないって周囲から言われれば言われるほど、それは枝折のプレッシャーになってたんだろう。



 こうして、三人で肩寄せ合っていると落ち着く。

 僕達は、三人がそれぞれ足りないところを補い合って、ぴったりと一つになる兄妹なのかもしれない。


 僕は、妹二人を思いっきり抱きしめた。



「枝折ちゃん、何が食べたい? 今日はごちそう作ってあげる。何だって、枝折ちゃんの好きな物でいい」

 寿司だろうが、ステーキだろうが、すき焼きだろうが。

 伊勢エビでエビフライ作ってって言われたら、それを作る。

 マグロとイクラを何段も重ねてミルフィーユ作ってって言われたら、それを作る。



「ロール白菜」

 枝折が言った。


「ロール白菜?」

 僕と花園が、言葉をなぞって、首を傾げる。


「そんなのでいいの?」


「うん、だって、お兄ちゃんのロール白菜、おいしいんだもん」

 枝折が言った。


「うん、分かった」

 僕は、今から世界で一番美味しいロール白菜を作る。


 僕のロール白菜は、豆乳と味噌とチーズを合わせたスープで食べる、すごくクリーミーな一品だ。

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