第184話 アナグラム
「ここに呼ばれた理由は、分かるわね?」
ヨハンナ先生が訊いた。
「はい、なんとなく」
僕は答える。
殺風景な縦走先輩のトレーニングルームで、僕は、ヨハンナ先生と弩、古品さん、萌花ちゃん、新巻さん、そして、縦走先輩に取り囲まれていた。
みんな伏し目がちで、どこかよそよそしい。
「そう、分かってたんだ」
「はい、すみません」
宝諸さん達、サッカー部や野球部のマネージャーとチョコ作ってたこと、怒られるんだろう。
僕は覚悟した。
こうなったら、純粋に彼女達を助けたかっただけだって、誠心誠意、説明するしかない。
だけど、そんな僕にヨハンナ先生は言った。
「私達は料理とか上手じゃないし、まして、お菓子作りなんて、ほとんどしたことない。だけど、私達なりに一生懸命作ったの。だから、受け取ってほしい」
先生は僕に一つの箱を差し出す。
「えっ?」
それは、真っ赤な包装紙に、金色のリボンがかかった箱だった。
「なに?」
僕がびっくりした声を出したから、先生も驚く。
「塞君、受け取って」
先生がもう一度言って、僕はその箱を受け取った。
箱は、ずっしりと重い。
「僕がここに呼ばれたのって……」
「もちろん、バレンタインのチョコレートを、塞君に渡すためじゃない」
先生が言った。
「僕に、ですか」
「当たり前でしょ」
僕は、なにか勘違いをしてたみたいだ。
「開けてみて」
「はい」
リボンと包装を丁寧に剥がすと、中に、苺やラズベリー、ブルーベリー、ブラックベリーがのった、艶やかなチョコレートケーキが入っていた。
ケーキから甘酸っぱい香りが漂ってくる。
「これ、先生が作ったんですか?」
「うん、みんなで萌花ちゃんの家に集まって作ったの」
先生が言った。
昨日、みんなが寄宿舎にいなかったのは、それだったのか。
僕達が寄宿舎の台所を使ってたし、サプライズで渡すために、萌花ちゃんの家で作ってたってことか。
みんな、マネージャーのことで僕達を怒ってたわけじゃないんだ。
朝からよそよそしかったのも、このサプライズを知られないよう、言葉少なだったんだろう。
「本当に嬉しいです! ありがとうございます」
僕が言うと、先生の顔が、ぱっと桜色になった。
金色の髪も、キラキラと輝き出した気がする。
「私も、これ、受け取ってください」
弩も、ピンクのリボンがかかった長細い箱を僕に渡した。
「これも、弩の手作り?」
「はい、あんまり上手じゃないですけど、自分で作りました」
弩が上目遣いに僕を見て言う。
「開けていい?」
僕が訊くと、
「駄目です!」
弩が慌てて言った。
そんなに慌てて、どうしたんだろう?
「恥ずかしいので、家に帰って、一人で開けてください」
弩が言った。
「うん、ありがとう」
「でも、あの、先輩、すみません。作るとき、ブラウス、チョコで汚しちゃいました。エプロンしてたんですけど、袖のところに、いつの間にか、チョコレートがついてて……」
弩がすまなそうに言う。
朝、洗濯物の中に弩のブラウスがなかったのは、そのせいだったのか。
「うん、それはいいよ。あとで洗っておく」
洗濯に出したらサプライズがバレると思って、弩は隠してたんだろう。
本当は、シミになるから早く出しなさいって、怒るところだけど、そういうことなら大目に見よう。
チョコのシミは、あとで丁寧にもみ洗いして、真っ白に戻してあげる。
「私も、これ受け取ってください」
今度は、萌花ちゃんが薄いB4サイズくらいある包みをくれた。
「私も、チョコ作ったんですけど。あんまり上手くできなかったので、私の得意な分野で……」
萌花ちゃんの包みの中には、
「先輩のポートレートです。私が撮った先輩のベストショットをプリントして、フレームに入れました。どうぞ、お部屋に飾ってください」
萌花ちゃんが言った。
写真は、僕が寄宿舎の庭で洗濯物のセーラ服を干している写真だ。
干している最中に萌花ちゃんから声をかけられて、振り返った瞬間を撮ったものだった。
「あ、ありがとう……」
でも、自分の部屋に自分の写真を飾るって、僕は、ナルシストな奴みたいじゃないか……
「わ、私も、チョコレートとか作ってみたから、あげる。今度書く作品に、チョコレートを作るシーンがあるから、取材ついでに作ってみただけだけど」
新巻さんがそんなふうに言って、モスグリーンでラッピングされた包みをくれた。
「ありがとう」
開けると、中にはチョコレートの他に、一冊の本が入っている。
まだ装丁もない、白一色の本だ。
「これ、新巻さんの新刊?」
まだ発売前の作品だろうか。
チョコレートにそれを付けてくれるなんて、嬉しい。
「うん、でも、新刊ていうか、書き下ろしなの。異世界に転生した『トリデ』っていう主人公が、『ナイル』っていう最強魔法使いを従えて、魔王『ハンナ』やその手下『オーユミ』を倒す物語なの」
新巻さんが言った。
「へ、へえー」
なんか、どこかで聞いたような名前のキャラクターが出てくる小説だ。
「わざわざ、書き下ろしてくれたの?」
本は薄かったけど、新書版の大きさで二段組になっていて、五十ページくらいある。
忙しい新巻さんが、これを書くのに、どれだけの時間をかけたんだろう。
「うん、世界に一冊しかない本だから、大切に読んでね」
世界に一冊しかないって、森園リゥイチロウのファン
「ありがとう、大切にする」
読み終わったら、森園ファンの枝折にも読ませてあげよう。
「篠岡君、私からは、これを」
古品さんも、僕にオレンジのリボンがかかった茶色い包みをくれた。
そのサイズが、CDジャケットのサイズだから、チョコの他に、中に何が入っているかは、すぐに分かる。
「私達のメジャーデビュー曲、『寄宿舎を抜け出して』の音源だよ。まだ解禁前だから、こっそり聞いてね」
古品さんが言った。
確かに、そのCDにはジャケットも付いてないし、ブックレットもない。
「ありがとうございます! さっそく聞きます。聞きまくります!」
どんな楽曲なのか、すぐに聞きたい。
「でも、私はみんなの恋人で、一人のものにはなれないから、そこは、理解してね」
古品さんがそう言って、ウインクする。
この古品さんは、古品さんじゃなくて、アイドルの「ふっきー」だ。
「篠岡、私のは、これだ」
最後に、縦走先輩が、両手で青いストライプの箱を差し出した。
「ありがとうございます」
縦走先輩まで、僕に手作りチョコをくれるのか。
箱を開けると、中には手作りチョコの定番みたいな、トリュフチョコが入っていた。
表面にココアパウダーをまぶしたのと、抹茶をまぶしたもの、粉糖をまぶしたものの三種類があって、二つずつ、計六個が入っている。
「篠岡、ちょっと食べてみてくれないか?」
縦走先輩が言った。
「はい、もちろん、いただきます」
先輩に言われて、僕はココアパウダーのやつを一粒、食べてみる。
外からは分からなかったけど、ガナッシュの中にクラッシュアーモンドが入っていて、香ばしかった。
口溶けも良くて、ココアパウダーの苦さがチョコの甘さを引き立てている。
「御厨と、錦織の分も作ってきたんだが、特に、御厨は、こんなチョコレートでがっかりしないだろうか? 彼はその、料理も、お菓子作りも上手いし、私が作ったこんな
縦走先輩が言った。
「いや、私は別に、御厨のことをどうとかではないんだが、いつも美味しいご飯をたくさん食べさせてもらってるし、彼にも、私から何かできたらと思って……」
縦走先輩が、もじもじしながらそんなこと言うから、可愛くて思わず、抱きしめたくなった(本当に抱きしめたら、ぶっ飛ばされるけど)。
何に対しても恐れず、堂々と立ち向かっていく縦走先輩が、そんなこと気にしていたのかって、不思議に思う。
先輩がそんなこと考えながら、御厨のために一生懸命チョコレートを作る姿を想像すると、自然と顔がほころんだ。
「大丈夫です。すごく美味しいですし、たとえ不味かったとしても、縦走先輩が一生懸命作ってくれたものですから、御厨、感激しますよ」
多分、こんな心のこもった手作りチョコレートもらったら、御厨、泣き出すんじゃないだろうか。
「そうか、良かった。じゃあ、渡してこよう」
縦走先輩はそう言って、箱を持って、部屋を出て行った。
御厨に渡すその箱、僕にくれた箱より体積で八倍くらいの大きさがあって、すごく豪華だ。
そのあとも、鬼胡桃会長や、寄宿舎にレッスンに来た「Party Make」のほしみかと、な~なからも、僕はチョコレートをもらった(鬼胡桃会長のは、会長の自己啓発本付き)。
僕にしてみれば、このまま明日地球が滅亡してしまうんじゃないかっていう、勢いだ。
みんなからもらったチョコレートが多くて鞄に入らないから、仕方なく段ボール箱に入れて家に持ち帰ったら、
「お兄ちゃん、これは駄目だ」
僕がリビングに入るなり、花園が言った。
「一個か二個なら、まあ、リアリティがあるけど、段ボール箱一杯とか、マジでありえないし」
花園はそう言って、ため息を吐く。
「で、お兄ちゃん、このチョコ買うのに、幾ら使ったの? 私達、分かってるから、見栄なんか張らなくていいのに」
枝折がそんなふうに続けた。
「おい、二人とも、お兄ちゃんのことを、もう少し信じてくれ」
僕が、この段ボール箱一杯、本当に女子から貰ったんだって説明するのに、小一時間かかる。
「枝折ちゃん、お兄ちゃんがモテモテになるなんて」
「ホントだね。花園ちゃん、奇跡ってあるんだね」
一時間かけてやっと納得した姉妹が、抱き合って喜んでいる。
妹達は、僕の行く末をそれほど案じていたのか……
だけど、奇跡って……
「じゃあ、もう、これはそろそろいらないかな。ほら、花園からだよ!」
花園がそう言って、ピンクのリボンの箱をくれた。
「んっ」
枝折もそう言って、僕に青いリボンの小箱を押しつけてくる。
「これ、枝折ちゃんからのチョコ?」
僕が言うと、枝折がコクリと頷いた。
「ありがとう」
みんなからのチョコも嬉しかったけど、やっぱり、毎年もらってる妹二人からのチョコレートは嬉しい。
すると、僕が持ち帰ったチョコレートを、花園と枝折が勝手に開け始めた。
「こらこら、駄目だって」
二人は僕がもらったチョコレートの品評会を始める。
「
花園がそんな物騒なことを言った。
枝折も、うんうんと頷く。
二人は、僕が止めるのも聞かず、包みをどんどん開けた。
「すごいねー。ほとんど手作りだよ。これは本物だね」
花園が言う。
どこまで兄を信じてなかったんだ……
「あっ、それは」
枝折が手をかけたその長細い箱は、弩からのチョコレートだ。
僕が寄宿舎で開けようとしたら、弩が、家に帰って開けてくださいて、慌てたやつだ。
「これ、なんだろう?」
弩がくれた箱の中には、アルファベットの形のチョコレートが入っていた。
チョコレートの上に色とりどりのドライフルーツがトッピングしてある手作りチョコだ。
アルファベット四文字のチョコが並んでいて、それが単語になってるらしい。
KUSI
アルファベットは、箱の中でそんなふうに並んでいた。
「串ってなんだろうな?」
英語じゃないし、ローマ字の綴りだろうけど……
「お兄ちゃんを串刺しにしてやるぞ! みたいなメッセージなんじゃないの」
花園が言う。
そんな……
確かに弩にはいつもちょっかい出してるけど、串刺しにされるほど憎まれているとは思えない。
「もしかしたら、
でも、なぜそれを選んだのかは、謎だ。
他にも、洗濯したり、弩の部屋を掃除したり、色々してるのに。
僕と花園が首を傾げていたら、
「くくくくっ」
枝折が笑った。
「どうしたの? 枝折ちゃん」
枝折が声を出して笑ってるところなんて、久しぶりに見る。
「弩さん、文字の順番間違えたんだよ」
枝折が笑いながら、そんなことを言った。
KUSI
間違えたって、弩は、どんな順番に並べるつもりだったんだろう。
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