第14章
第176話 福
「ほら、枝折ちゃん、あ~ん」
とろとろのフレンチトーストを一口大に切って、フォークで枝折に差し向ける。
「は?」
枝折は、汚いモノでも見るような目で、僕を見た。
「いや、久しぶりの兄妹水入らずの朝食だから、サービスしようと思って」
「そういうの、いいから」
枝折はそう言って、食事を続けた。
「枝折、どうしたんだ、反抗期か? ほら、前みたいに、あ~ん、って」
僕が振ってみるのに、
「前から、こんなことしてないし」
枝折は
全然、乗っかってこない。
「しょうがないなあ、じゃあ、私が食べてあげるよ、はい」
花園がそう言って、目を瞑って口を開く。
顔を僕のほうに持ってきて、おねだりした。
「これは受験生の枝折ちゃんへの特別サービスだから、花園ちゃんは駄目」
「けち! けち兄ちゃん!」
僕と花園がそんな遣り取りをしていたら、枝折が口の端を二ミリくらい上げた。
よかった。
枝折はすごく、楽しんでいる。
受験勉強のほうも順調そうだし、ナーバスになってなくて安心した。
僕が受かった高校だし、元々枝折が落ちるわけないんだけど。
「いってらっしゃい。車に気を付けるんだよ。変な人について行っちゃ駄目だよ」
僕はそう言って二人を送り出した。
「………」
「ハイハイ、分かってるって」
枝折と花園は、そんな感じで家を出て行く。
ここのところずっと朝練で忙しかったから、久しぶりに妹達の見送りが出来た。
これも、ヨハンナ先生と弩が、僕に休暇を与えてくれたおかげだ。
僕は、ゆっくりと、始業時間ギリギリで登校して教室に入る。
そしたら、新巻さんが一人だけセーラー服じゃなくて、ジャージ姿で教室にいた。
「はい、みんなおはようー」
やがて教室に入ってきたヨハンナ先生も、皺が寄ったスーツに、洗いざらしみたいなシャツを着ている。
僕は一瞬で悟った。
寄宿舎で、なにかあったんだと。
出席をとる先生を凝視したら、先生は僕から目を逸らした。
先生の金色の髪にもあんまり櫛が入ってないみたいだし、多分、先生と弩が僕の代わりに引き受けた家事で、なにかあったんだろう。
一時間目が終わった休み時間で、新巻さんに何があったか訊いてみた。
「まあ、ちょっとね」
新巻さんはそんなふうに言う。
冷静沈着な新巻さんが、「ちょっと」って言うってことは、かなり大変なことがあったと思われる。
放課後、僕は覚悟しながら寄宿舎に行った。
掃除は行き届いているし、玄関や廊下は、別段、混乱した様子はない。
ところが、主に僕の持ち場であるランドリールームに行ってみると、そこが混乱を極めていた。
洗濯かごや洗濯ネットがあちこちに散らかってるし、洗剤や、柔軟剤のキャップが開けたままで、洗濯機の上や、床の上に無造作に置かれていた。
焦げたアイロン台が放置してあるし、アイロンのあとがついた制服のスカートが落ちている。
ランドリールームの窓から裏庭を覗くと、木々に洗濯紐を渡して、無数の洗濯物が干してあった。
その中で、ジャージ姿の弩が、夢中になって洗濯物を干している。
寒い中、腕まくりして爪先立ちで、一生懸命、洗濯物を干していた。
しばらく窓から弩の洗濯を見ていたら、洗濯かごを持った縦走先輩が、ランドリールームに入ってくる。
先輩は弩の洗濯を手伝ってくれていたらしい。
「先輩、これ、どうなってるんですか?」
新巻さんが教室でジャージを着ていたことも含めて、縦走先輩に訊いてみる。
ああ、あれなって、先輩は肩を竦めてから言った。
「ランドリールームに、全自動洗濯機と二槽式洗濯機があるだろう? 弩は、二槽式のほうで洗濯をして、脱水という概念を知らずに、ポタポタと水が滴る状態で、洗濯物を干してしまったんだな。そしたら、昨日曇ってたこともあって、いつまでも乾かずに、夜の寒さで、凍ってしまったんだ。朝になったら、セーラー服やパンツの氷漬けが出来ていた」
先輩が、笑いながら言う。
無難に全自動のほうで乾燥までやれば良かったのに。
それに、「脱水という概念」って……
「みんな代わりの制服があったから良かったんだが、新巻の代わりの制服は、ヨハンナ先生がアイロンをかけるときに跡をつけてしまってな。仕方なく、今日はジャージで登校したんだ」
縦走先輩がランドリールームの混乱を説明してくれた。
ヨハンナ先生はきっと、アイロン掛けのときに当て布をしなかったんだろう。
「弩、手伝おうか?」
裏庭から戻ってきた弩に訊くと、弩は大きく
「ヨハンナ先生は職員会議だし、手伝ってもいいだろ」
「先輩は休暇中なんですから、大人しくコタツでミカンでも食べててください」
弩はそう言って、僕を自分の部屋に連れて行く。
僕をコタツに入れて、ミカンとホワイトロリータが入った菓子盆を寄越した。
「ここで、ゆっくりしていてくださいね」
弩はあくまで、僕に手を出すなという。
「はいはい、分かったよ」
諦めて弩の部屋でみかんを食べた(ホワイトロリータには手をつけないでおいてやった)。
食べ終わって、コタツに入ったまま、寝っ転がったりしてみる。
床を通じて、古品さん達がレッスンをする音とか、主夫部部員が忙しく家事をして歩き回る振動が、微かに伝わってきた。
僕は、我慢できなくなって、コタツを出る。
弩のタンスの引き出しを開けてみた。
タンスの中は、僕が最後に見たときから、少し乱れている。
弩のパンツの畳み方とか、いつもと違うし、弩が穿く毎日のローテーション通りに並んでいない。
ああ、畳み直したい。
きちんと整理したい。
僕がそんなふうに考えながらタンスの中を見ていたら、
「先輩、女子高生のタンスを開けて、
僕の様子を見に来た弩に言われてしまった。
「大人しくしててくださいよ」
そう、釘を刺される。
何もしないで休んでるのが、こんなに苦痛だとは思わなかった。
休みをもらったんだし、外に出掛けたり、ゲームでもやってればいいと思ったけど、なんだかそれも乗り気がしない。
弩の部屋のコタツでぐだぐだしながら、二月のカレンダーを眺めていたら、僕は、ふと思いついた。
僕が何か思いつくと、ろくなことがないけど、思いついてしまった。
それを実行すべく、僕はさっそく、台所の御厨のところに行く。
「御厨、この前、味噌仕込んだときの、余りの大豆あるよな?」
僕は夕飯の支度をしている御厨に訊いた。
「はい、ありますけど」
「ちょっともらっていいか?」
「はい、いいですよ」
御厨は冷蔵庫から大豆を出してくれる。
「先輩! 料理しちゃ駄目ですよ! 料理も家事です!」
僕が動き出したら、それを察知した弩が飛んできた。
「料理はしないから」
僕は弩に言う。
それでも弩は疑うような目で見ていた。
「中華鍋借りるぞ」
僕は中華鍋をコンロにかけて、よく洗った大豆を入れる。
「やっぱり、料理じゃないですか!」
弩が文句を言った。
「いや、これは料理じゃない」
「駄目です。先輩また、屁理屈で私を丸め込もうとしてるんですね」
弩が言って譲らない。
「分かった分かった。じゃあ、弩がやってくれ。こうやって、木べらで焦がさないように大豆を
僕は手本を見せて、弩に説明した。
「はい?」
弩はきょとんとしている。
「いいから、豆を炒るんだ」
「はい、分かりましたけど……」
わけが分からない様子の弩に、豆を炒らせた。
「弩、弩の部屋のサインペンとか、色鉛筆借りるぞ」
その間に僕は別の仕事をする。
「いいですけど、お絵かきでもするんですか?」
木べらで豆をかき回しながら、弩が首を傾げて訊いた。
「まあ、そんなところだ」
僕は弩の部屋に戻って、机の中からサインペンと、色鉛筆を出す。
寄宿舎の事務室からコピー用紙を持ってきて、そこにサインペンで絵を描いた。
それに色鉛筆で色を塗ったら、要らない段ボール箱に絵を描いたコピー用紙を貼り付けて、サインペンの縁取りに沿って、カッターで切り抜く。
目の部分に二つ穴を開けて、耳の部分にゴムを通した。
こんな工作をしたのは、久しぶりだ。
「先輩、お豆、炒りましたけど」
弩がそう言って、炒った大豆をステンレスのボールに入れて、持ってくる。
豆が入ってるのが
「弩、これをかぶれ」
僕はそう言って、作ったばかりの「お面」を弩にかぶせた。
「なんですか?」
弩はまだ、事態が飲み込めていないみたいだ。
お面をかぶった弩を、寄宿舎の玄関に連れて行く。
「よし、そこに立っていろ」
僕が言うと、
「はい」
弩はわけも分からず頷く。
僕は、ボールの中から豆を一握り、手に取った。
振りかぶって、
「鬼は外ー!」
大声を出して、弩に豆をぶつける。
「ふええ」
鬼のお面をかぶった弩が言った。
二本の角を生やした、赤鬼だ。
「弩、ふええとか言う鬼はいないぞ、もっと、怖い感じで」
「はい?」
「鬼は外!」
もう一度、僕は弩に投げつける。
「ふええー!」
弩がサンダルを突っかけて、玄関から外に逃げていった。
だから僕も、ボールを持って弩を追いかける。
「鬼は外ー!」
寄宿舎の前庭で、鬼のお面をかぶった弩を追いかけ回して、豆をぶつけた。
二階の窓から、勉強を休憩した鬼胡桃会長と母木先輩が見ている。
なんだ、いつものリクリエーションね、って感じで、執筆中だった新巻さんも部屋の窓から見物した。
現像作業中だった萌花ちゃんが、カメラを持って飛び出して来る。
そして、楽しそうに僕と弩の豆まきを撮った。
静かな寄宿舎とその林が、
もし、この辺りにまだ鬼がいたとしても、これで逃げ出しただろう。
二階の窓から、鬼胡桃会長が、
「ご苦労さま」
って、声をかけてくれた。
母木先輩も、親指を掲げている。
受験生もいるし、縁起物のこういう行事はやっておいた方がいいと思った。
僕は暇に任せて、こんなことを思いついた。
散々、弩を追いかけ回して鬼を払ったところで、弩の鬼を許してやる。
「先輩、もう! 酷いです」
僕の手作りお面を外しながら、弩が言った。
「ごめん、ごめん」
僕はそう言って、お面をかぶって乱れた弩の髪を手櫛で直してやった。
弩は抵抗せずに僕に身を任せる。
「ほら、弩、16粒食べろ」
ボールに残しておいた豆を、弩に勧めた。
「はい、年齢の数ですよね。知ってます」
弩はそう言うと、ぽりぽりと、小動物みたいに豆を食べる。
僕も、弩と一緒に17粒食べた。
御厨が味噌のために選んだこだわりの豆だったからか、味が濃くて美味しかった。
外にまいた豆も、林にいるリスとか小動物の餌になるんだろう。
炒り豆は、弩と二人で寄宿舎の住人に配って回った。
「あのう」
そんなふうにドタバタしていたら、寄宿舎の玄関に、我が校の生徒、四、五人グループの女子が来る。
「ちょっと、よろしいですか?」
鬼が去って、来たのは女子という福だった。
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