第177話 マネージャーの手

「あの、篠岡先輩ですよね?」

 寄宿舎の玄関に来た女子の一人が僕に訊いた。


 弩に鬼のお面をかぶせて追いかけ回していたら、五人の女子のグループが来て、僕の名を呼ぶ。

 セーラー服のリボンが黄色だから、全員一年生だ。


「うん、篠岡は僕だけど」

 五人の下級生女子が訪ねて来るっていう状況に戸惑いながら、僕はなるべく平静を保って言った。


「あの、あの……」

 一年生の女子は、一瞬僕を見て、恥ずかしそうに目を伏せてしまった。

 ふんわりとしたショートボブの髪で、太眉の、人懐こい感じの一年生だ。

 後ろの女子達が、ほら、って感じで、その子を突っつく。



 あれ、これ、あのパターンか。



 告白する女子が、一人で行くには勇気がなくて、友達を連れて意中の人を訪ねるパターン。

 これは、僕が今まで文献ぶんけんや記録映像でしか見たことがない、伝説の「告白」ってヤツか。


「あの、先輩」

 一年生の女子はもじもじていた。

 僕と正面から目を合わせられずに、チラチラとこっちを盗み見るのがまた、可愛い。


 背後から視線を感じて振り向いたら、頭に鬼のお面を付けた弩が、僕を睨んでいた。

 弩は(先輩、なに浮かれてるんですか!)みたいな電波を、僕に発する。



「あの、先輩、チョコレート……」

 一年生の彼女は、そこまで言って、言い淀んだ。


 チョコレート? 


 二月でチョコレートっていえば、バレンタインデーだ。

 でも、バレンタインには、まだ早い。

 なんて、あわてんぼうさんなんだ。

 それとも、ほかのライバルを出し抜いて、先に僕にチョコを渡してしまおうってことなんだろうか?

 だったら、すごく積極的な子だ。

 その積極性、嫌いじゃない。



「あの、先輩、チョコレート……」

「うん」



「チョコレート、一緒に作ってくれませんか?」

 一年生の女子は、僕に、そんなふうに訊いた。


「作る?」

 僕に渡すんじゃなくて?


「はい、主夫部の方々は、料理もすごく上手で、お菓子とかも作って、手際がいいって噂を聞いたので、私達が男子に渡すチョコレート、一緒に作ってください!」

 代表の子が頭を下げて、後ろの四人も続く。


 はっ?


「プー、クスクス」

 弩が口を押さえて発した。

 プークスクスって発すな!

 弩は、意地悪そうな目で僕を見ている。


 勘違いした自分が恥ずかしい。



「頭を上げて、詳しく話を聞くから」

 女子達にいつまでも頭を下げさせているわけにはいかない。


 僕は、彼女達を食堂に案内した。

 主夫部に用事ってことだったから、錦織と御厨を呼んで、弩と、四人で話を聞く(受験勉強中の母木先輩には声をかけなかった)。


 五人には食堂の椅子に座ってもらって、御厨がお茶を出した。



「私は宝諸ほうしょです。宝諸泉ほうしょいずみといいます。サッカー部のマネージャーをしています」

 玄関で僕に話しかけてきた女子が言った。

 あとの四人も次々に名乗る。


 広瀬さんと、君嶋さん、藤田さん、沖さん。


「私達五人は、サッカー部と野球部で、それぞれマネージャーをしています」

 宝諸さんが言った。

 彼女がこの五人の代表者みたいな感じらしい。


 宝諸さんと広瀬さんが、サッカー部のマネージャーで、君嶋さん、藤田さん、沖さんが野球部のマネージャーってことだった。


「それで、さっき、チョコレートがどうとか言ってたけど?」

 僕が訊く。


「はい、サッカー部も野球部も、毎年、バレンタインデーにはマネージャーが部員のみんなにチョコを配るんです。手作りチョコを配って、頑張ってね、って、エールを送るんです」

 宝諸さんが言った。

 へえ、リア充には、そんな伝統があったのか。

 僕の知らないところで、そんな青春が繰り広げられていたとは。


「今年も、私達マネージャーでチョコを作って渡すつもりですけど、私達、その経験がなくて……」

 宝諸さんが恥ずかしそうに頬を赤くした。


「どういうこと?」

 錦織が訊く。


「はい、サッカー部も野球部も、今いるマネージャーは一年生だけで、二年生のマネージャーがいないんです」

 宝諸さんが言った。


「今まで、三年生の先輩マネージャーと私達一年で、部員のお世話をしてました。だから、三年生の先輩マネージャーが引退してしまった今の状態で、大人数の部員に用意するチョレートをどうやって用意したらいいか、先輩から教えてもらうことができなくて」

 なるほど、二年生マネージャーがいなくて、伝統が引き継げなかったのか。


「受験で忙しい三年の先輩に迷惑かけるわけにもいきませんし、それで途方に暮れていて」

 宝諸さんの後ろから、藤田さんが言った。


「正直、私達、お菓子とか、作ったこともないし」

 沖さんが続ける。


「そのとき、主夫部のみなさんのことが思い浮かんだんです。みなさんは、お料理とか、洗濯とか、掃除とか、裁縫とか、何でも出来るし、手際がいいって噂だし」

 君嶋さんが言う。

 校内にそんな噂が流れているのか。


「文化祭のカフェとかでも、スイーツ、すごく、美味しかったです」

 広瀬さんが言った。

 広瀬さんは、僕達のカフェのお客さんだったらしい。


「だから、部員に配るチョコレートを作るの、手伝って頂けませんか? 部員のみんなにチョコあげたいんです」

 宝諸さんが言った。


「お願いします」

 一年生の女子マネージャー達は、そう言って頭を下げる。



「ちょっと、待っててね」

 彼女達を待たせておいて、主夫部は食堂の隅で話し合った。



「みんな、どうだろう?」

 僕は小声で訊く。

「他のヤツのために、チョコレート作るって、なんか、モチベーション上がらないな」

 錦織が言った。

「今、母木先輩は受験で、篠岡先輩が寄宿舎の家事を休暇中で、手薄ですしね」

 御厨も言う。

「彼女達を見て鼻の下伸ばしてる先輩が心配です」

 弩が眉をひそめた。


「そうか……」

 部員の反応はよくない。



 一年生の女子達のほうを見ると、心配そうにこっちを見ていた。

 宝諸さんが胸の前で手を組んで、下唇を噛んでいる。

 一年生なのに、何十人という部員の面倒を見ている彼女達のことを思うと、手を差し伸べたくなる。



「いや、待て。これは、僕達が将来直面する重要な問題なんじゃないだろうか?」

 僕は言った。


「僕達が将来、主夫となった場合、パートナーである妻も、二月十四日には、同じように職場や取引先の男性に、義理チョコを配る必要に迫られるかもしれない。きっと、今の彼女達みたいに、頭を悩ませることがあるだろう。主夫として、それを手伝う場面に、僕達は遭遇するかもしれない」

 僕は思いつくままに話す。


「義理チョコって、実はむずかしいんじゃないだろうか。恋愛感情はないけれど、普段の職場での協力には感謝を示す、そんな絶妙なラインを狙ってチョコレートを作らなければならない。勘違いされて、妻に過剰な好意を持たれても困るし、かといって、素っ気なくして後の仕事に支障をきたしては困る。義理チョコには、そんなバランス感覚が必要だ。今回の件は、それを学べるいい機会になるんじゃないだろうか?」

 僕は続けた。

 なんか、母木先輩の真似をしたみたいになってしまった。



「確かにそうですね」

「ああ、一理あるな」

 御厨と錦織が頷く。

「なんか、篠岡先輩が彼女達と一緒にいたいから、理屈を付けてる気がしますが」

 弩はジト目で僕を見た。


「主夫部として、協力してあげたらどうだろう?」

 僕は、部員に問いかける。


「そうですね」

「ああ、やろう」

「やるんだったら、私もお手伝いはしますけど」

 部員の三人が賛同してくれた。


 僕達は、彼女達の所に戻る。



「話し合いの結果、主夫部として、君たちに全面的に協力することになった」

 僕は言った。


「手伝ってもらえるんですか?」

 宝諸さんが目を潤ませる。


「ああ、喜んで、協力させてもらう」

 一旦決まれば、主夫部の行動は迅速だし、全力で当たる。


「ありがとうございます!」

 女子達が握手を求めてきて、僕達はお互いに全員と握手をした。

 彼女達の手を握りながら、彼女達の手は、普段から水仕事をしている手だと思った。

 一生懸命な手だ。


「安心して。君たちは、もう、僕達主夫部の妻だ」

 僕は母木先輩の真似をして、そんなふうに言ってみたけど、様になってなかったかもしれない。


 一年生の女子達は、きょとんとしている。

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