第170話 密輸

 洗い上がったジャージとランニングに、ふわふわのタオル、それらをランドリーバッグに丁寧に詰める。

 ほのかに振りまかれる柔軟剤の香りが心地いい。

 ランドリーバッグには、「練習、がんばってください」と書いた一筆箋いっぴつせんを添えておく。


 これはいつもの部活動、僕の洗濯風景だけど、このジャージやランニングは、寄宿生のものではない。


 バレー部、駅伝チームの洗濯物だ。



 洗い上がった洗濯物を、人目を忍んで運び出そうとしたら、寄宿生の駅伝チームが、林を抜けてこっちに向かって来るのが見えた。

 僕は素早く、ランドリーバッグを階段の下に隠す。


 ほどなくして、みんなが寄宿舎の玄関に帰って来た。

 縦走先輩以外、みんな疲れてへとへとだ。


「おかえり」

 僕は玄関でみんなを迎えた。


「ただいまです」

 汗で前髪をおでこに貼り付けた弩が言う。


 でもみんな、今日は疲れて玄関に寝っ転がったりしなかった。

 疲れた顔はしてるけど、屈伸運動したり、手首、足首を回したり、まだ少し、余裕がある。

 縦走先輩の練習メニューは、大会に向けてどんどん厳しくなってるのに、みんな、それに耐えられるようになっていた。

 毎日、徐々に進化している。



「あれ? 先生と弩、スリムになってません? 冬休み前より、すらっとして、綺麗になったような……」

 これは、お世辞でもなんでもなくて、二人は本当にダイエットに成功していると思う。

 見た目にも、はっきりと分かるくらいに。


「と、とりで君、もう一回言って」

 ジャージ姿のヨハンナ先生が言った。


「先輩、もう一回、言ってください!」

 寒空にもかかわらず、Tシャツになっている弩も言う。


「いや、だから、先生と弩、スリムになってませんか? すらっとして、冬休み前より綺麗になった気がします」

 僕は繰り返した。


「塞君、もう一回言って!」

「先輩、もう一回、言ってください!」


「えーと、先生と弩、スリムになって、前より綺麗になりました」


 二人は、僕の言葉を、目を瞑って噛みしめるように聞く。

 口元がにやけていて、嬉しそうだ。


 こんなことで喜んでくれるなら、僕は何度だって言うけど。


「新巻さんと萌花ちゃんも、精悍せいかんになったような気がします」

 僕が言うと、

「ついでみたいに言わなくていいから。まあ、嬉しいけど」

 新巻さんが言って、僕から目を逸らす。



「それじゃあ、綺麗になった体の汗を流しに、シャワー浴びてくるね。まだ、見せてあげられないのが残念だけど」

 ヨハンナ先生がそう言ってウインクした。

「まだ」って、いったい……



 みんなが脱衣所から風呂場に行って、シャワーの音が聞こえてくるのを確認してから、僕は、階段下からランドリーバッグを取り出して、バレー部に洗濯物を届ける。


 寄宿生と主夫部部員の目を忍んで、密輸でもしてるみたいだ。




「先輩、ありがとうございます」

 僕が洗濯物を渡すと、麻績村さんがそう言って受け取った。


「先輩に代わって頂けるから、練習に集中出来ます」

 麻績村さんとチームの四人が喜んでくれる。


 大好きなことをして、こんなふうに喜んでもらえるんだから、家事はやめられない。


 僕は、駅伝チームが部室の掃除当番のときは、それを変わった。

 バレー部一年生は、河東先生の家の家事を交代でやってるけど、その当番も僕が代わりにやって、駅伝チームを練習させた。


「本当によくして頂いて、これで焼き肉パーティーもできるんだから、絶対に優勝します! 勝って絶対、先輩と焼き肉食べます!」

 麻績村さん達バレー部駅伝チーム、相当気合いが入っている。


 これなら優勝は間違いない。


 寄宿舎駅伝チームも頑張ってるけど、残念ながらこっちにがあるだろう。

 こっちは元々鍛えてるし、体格もいいし。


「それじゃあ、無理しないようにね」

 僕はそう言って、麻績村さん達と別れて、寄宿舎に戻る。


 こんなふうに、僕は時々寄宿舎を抜けては、バレー部一年生チームの世話をしていた。

 寄宿舎での部活と掛け持ちだから、僕の方も、相当鍛えられたかもしれない。



 そんな忙しい毎日を送っていたら、


「篠岡君、ちょっと話があるから、食堂まで来てくれるかな?」

 放課後、寄宿舎でヨハンナ先生に呼び止められた。


「はい、いいですけど……」

 あれ、ヨハンナ先生は、しばらく僕のこと、塞君って、下の名前で呼んでたけど、今、篠岡君て、名字で呼ばなかったかな?


 違和感を感じながらも食堂に行ったら、食堂には寄宿舎駅伝チームのメンバーが、集まっている。


 ヨハンナ先生、弩、縦走先輩、新巻さん、萌花ちゃん。


 みんな笑顔で僕を迎えてくれた。

 僕は、食堂の椅子に座らされて、その椅子をみんなが囲む。


 なんだろう?


 普段からご苦労様って、僕をねぎらってくれるんだろうか。


 でも、そんな考えは甘かった。




「それで、篠岡君は、どうして、隠れてバレー部駅伝チームのサポートなんか、してるのかな?」

 ヨハンナ先生が、僕に笑顔で訊く。

 チャームスクールで習うような、作られた笑顔が怖い。

 ヨハンナ先生の隣で、縦走先輩が指をポキポキ鳴らしてるし。


「先輩、酷いです!」

 笑顔から一転、弩が僕を睨むようにして言った。


「この寄宿舎に、スパイが紛れ込んでいたとはね」

 新巻さんも、抑揚よくようがない声で言う。


「篠岡先輩、浮気しちゃダメですよ!」

 萌花ちゃんがそう言って、首を振った。

 いや、浮気って……


 ともかく、僕を囲んだ女子達が、上から僕を見下ろしている。



「どうして、バレたんですか?」

 僕は訊いた。

 僕は、みんなに見つからないように注意してたし、みんなは練習で忙しかった。

 バレるはずがないのだ。


「うちの母が教えてくれたんです」

 萌花ちゃんが言う。


「一昨日、篠岡先輩、私の実家で家事をしましたよね?」

「えっ、ああ、うん」

 一年生部員の当番を代わったときのことだ。

 萌花ちゃんの実家、つまり、河東先生の家に、家事をしに行った。


 でも、なんでそれが。


「母が帰ってみたら、いつもより掃除が行き届いていて、家の中が綺麗だし、洗濯物も丁寧に畳んであるし、夕飯は美味しいし、これはバレー部一年生の家事じゃないって、すぐに気づいたそうです。タンスの中の服とか、パンツとか、全部畳み直してあったらしいですし。エアコンのフィルターとか、障子のさんの上まで、全部掃除してあったみたいだし。それで母が、一年生部員を問い詰めたら、篠岡先輩に代わってもらったって、白状したそうです」

 萌花ちゃんが説明した。



「悪いことは、出来ないものよねぇ」

 ヨハンナ先生が言った。


 あの、悪いことっていうか、家事をしただけなんですけど。


 バレー部員の代わりで河東先生の家に行ったら、家の細かいところが気になって、我慢できず、丁寧に掃除してしまった。

 風呂場の鏡の水垢みずあかとか、落としてしまった。

 タンスの中の衣類も整理して、全部畳み直してしまった。

 秋物がまだクローゼットに掛かってたから、クリーニングに出して冬物と入れ替えた。

 河東先生に美味しい夕飯食べてもらいたくて、料理、張り切ってしまった。


 まさか、そんなところからバレるとは……



「まあまあ、みんな。篠岡は、私達に良きライバルを作ってくれたんだ。それも、ヨハンナ先生と弩のダイエットが進むようにとの思いからだろう。そんなに責めたらかわいそうじゃないか」

 縦走先輩が言う。


 ってゆうか、元はといえば、縦走先輩が、みんなに変な約束取り付けたから、こんなことになったんじゃないか!



「いいわ。大会まで、あなたはバレー部駅伝チームのサポートをしてあげなさい。私達はそれを許すくらいの、甲斐性かいしょうはあるわ」

 ヨハンナ先生が余裕の表情を見せる。


「でも、勝つのは私達ですから!」

 弩が言った。


「その代わり、優勝したらどうなるか、分かってるでしょうね?」

 ヨハンナ先生が言う。


「何か一つ、言うことを聞くって、私達が想像した、一番重いお願いを聞いてもらうから、覚悟してなさい」

 不敵な笑顔のヨハンナ先生。


 まずい。


 僕は、却って、女子達の結束を強めてしまった。

 女子達の本気を引き出してしまったのかもしれない。



「おでこにキ、キスじゃなくて、く、くく、口に、口にしてもら………ふぇええええ」


 だから、弩、妄想がダダ漏れだって。

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