第169話 眠れる獅子

「問題ないな」

 母木先輩が言った。

「うん、お互い、問題ないわね」

 鬼胡桃会長も言って、ふっと息を吐く。


 二人を見守って控えていた御厨も、安心してお茶とおやつを出した。

 今日のおやつは、黒ごまがかかったサツマイモの一口ドーナツだ。



 母木先輩と鬼胡桃会長は、食堂のサンルームで、センター試験の自己採点をしていた。

 間違いがないよう、二人はお互いの答案を交換して採点したけど、二人とも、実力は出せたようだ。


 見守っていた主夫部の僕たちも、ほっと胸をなで下ろす。


 二人のことだから、そんなに心配はしてなかったんだけど。



「このまま、二次試験も行けそうですね」

 僕は言った。


「ええ、もちろんよ。この鬼胡桃統子の辞書に、失敗の文字はないわ」

 ああ、会長、絶好調だ。


「みんな、ありがとう。サポートしてくれる、君たちのおかげだ。掃除、手伝えなくてすまないな」

 母木先輩が笑顔で言った。

 先輩は、掃除手伝えなくてすまないっていうか、掃除できなくて、うずうずしてるって感じだった。

 僕たちが廊下の雑巾がけしてるのを、羨ましそうに見てるし。


「それじゃあ、早速、勉強始めるから」

 おやつを食べた後、二人はそう言って二階に上がっていった。


 もちろん、手を繋いで。





「ああ、疲れたー!」


 二人と入れ替わりで、駅伝トレーニング中の女子達が帰って来た。


 縦走先輩に率いられた、ヨハンナ先生と弩、新巻さんと、萌花ちゃん。


 縦走先輩以外の四人は、靴も脱がずに、玄関に倒れ込んだ。


 ヨハンナ先生が、倒れたまま大きく息をして、着ていたジャージを脱いだ(脱ぎ散らかしたジャージは、僕が回収する)。


 弩を見ると、真冬にも関わらず、汗で額に髪を張りつかせている。


 いつもすまし顔の新巻さんも、苦しい顔を隠さないし、萌花ちゃんは床の上に大の字になった。


 四人とも、縦走先輩に、相当しごかれたらしい。


 それなのに、みんな、どこか清々すがすがしい顔をしている。


「体動かすのって、気持ちいいわね。癖になっちゃいそう」

 ヨハンナ先生が言った。


「先輩、私、今日はみんなに遅れずに付いていくことが出来たんですよ」

 弩が、嬉しそうに言う。


「そうか、良かったな」

 弩がそんな顔をしていると、頭をなで繰り回したくなる(我慢できなくて実際、なで繰り回す)。


「いや、それにしても、新巻は見かけによらず、長距離いけるじゃないか。陸上部なんかに入って、そっちを伸ばしてもいいと思うぞ」

 縦走先輩が言った。


「走るの楽しいなって、私、発見でした」

 新巻さんが笑顔で言う。


「萌花も、見かけよりも根性があるな。さすが、河東先生の娘だ」

 縦走先輩に言われて、萌花ちゃんも悪い気はしないらしい。


「皆さん、熱心ですね。ここのところ、朝夕、欠かさずトレーニングして」

 御厨が言った。


「先生と弩のユニフォーム、少しサイズを直したほうがいいかもですね。二人とも、ずいぶん引き締まってきたし」

 錦織も言う。



 まずい………



 寄宿舎駅伝チームの面々、気合い入りまくりだ。

 もしかしたら、このまま優勝しちゃうんじゃないか、そんなふうに思えてくる。


 縦走先輩に無理矢理念書を書かされても、まあ、このチームが優勝することはないって、僕はたかくくってたけど、段々、不安になってきた。


 このままだと、僕は本当に、何か一つ、みんなの言うことを聞く羽目になってしまう。


 ヨハンナ先生や弩に、あんなことや、こんなこと、やらされてしまう。


 新巻さんと、萌花ちゃんも、何を言ってくるかわからないし。



「それじゃあ、塞君。洗濯よろしくね」

 ヨハンナ先生が言って、女子たちはシャワーを浴びに風呂に行った。

 脱衣所から、きゃっきゃと、女子たちの弾んだ声が聞こえる。


 洗濯物が増えたのは嬉しいし、ヨハンナ先生と弩が、元の体型に戻りつつあるのは、すごくいいことなんだけど。




「先輩! 篠岡先輩」

 そんな葛藤の中で、女子達の練習を見守っていたら、次の日の放課後、学校の廊下で、女子生徒に呼び止められた。


 聞いたことがある声の主は、麻績村おみむらさんだ。

 バレー部一年の、麻績村まひるさん。


 180㎝を超えて、僕より高い身長。

 眉が全部見えるくらい前髪を切ったショートカットで、ふわふわした捕らえどころがない女の子。


 麻績村さんは、他のバレー部一年生四人と一緒にいて、こっちに走ってきた。

 ジャージ姿で、これから部活に行くところだったみたいだ。


「先輩、この前は、焼き肉、ごちそうさまでした」

 麻績村さんが言って、他の四人も、「ごちそうさまでした」と、揃って頭を下げる。


 僕は、背の高いバレー部五人に囲まれた。


「すごく、おいしかったです」

「みんなでわいわい、楽しかったし」

「先輩って、マメなんですね」

「妹さん、すごく可愛いし」

 みんな、口々に言った。

 囲まれてるし、圧倒される。


「ううん。ごちそうさまっていうか、河東先生が全部出してくれたんだし。僕はただ、場所を提供しただけで……」

 あの女子バレー部員達の食べっぷり、たぶん、先生は冬のボーナスを、相当持ってかれたんじゃないかと思う。


「先輩が、飲み物足りてる? って、一人一人に聞いてくれたり、焼けたお肉分けてくれたり、お皿変えてくれたり、細かい気配りしてくれてたの、解ってますから」

 麻績村さんが言う。


 そうそう、と、他の四人も頷いた。


「また、先輩の家で焼き肉できたらいいなー、なんて」

 麻績村さんが悪戯っぽく言った。


「そうだね、また、出来たらいいね」


「あっ、社交辞令じゃありませんよ。本当にしたいんですから」

 麻績村さんが言って、他の四人もうんうんと頷く。


「考えとく」

 この肉食系女子と焼き肉するとなると、河東先生みたいなスポンサーがいないと、大変そうだ。



「それじゃあ、私達、これから、駅伝の練習なので」

 麻績村さん達は、そう言ってこの場から去ろうとする。


「んっ、駅伝?」

 僕は聞き返した。


「はい。もうすぐ、市民駅伝大会があって、それに私達も参加するんです」

 麻績村さんが答える。


「バレー部の一年生は、毎年、体力作りのためにチームを作って参加するんです。ボールを触るより前に基礎体力作りだって、河東先生の方針だから」


 そうか、一年生はあんまりボール触らせてもらえないのか。

 なんか、河東先生らしいと思った。


「今年は、私達、この五人が、参加することになりました。バレー部一年の中でも、特に足が速いので」

 確かに、みんな背が高くて、すらっとしてて、走るの速そうだ。


「へえ、そうなんだ」

 そう返事をしながら、


 ピコーンと、僕はひらめいた。


 閃いてしまった。


 この閃きを僕に与えたのは、多分、悪魔だ。



「あの、君達、僕の家で、焼き肉したいよね」

 僕は麻績村さんと、四人を見渡して訊いた。


「えっ? は、はい、したいですけど……」

 麻績村さんが、首を傾げながら答える。


「もし、駅伝で優勝したら、ご褒美に、またみんなで焼き肉しようよ。今度は僕がおごるよ」

 僕は提案した。


「えっ! ホントですか!」

 麻績村さんがそう言って、思わず僕の手を握る。


「いいんですか?」

「やったーお肉だ!」

「わー、楽しそう」

「めっちゃテンション上がるー」

 麻績村さんと四人が、興奮して言った。


「それから、みんなが駅伝の練習に集中できるように、洗濯とか雑用とかあったら、何でも手伝う。サポートする」


「えっ? そんなの悪いです」

 麻績村さんが首を振る。


「いいんだよ。洗濯とか、ついでだし。女子のお手伝いするのが、僕たち主夫部にとっての練習だし」

 僕は言った。


「さすが、主夫部は、女子の味方なんですね」

 麻績村さんが言う。

 あとの四人も、頷いていた。


 せっかく麻績村さん達がそんなふうに言ってくれたのに、今回は、僕のよこしまな思いがあるから、なんか、申し訳ない。


 彼女達に、寄宿舎チームの優勝をはばんでもらおうという、邪悪な考え。



「じゃあ、私達、早速、練習行ってきますね。気合い入ったし、もう、どこまでも走れそう」

 麻績村さんと四人は、はしゃぎながら廊下を走っていった。


 やっぱり、僕の思惑おもわく通り、肉食系女子に、焼き肉のご褒美は効果があった。


 ありすぎたかもしれない。



 寄宿舎チームのみんな、すまない。


 普段から、河東先生にしごかれているバレー部員が本気で走ったら、ぶっちぎりで優勝しちゃうだろう。

 ただでさえ強豪なのに、それを僕は焼き肉で目覚めさせてしまった。

 眠れる獅子を起こしてしまった。

 僕が彼女たちをサポートするし、寄宿舎チームが勝つ可能性は、もう、万に一つもない。


 でも、これは僕の危機だし、仕方がないんだ。

 こうするしかなかったんだ。


 どうか、みんな、許してほしい。

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