第160話 大晦日

 大晦日の夕飯は、鍋にした。


 朝から正月のおせち料理の準備に忙しかったし、簡単に用意できて、豪勢に見えるものって考えたら、そうなった。

 おせち作りで余った野菜とか、魚とか肉とか適当に放り込んで、使い切ってしまえるし。



「お兄ちゃん、私もう、食べられないよ」

 花園が言った。


 僕の狙いは当たって、女子四人はわいわい騒ぎながら、鍋をあっという間に空っぽにしてくれた。

 僕の家のリビングには、妹の花園と枝折、そして、ヨハンナ先生と弩がいて、こたつに入って鍋を囲んでいる。

 女子達は、もうみんな風呂に入って寝間着に着替えていた。

 鍋パーティーのまま眠くなったら眠ってしまってもいいようにと、リビングの隣の客間には、布団が五組敷いてある。



 大晦日の夜を、女子達はテレビで「笑ってはいけない」と「紅白」を交互に切り替えて見ながら、鍋をつついて、トランプをしたり、ガールズトークをしたりして、くつろいで過ごした。

 もちろん、ヨハンナ先生の脇には焼酎の瓶があって、先生は、ほろ酔いだ。


 僕はそんな女子達のために、料理を出したり、お酌したり、甲斐甲斐かいがいしく世話を焼いている。



「じゃあ、そろそろシメに行こうか」

 ヨハンナ先生が言った。


 みんなで食べ尽くして、美味しい出汁だしが出た土鍋の中のスープに、蕎麦を入れてシメにする。

 ご飯でもうどんでもなく、蕎麦を入れたのは、もちろん、これを年越し蕎麦にするためだ。

 濃厚な鶏のだしが出たスープに、茹でておいた蕎麦を入れて、ネギを散らす。


 あれだけ鍋を食べたのに、女子達は蕎麦もぺろりと平らげた。


「ホント、もう、お腹ぱんぱんだよ」

 ヨハンナ先生が、部屋着のパーカーをめくって、お腹を見せる。

「先生、自慢げにお腹見せなくていいです」

 おへそが可愛いけど。


「弩、ほら、ほっぺに万能ネギついてるぞ」

 僕は弩のほっぺたについているネギを取って、食べた。

「先輩にほっぺのネギを食べられたのに、もう、突っ込む気力もありません」

 弩はそう言って、こたつに入ったまま、寝転がる。


「これじゃあ、デザートのハーゲンダッツは、いらないか」

 僕が言うと、


「それはいるし」

「食べるに決まってるじゃない」

「食べない選択とか、ないです」

「ハーゲンダッツは別腹だから」


 こたつの女子四人が、一斉に言った。


「ほら、お兄ちゃん、さっさとハーゲンダッツ持ってきて」

 こたつと一体化した女子達に、冷蔵庫までアイスを取りに行かされる。


 花園はストロベリー。

 枝折はクッキー&クリーム。

 弩はバニラクッキーラズベリーで、ヨハンナ先生はラムレーズンを選んだ。


「やっぱ、こたつで食べるアイスは最高だよね」

 ヨハンナ先生が言った。

 それには全面的に賛同する。

 僕はチョコレートブラウニーを食べた(一口ちょうだいと言って、女子達に半分くらい食べられたけど)。


「ああ、もう、こたつから出たくないよ。ねえ、塞君。私の代わりにトイレ行ってきて」

 先生が言った。

「無理です!」

「じゃあ、せめて、トイレまでお姫様抱っこで連れてって」

 先生が食い下がる。


 トイレとお姫様抱っこっていう、ワードの衝突しょうとつひどい。


「ほら、漏れちゃうし。せっかく大掃除したのに、掃除するの大変でしょ」

 どんな脅し方だよ!


 仕方なく、先生をお姫様抱っこして、廊下に出る。

 ぬくぬくのリビングを出ると、廊下は冷えていて、震えるくらいだった。



「枝折ちゃんも花園ちゃんも、元気そうで、良かったね」

 僕にお姫様抱っこされながら、先生が言った。


「はい」

 僕は頷く。


 母の護衛艦「あかぎ」と交代で、南シナ海に派遣された護衛艦「たいほう」の艦載機が、他国の戦闘機にロックオンされる事態が発生して、周辺海域が緊迫。母の「あかぎ」は、当該海域とうがいかいいきに引き返した。


 当然、正月は一緒に過ごせなくなった。


 顔や態度には出さなかったけど、花園も枝折も少なからず、ショックを受けていた。

 それを聞いて、急遽、ヨハンナ先生と弩が、冬休みの間この家に来て、一緒に過ごしてくれることになった。


「来て頂いて、本当にありがとうございます」

 僕は心から、そう思った。


「ううん、いいの。却ってこっちが感謝するくらい。弩さんと二人で寄宿舎にいたら、家事とか不安だったからね。ここなら洗濯はしてもらえるし、美味しい料理は食べられるし、美味しいお酒も飲めるし、こうやって、抱いてもらえるし」

 ヨハンナ先生が満面の笑顔で言う。


 先生、抱いてもらえるとか、誤解を招く表現はやめてください。

 いや、確かに抱いてるんだけど。



「ところで、君は大丈夫なの?」

 先生が言った。


「塞君は妹さん達のことばかり心配してるけど、自分はどうなの? 先生としては、君のことも心配だよ」

 笑顔から一転、先生が少し真剣な顔になって言う。


「僕は大丈夫です」

 母も父も、仕事が仕事だし、イレギュラーな事態で予定が変更になるのは、子供の頃から慣れていた。

 それに、今の僕には、こうして心配してくれる先生や、弩、主夫部や寄宿生のみんなもいるし。


「そっか、塞君は強いんだね。家事もできるし、強いし。本当にこのまま、お婿さんにしたいよ」

 冗談かホントか、先生がそんなことを言った。


 トイレの前で先生を下ろす。

「ちゃんと、待っててよ。トイレを出たとき君がいないと、先生、このままここで凍死しちゃうから」

 先生が言った。


 先生は、僕を落ち込ませないように、道化を演じてくれているんだと思う。

 たぶん。

 おそらく。

 いや、そうであってほしい。



 トイレからの帰りも、先生をお姫様抱っこしてリビングに戻って、座布団の上に降ろしたら、

「花園も抱っこでトイレ」

 花園が、求めるように僕に両手を差し出してきた。

「花園はもう、歩けないし」

 こうなった花園は、聞き分けがないから、さっさとお姫様抱っこでトイレに連れて行く。


 花園をトイレから連れ帰ったと思ったら、今度は枝折だ。

「枝折もか?」

 僕が言うと、枝折がコクリと頷いた。

 あの、普段、優等生の枝折まで。


「枝折ちゃん、こたつの魔力に取り付かれたら、もう、自分では動けないよね」

 ヨハンナ先生が枝折に余計なことを言う。



「あのあの、先輩、私もお願いします」

 弩が上目遣いに言った。

 枝折を抱いてトイレまで往復して、これで終わりかと思ったら、今度は弩だ。


「はいはい、分かったよ」

 弩はこの中で一番小さいし、楽勝だ。



「弩、弩もありがとうな」

 廊下で、ピンクのパジャマの弩をお姫様抱っこしながら、僕は言った。


「来てくれて、助かった。花園も枝折も、お姉ちゃんが出来たって喜んでるし」

 冬休みの間、二人は弩に遊んでもらっている、というか、弩が二人に遊ばれている。

 でも、おかげで二人は気を紛らわすことが出来た。


「いえ、そんな私なんか」

 弩が謙遜して言う。

「いや、弩だからこそ、こんなふうに二人を和ませてくれるんだ」


「あの、先輩」

 弩は、顔を赤くして小刻みに震えていた。

「なんだ、弩」

「あのあの」

 お姫様抱っこで抱かれたまま、顔を真っ赤にする弩。


「なんだよ」


「だから、その……」


「なんだ、言いたいことがあったら、言って見ろ」

 僕は言った。

 弩が訴えかけるような目で、僕を見ている。

 なにか、言いにくいことを、言おうとしているんだろうか。


 僕に、なにか告白でもしようとしているのか。


「ほら、言ってみろって」

 僕が促す。


「あの、先輩、だから、ずっと抱いてないで、そろそろトイレに行かせてください!」

 弩が言った。


 ああ、そうだった。


 僕が下ろすと、弩は急いでトイレに駆け込んだ。



 しばらく廊下で待っていると、弩がトイレから出てくる。


「先輩、本当は女の子に、トイレ行かせてとか言わせたら駄目なんですよ」

 弩が言った。

「そっか、悪い」

「デートのときなんかも、女子が言い出す前に、気を使って自分が行くとか、してくださいね」

「ああ、そうだな」

「大体、先輩は、家事とかばっちりこなすのに、にぶすぎるんです」

「すまん」

「先輩は鈍いです。鈍感です」

 大晦日に、弩から説教されてしまった。


 でも、もっともなことだけに、言い返せない。




 リビングに戻ると、こたつと同化した三人が眠っていた。

 花園と枝折が、先生の両側に寄り添って寝ている。

 こたつで寝かせるわけにはいかないから、三人を客間に敷いた布団に連れて行って、寝かせた。



 三人を寝かせて布団をかけた頃、つけっぱなしのテレビから時報が聞こえて、呆気なく年が明ける。


「先輩、明けましておめでとうございます」

 弩が言った。

「うん、おめでとう。弩、今年もよろしくな」

「はい、よろしくお願いします」


 弩といると、今年も色々と、楽しいことがありそうだ。



 弩に手伝ってもらって、リビングとキッチンの後片付けをした。

 朝のお雑煮の準備をして、僕達も寝ることにする。



「あっ、しまった」

 片付けが終わって、客間に眠っている三人の様子を見に行ったら、僕は致命的な過ちを犯していることに気付いた。


 枝折とヨハンナ先生と花園を、客間に敷いた布団の右端から順に寝かせてしまったのだ。 それだから、今、左側二つの布団が空いている状態になっている。


 つまり、こうなると僕と弩が、左側の二つの布団に、並んで寝るしかない。

 隣同士の布団で寝るしかないのだ(まあ、僕が二階の自分のベッドで寝るっていうオプションもあるんだけど、この際それは、物理の問題に出てくる摩擦まさつと同じで、ないものとして考える)。

 三人ともスヤスヤと眠っているし、今起こすのは可哀想だ。


「私は別にいいですよ。先輩のこと、信じてますから」

 弩が言った。

 勝手に信じられても困るが。


「じゃあ、このままでいいか」

 僕と弩は並んで床に就いて、電気を消した。


 遠くから、ゴーン、ゴーンと、除夜の鐘が聞こえてきた。


 除夜の鐘は煩悩ぼんのうの数、108回鳴らすという。


 僕は、鐘の音を聞きながら、すぐ隣に弩が寝ているという煩悩と戦いながら眠った。

 寝相が悪い弩の太股が、僕の目の前に投げ出されるという煩悩と戦う。



 僕の一年は、そんなふうに終わって、また次の一年が始まった。

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