第13章

第161話 明けましておめでとうございます

「先生は、お雑煮のお餅いくつですか?」

 僕が訊くと、

「三つ!」

 ヨハンナ先生が勢いよく指を三本突き立てた。


「じゃ、じゃあ、私は四つです!」

 負けじと弩が指を四本、ダブルピースみたいに掲げる。


「みなさん本当にそんなに食べられますか?」

 僕は、教師のように訊いた。

 立場が逆な気がするんだけど。



 ヨハンナ先生も弩も、朝からおせちをたらふくたべているし、お雑煮のあとには、デザートのハーゲンダッツも控えている。

 テレビで駅伝中継を見ながら、こたつでぬくぬくしていて、運動らしい運動は殆どしてないし。


「私は一つでいい」

 枝折が言った。

「花園も一つかな」

 我が妹達が、若干引き気味で言う。


「それじゃあ、ちょっと待ってて」

 僕はキッチンに戻って、餅を焼いて、だし汁に火を入れた。

 我が家のお雑煮はすまし汁だ。

 具は、鶏肉に大根、人参、ほうれん草に、かまぼこっていう、シンプルなお雑煮。

 餅が焼ける間に、二階のベランダに干してあるみんなのタオルやらパンツやら、洗濯物を取り込む。

 

 正月から、主夫は忙しい。


 餅を三個も四個も入れて、残されることを覚悟してお雑煮を出したら、先生も弩も、ぺろりと平らげてしまった。


「塞君、それじゃあ次、アイスね」

 先生が催促する。

 先生の横には、焼酎の瓶とか、からのビール缶とかが転がっていた。

 今日の先生は金色の髪を二つ結びにしていて、いつもより幼い感じだから、そのギャップが激しい。


「先輩、ホワイトロリータが切れてしまいました。ついでに、いいですか?」

 丁寧に言うけど、弩に、いいように使われた。

 女子達はこたつから動こうとしない。



 でも、まあ、女子達は幸せそうだし、ぽかぽかと天気もいいし、平和な新年の幕開けだ。



「それじゃあ、みなさん。先生が今からみんなにお年玉をあげます」

 ヨハンナ先生が言った。

 アイスを食べたあとで先生が客間に消えたと思ったら、何か仕込んでいたらしい。


「いえ、先生、それはいただけません」

 僕は断った。


「遠慮するんじゃないの。今の私は、先生っていう立場じゃなくて、知り合いのお姉さんっていう立場なんだから」

 先生が言う。

 知り合いのお姉さんって、なんかいい響きだ。


「でも……」

 うちは兄妹三人もいるのだし。


「いいからいいから。ほら、これが塞君で、枝折ちゃん、花園ちゃん、そして弩さんも」

 先生が、僕達にお年玉袋を配った。


「ありがとうございます!」

 僕達は笑顔で受け取って礼を言う。



「あれ、これ、お金じゃない!」

 しかし、袋を開けた花園が言った。

 こら、花園、はしたないから、くれた人の目の前でお年玉袋を開けるんじゃありません。


「何これ? 『一緒にパフェ食べに行ってあげる券』だって。五枚入ってる!」

 花園がそういって、手書きの紙切れを掲げた。

 確かに、お年玉袋の中には、短冊状の紙が入っている。

 ミシン目があって、ライブのチケットみたいに、端が切れるようになっていた。


「その券で、花園ちゃんに美味しいパフェをおごってあげるわよ」

 先生が言う。


「あっ、私もお金じゃなくて、チケットです。『コンビニに買い物に行ってあげる券』って書いてあります。十枚つづりになってます」

 弩が言った。


「ただ、お金だとつまらないからね」

 先生が言って、僕達にウインクする。


「これで、先生に買い物行ってもらえるんですか!」

 弩が一段高い声を出して喜んだ。

「ええ、この券を使えば、私がいつでもコンビニに買い出しに行ってあげるわよ」

 先生が言う。


 普段、先生は寄宿舎で弩を近くのコンビニまでパシリに行かせてるし、その借りを返してるだけみたいな気がするけど……


 それにしても、○○券って、子供が母の日にあげる肩叩き券と同じじゃないか!


「ほら、塞君も、開けてみて」

 先生が言った。


 言われるままに、ポチ袋を開けて、中の紙を引っ張り出す。

「僕のは『勉強教えてあげる券』ですが……」

 手書き文字の券をコピーしたそれが、十枚綴りで入っていた。

 「勉強教えてあげる券」って、先生は僕の担任教師なんだから勉強教えるのは仕事であって、当然の話だ。


 なんだこの手抜き感……


 すると自分の袋を開けた枝折が、

「私のには、『添い寝してあげる券』が入ってるけど」

 首を傾げて言う。

「先生に添い寝していただけるのは、嬉しいですが」

 枝折が、棒読みで言った。


「え? あ、あれ? チッ、酔ってて間違えたか……」

 先生が舌打ちをして、小声で言った。


 間違えた?


 先生の小声を聞き逃さなかった僕は、はっと、気付いた。


 もしかして、先生は僕のお年玉袋に入れるべき券を、枝折のと間違えたとか、そういうことか?


 先生は「勉強教えてあげる券」と「添い寝してあげる券」を入れ間違えた。

 受験生だし、枝折が「勉強教えてあげる券」なら、筋が通る。

 現役高校教師に教えてもらえるなら、枝折も有効につかえるし。


 てことは、先生が添い寝してあげたかったのは……


「添い寝してあげる券、三十枚綴りくらいあるよ」

 枝折が言った。

 どれだけ添い寝したいんだ。


 なんか僕は、すごく、身の危険を感じるんですけど。


(先生の名誉のために言っておくと、そのあとで僕達は、各人一万円札が入った本当のお年玉をもらった)




 僕達がそんな、少し危険な香りがするだらだらとしたお正月を過ごしていたら、お昼過ぎに家の前に車が停まって、誰かがチャイムを鳴らした。


「あけまして、おめでとうございます!」

 うちに来たのは、萌花ちゃんだ。

 母親である河東先生の車に乗せてもらって、新年の挨拶をしに来てくれた。

 弩が声を掛けてくれたらしい。


 白いブラウスにピンクのニットの萌花ちゃん。

 当然、萌花ちゃんの首には一眼レフカメラが下がっている。

 聞けば、早朝から初日の出の撮影をして、その帰りらしい。


「まあまあ、上がって上がって」

 僕は萌花ちゃんを招き入れた。

 河東先生を一人で車に待たせておくわけにはいかないから、先生にも入ってもらう。


 河東先生が来ると聞いて、ヨハンナ先生は光の速さで寝間着から着替えて、ビール缶や焼酎の瓶を片付けた。


 僕は萌花ちゃんと河東先生におせちを勧めて、お雑煮も振る舞う。


「先輩のおせちも、お雑煮も美味しいです。私も母も、料理はあんまり上手くないから」

 僕の自家製栗きんとんを頬張りながら、萌花ちゃんが褒めてくれた。


「そうね、中々の腕だわ」

 河東先生にも、そんなふうに言ってもらえる。


 グレーのタートルネックのニットに、黒いジャケットの河東先生。

 先生は背も高いし、バレーをやっていて上半身に筋肉がついてるし、ジャケットがすごく似合う。

 そんな河東先生には、早速、花園が隣に座って抱きついた。

「あらあら」

 バレー部監督の鬼の形相から離れて、先生の顔がほころぶ。

 本当に花園は、誰にでも甘え上手だ。



 萌花ちゃんと河東先生が来てくれて、我が家は一層、賑やかになる。

 河東先生の出現に、最初、緊張していたヨハンナ先生も、段々と肩の力が抜けて来た。

 河東先生はお酒が飲めないから、ヨハンナ先生がウーロン茶をお酌する。

 お返しに河東先生がヨハンナ先生にビールを注いだりした。



 今頃、他の寄宿生や主夫部部員は何してるんだろう。

 女子達の世話を焼きながら、僕は、ふと思った。



 鬼胡桃会長と母木先輩は、実家で受験勉強のはずだ。

 新巻さんも、久しぶりに実家に帰っている。

 家でも執筆してるんだろうか。

 古品さんはイベントやライブの仕事で年末から飛び回っていて、錦織は衣装担当として、それについて行った。

 御厨は夏休みに続いて、母親とバカンスで、今は夏真っ盛りのニューカレドニアだ。


 縦走先輩も実家に帰ってるけど、また自主トレでもしてるんだろうか。

 まさか正月から、ヨーロッパ遠征のスポンサー集めをしているわけではないだろう。

 もしよければ、夏休みのときみたいに、うちにくればいいのに。


 そんなことを考えていたら、

「あっ、縦走のお姉ちゃんだ」

 つけっぱなしになっていたテレビを見た花園が、ぽつりと呟いた。


 えっ?


 リビングのテレビでは、たしか、正月恒例の駅伝の中継が流れていたはずだ。


「本当です! 縦走先輩です! 先輩が走ってます!」

 弩がテレビの画面を指して、ひっくり返った声を出した。

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