第159話 よいお年を!

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 縦走先輩の雄叫びが、寄宿舎がある林の中に響いた。


「ううううううううううううううりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 先輩の鬼気迫る声に、木々の上で休んでいた山鳥が、一斉に逃げていく。


「きぃぃぃぃぃぃええええええええええええええええええええええええええ!」

 危険を察したリスが、備蓄していたどんぐりを頬袋に溜め込んで林をあとにした。


「先輩、一搗ひとつきするたびに、必殺技を出しそうな雄叫びを上げるのはやめてください」

 うすの中の餅を手でひっくり返しながら、僕が頼む。

 きねを持った縦走先輩が、さっきから力任せに餅をいているのだ。


 今朝は霜が降りたくらい寒かったというのに、上半身Tシャツ一枚に下は短パンで、汗さえ流している先輩。


 先輩が一人で搗いてくれるおかげで、朝から大量に蒸かした餅米は、瞬く間に白いすべすべしたお餅になっていくけれど、すぐ側にいる僕は、耳がどうにかなりそうだ。


「こうやって、気合いを入れた声を出して、寄宿舎の周囲に巣くう魔を払うのだ。年末年始に餅を搗くのは、そういう意味があるんだぞ。これは今昔物語にも書いてある」

 縦走先輩が言った。

「そんなの、見たことありませんけど」

「あれ、スピンオフの方だったかな?」

「今昔物語のスピンオフって、なんですか……」

「まあ、いいじゃないか」

 先輩はそう言って、もう一搗き、餅を搗いた。



 暮れも押し迫った日、僕達は餅つきをしている。


 縦走先輩と僕が寄宿舎の前庭で搗いた餅を、食堂で、御厨を中心に寄宿生がのし餅にしたり、中にあんこを入れた餡餅にした。


 そしてもちろん、正月用に、この寄宿舎に供える鏡餅も作る。

 この寄宿舎には受験生もいるから、げんを担いで立派な鏡餅が作られる予定だ。


 当の受験生、鬼胡桃会長と母木先輩は、受験勉強の手を休めて、二階の窓から僕達を見て微笑んでいる。



「つおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 重い杵を軽々と扱う縦走先輩。

 その腕の筋肉が逞しくて、惚れ惚れする。

 Tシャツの袖がパンパンだ。


「先輩、腕触らせてもらって、いいですか?」

 僕が訊いた。

「胸、じゃなくていいのか?」

「腕でいいです」

 漢字は似てるけど、大違いだ。

「いいぞ。構わん。いくらでも触ってくれ」

 縦走先輩が、力こぶを作って言う。


 胸、だったら触らせてもらえたんだろうか。



 先輩の腕は、鎧をまとっているみたいに、固かった。

 なんでも跳ね返しそうだ。

 この腕に掴まっていれば、ぐんぐん引っ張っていってもらえる気がする。

 この逞しい腕で、強引にどんどん引っ張っていってもらいたい。


「篠岡の腕は柔らかいな」

 今度は代わりに先輩が僕の腕をぷよぷよと弄んだ。

 先輩に腕を触られて、ちょっとくすぐったい。


「ところで、先輩は進路どうするんですか?」

 僕は先輩に腕を弄ばれながら訊いた。


 同じ三年生の鬼胡桃会長と母木先輩は大学受験。

 古品さんは来春アイドルとしてメジャーデビュー。

 縦走先輩は確か、自分の限界に挑むためにアドベンチャーレーサーになるとか言っていた。


「ああ、アドベンチャーレーサーになるぞ。今、ヨーロッパ遠征のスポンサーを集めているところだ」

 縦走先輩が言う。

「なんの実績もない私だし、中々相手にしてもらえないけどな」

 口ではそう言いながらも、縦走先輩は目をキラキラさせていた。

 先輩は、逆境になればなるほど、燃えるタイプだ。


「弩に言えば、お母さんの関係の会社とか、スポンサーになってくれるんじゃないですか?」

 僕が訊く。

 なんといっても、弩の母親は大弓グループの代表なんだし。

 傘下の企業で、スポンサーはすぐに集まりそうだ。


「そうだな。弩に頼めば、簡単に集まるかもしれないな。でも、スポンサーは自分の力で集めたいんだ。そうしないと、意味がない」

 先輩が言う。

 実に縦走先輩らしいと思った。

 先輩はそうやって、自分で道を切り開いていくんだろう。


「まっ、どうしても集まらない場合は、頼ってしまうかもしれないけどな」

 縦走先輩が、そう言って破顔する。



「先輩方、お餅搗けましたか?」

 食堂から、餅を受け取るためのボールを持って、弩が来た。

 弩は、鼻の頭とおでこに、白い粉を付けている。

 のし餅を作っているときに顔を触って、餅とり粉が付いたんだろう。


「ほら弩、じっとしてろよ」

 ボールを持って手がふさがってるから、僕がハンカチで粉を拭いてやる。

 ついでに鼻をちーんさせた。


「君達は本当に、兄妹みたいだな」

 縦走先輩が言う。

「兄妹、ですか……」

 弩が、少しがっかりしたような顔をした。


「なんだ、弩、僕と兄妹は嫌なのか」

 まったく、失礼なやつだ。

「いえ、そういうわけでは、ありませんけど……」


 僕と弩のやり取りを見て、なぜか縦走先輩が笑っていた。




 出来上がった鏡餅は三方さんぼうの上に載せて、食堂のカウンターに据える。

 二段重ねの鏡餅の上には、ちゃんとだいだいを置いた。

 のし餅と餡餅は、みんなで分けて、それぞれが冬休みのあいだ帰省する実家へのお土産にする。



 今年最後の行事、餅つきが終わると、僕達主夫部は、弩に家事の段取りをおさらいさせた。


 冬休みの間、弩とヨハンナ先生だけは、この寄宿舎に残る。


 他の寄宿生が実家に帰るなか、実家に帰っても誰もいないという弩は、ここに残る選択をした。

 弩を一人で残していくわけにはいかないからと、ヨハンナ先生もここに残ることになった。


「実家の旅館に帰ると、この忙しい時期だし、こき使われるからね」

 ヨハンナ先生はそんなふうに言った。


 弩に気を使わせないように言ったんだろう。


 夏休みのように僕の家で面倒をみようと提案したけど、二人はそれを断った。


「せっかくご両親が帰ってこられるんだから、親子水入らずで過ごしなさい」

 ヨハンナ先生が言う。


 そうなのだ。


 久しぶりに母の護衛艦「あかぎ」が横須賀の母港に帰って、両親が正月を家で過ごす。

 妹の花園も枝折も、それを殊の外喜んでいた。

 弩とヨハンナ先生は、久しぶりの家族の団欒を邪魔しないようにと、寄宿舎で二人で過ごすと決めたらしい。


 でも、そうなると冬休みの間、弩とヨハンナ先生は、二人で家事をしなければならない。本来管理人であるはずのヨハンナ先生が当てにならないから、家事は弩に託すしかない。

 弩は、主夫部の部員でもあるし、僕達は弩が一人で、炊事、洗濯、掃除を出来るよう、家事の段取りを説明したノートを作って、徹底的に特訓した。

 ここ一か月で、どうにかこなせるように、仕上げた。


 それでも心配だから、冬休み中に、僕は何度かここを見に来るつもりだけど。




「よいお年を!」

 弩とヨハンナ先生の二人を残して、他の寄宿生と主夫部部員が、寄宿舎を離れる。

 みんな、お土産のお餅を持って。


「塞君、お義父とうさんとお義母かあさんによろしくね」

 別れ際、玄関でヨハンナ先生が言った。

「先生、僕の父と母に、変な字を当てないでください」

「えっ? あなた、言葉だけでなんで私が、お父さんに『義父』、お母さんに『義母』と当てたのが分かったの?」

「いえ、なんとなく」

 言葉が、そんなふうに見えたのだ。


「先輩、私からも、お義父とうさんとお義母かあさんによろしくです」

 弩まで……



「じゃあな、また来年!」

 手を振って、ここを去ろうとしたら、スマートフォンに着信があった。


 画面で確認すると、相手は枝折だ。

 枝折が、わざわざ電話をかけてくるんだから、嫌な予感はしていた。


「お兄ちゃん、大変。お母さんの船、また帰ってこれなくなっちゃった。艦載機が、他国の戦闘機にロックオンされたって、ニュースが……」

 枝折が電話口で、そう言った。

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