第158話 サンタクロース

 弩の部屋のドアを、ゆっくりと開けた。

 部屋に鍵は掛かっていない。

 サンタクロースが来るからと、弩は鍵を掛けなかったと思われる。



 部屋の中は真っ暗だった。

 時刻は午前二時。

 カーテン越しの外からの光で、かろうじて家具やベッドの位置が見える。

 いつもより外が明るい気がするのは、クリスマスパーティーの間も降り続いていた雪が、積もったからだろう。

 雪明かりで、ぼんやり明るいのだ。



 部屋の中を窺うと、ベッドの上に弩の気配があった。

 暗闇に布団が膨らんでいるのが見えるし、寝息が聞こえる。


 抜き足差し足、弩のベッドに近づいた。

 僕は今、サンタクロースの衣装を着てるし、太った体型にするために、丸めたTシャツとか、タオルとかを服の間に入れてるから、いつもより歩きづらい。


 枕元の靴下にプレゼントを入れるだけなら、こんなサンタのコスプレをする必要はないのかもしれない。

 けれど、もし弩が目を覚まして、寝ぼけ眼にうっすらと僕の姿が映ったときのことを考えて、念のため衣装を用意した。

 弩の両親みたいに凝った演出はできないけど、せめてこれくらいはと考えたのだ。



 家具やこたつをよけて、慎重にベッドを目指す。

 だんだん暗闇に目が慣れて、部屋の中が見えるようになってきた。


 僕は弩のベッドの枕元に立つ。


 弩は横向きで、左頬を枕にくっつけて寝ていた。

 微かな明かりでも、弩のほっぺたがぷよぷよなのが分かる。

 僕は、ほっぺたをツンツンしたくなる衝動を、ぎりぎりのところで押さえた。


 静かに、音を立てないよう、枕元の靴下にプレゼントの箱を入れる。

 箱の中身は弩に遊園地で聞いた、ハンドクリームだ。

 弩のお願い通り、シアバターが入ったオーガニックのやつ。

 自分が使うハンドクリームをプレゼントするっていうのもおかしな話だけど、この際それは不問にする。


 無事、プレゼントを靴下に入れて、任務は完了。


 去り際、弩の口からちょっとよだれが垂れてるみたいだったから、拭こうとしてハンカチを出したら、


「篠岡先輩?」


 弩の目が、ぱっちりと開いた。

 僕の目と弩の目が、ぴったり合ってしまう。

 僕はハンカチを引っ込めた。


「先輩、何してるんですか?」

 弩が、かすれた声で訊く。


「わ、わしはサンタクロースじゃよ。その、先輩とかいう者ではないんじゃ」


 なんという、大根。


「えっと、突っ込んだほうがいいですか?」

 弩が、冷静に訊いた。


「いや、いい」

 やりながら、自分でも恥ずかしかったし。

 できればこのまま窓を突き破って逃げて、積もった雪にダイビングしたかった。

 真っ赤になった顔を、冷やしたかった。



 弩が、ベッドから上半身を起こして、枕元の読書灯をつける。

 小さな灯りが、部屋を淡いオレンジに照らした。

 弩は、ミントグリーンのパジャマを着ている。


「なぜ、僕って分かったんだ!」

 僕はサンタクロースの仮装している。

 三角帽子を目深に被ってるし、白い髭で口の周りとか、顔の殆どを覆っていた。

 顔で見えているのは目のまわりくらいなのに、なぜ、弩は僕と分かったんだ。


「目を見れば篠岡先輩だってすぐに分かります。私、先輩のこと、ずっと見てるんですから」

 弩が言った。


 先輩のこと、ずっと見てるんですから、って、男子高校生が選ぶ、部活の後輩の普段妹みたいに付き合っている可愛い女子から言われたらキュンとしてしまう台詞、ナンバーワンじゃないか(僕調べ)。



「先輩、私の部屋で、サンタさんのコスプレをして、何してるんですか?」

 弩が訊いてきた。


「弩、実はな……」

 こうなったら、本当のことを話すしかない。

 弩にサンタクロースの真実を語るしかなかった。


「僕は、弩のお母さんやお父さんの代わりにサンタクロースになって、プレゼントを置きに来たんだ」

 僕は帽子を脱いで、髭を取る。


「母や父の代わりって、なんでサンタさんが母や父なんですか?」

 弩が、不思議そうに首を傾げた。


「弩、落ち着いて聞いてくれ。サンタクロースはいないんだよ。サンタクロースのプレゼントは、今までずっと、弩のご両親が密かに用意していたんだ」


「嘘です!」

 弩が、いつになく強い調子で言う。


「いや、嘘じゃない。こんなことで嘘ついたって意味ないだろ。それが真実だ。考えてもみろ、全世界にどれだけの子供がいると思う? サンタクロースが一晩でその全てにプレゼントを配れるわけないだろう?」

 僕はつまらない理屈を言ってしまった。

 でも、大人になるって、こういうつまらない理屈を受け入れていくことだと思う。


「ははぁん」

 弩が、何か解ったように頷いた。


「先輩は、私の部屋に忍び込むために、そんな嘘をついて、サンタさんの変装をして来たんですね。私の部屋に入る口実が欲しかったんですね」

 弩が、ジト目で僕を見る。


「いや、違うし」


「解りました」

 弩はそう言うと、ベッドに仰向けに寝た。

 そして、ミントグリーンのパジャマの、一番上のボタンを外す。


「どうぞ」

 弩がそう言って、目を瞑った。


「どうぞ、じゃねえよ!」

 全力で突っ込んでしまった。


 ベッドの上に仰向けで、無防備になって、どうぞって、なんだよ。

 この部屋には僕と弩しかいないし、勝手に覚悟を決めるな!


「なんだ、先輩は私を襲いに来たんじゃないんですか?」

 弩が仰向けに寝たままで訊く。


「襲いに来たんじゃないし、襲いに来たと思ったんなら、もっと抵抗しろ!」

「別に私は、よかったんですけど」

 弩がぼそっと言った。



 シャンシャン

 シャンシャン



 聖夜と書いて、聖なる夜だというのに、僕と弩がいつも通りのたわいないやり取りをしていたら、どこからか、鈴の音が聞こえてきた。


 同時に、窓の外が明るくなる。


「あっ!」

 弩が読書灯を消して、カーテンを細く開けた。


 外は一面、雪景色だ。

 庭にも、林の木々にも、雪が積もっている。


 すると、鈴の音に合わせて、寄宿舎を囲む木々の上を、何かが飛んで来るのが見えた。


 それは光を放ちながら、ゆっくりと、こっちに向かって来る。


 近づいてきて、それがなんだか解った。


 それは、トナカイに引かれたサンタクロースのそりだ。

 一頭の立派な角を生やしたトナカイが、足で空をかくようにして、木製のそりを引いている。

 一人乗りのそりにはサンタクロースが乗っていた。

 太って重そうなサンタクロースは、赤と白の衣装を着て、顔が隠れるくらい立派な白髭を生やしている。

 そりからは神々しい光が放たれて、辺りを照らしていた。


 シャンシャンシャンと、その間も鈴の音はずっと続いている。


 寄宿舎に向かってまっすぐ飛んできたそりは、屋根の上でターンすると、高度を下げながら、優雅に前庭に滑り込んだ。


 僕と弩は、細く開けたカーテンの隙間から、それを見ている。


 僕達は幻でも見ているんだろうか?

 これは夢だろうか?

 弩の脇腹を軽くつねったら「痛い」って言ったから、たぶん夢ではない。


 前庭に滑り込んだそりは、丁度、玄関の前あたりで停まった。


 サンタクロースが、そりからのっそりと降りてくる。

 そりの荷台から白い袋を下ろすと、それを肩に担いだ。

 するとサンタは、雪を踏みしめながら歩いて、寄宿舎裏の小屋の方へ向かった。


 あの小屋には、隣の「開かずの間」に続く地下通路への入り口がある。



「先輩! サンタさんが来ます! 隠れてください」

 弩が言った。

「隠れるって、どこへ……」

 この部屋には押し入れとかないし、弩のクローゼットは小さいし、ベッドの下には、どうにか指が入るくらいの隙間しかない。


「とりあえず、ここへ!」

 弩はそう言って、僕の手を引っ張って、ベッドの中に入れた。

 布団を被せられて、僕は弩の胸に抱かれる形でベッドに隠れる(弩の胸がもう少し大きかったら、僕はそれに埋もれていたところだ)。


 布団の中で、弩の胸がドキドキしているのが分かった。

 僕の顔は、弩の心臓の真ん前にある。



 布団の中でしばらく耳を澄ませていると、隣の「開かずの間」でギシギシと床板が鳴った。

 少しして、隣の部屋のドアが開く音が、振動と共にベッドから伝わってくる。


 何者かが廊下を歩く音がした。


 そして、ついにこの部屋のドアがゆっくりと開かれる。


 僕は、布団を少し持ち上げて、隙間からドアの方向を見た。


 暗がりに、恰幅のいい男性が立っているのが見える。

 暗いから服の赤が黒く見えるけど、紛れもなく、サンタクロースだ。



 それは僕がやった安っぽい仮装とは大違いだった。

 本物の白髭を生やしているし、顔も北欧系の外国人みたいだ。

 でっぷりとした体型は、綿やタオルを詰めたものではなくて自然だった。

 衣装はコスプレ用のペラペラのものと違って厚手の布だったし、年季が入っていて使い込んでいる感じがある。

 顔に優しそうな微笑みを湛えていて、見ているとこっちまで自然に笑顔になった。



 サンタクロースは部屋の中を歩いて、ベッドの枕元に立つ。

 そして、眠っている(ふりをしている)弩に手を伸ばして、優しく頭を撫でた。


 サンタクロースは肩に担いだ袋を下ろすと、中からプレゼントの箱を取り出す。

 手の中に収まるくらいの小さな箱で、サンタクロースはそれをベッドの支柱に掛かっている靴下の中に入れた。


 そして最後にもう一度、弩の頭を撫でると、サンタクロースは、袋を担ぎ直して部屋を出る。

 元来たように、隣の「開かずの間」に入って、地下通路を抜け、小屋から外に出たようだ。


 ベッドから起き上がった僕と弩が窓から見ていると、庭でサンタクロースがそりに乗る。

 トナカイに鞭で軽く合図して、そりはゆっくりと滑り出した。


 そりは速度を上げ、ふわっと宙に浮くと、そのまま空を飛んで、光を放ちながら、林の向こうに飛び去る。


 そりが行ってしまうと、辺りはまた、雪明かりだけのぼんやりとした風景に戻った。


 いつの間にか、鈴の音も止んでいる。


 あっという間の、出来事だった。



「先輩、やっぱりサンタさんはいたでしょ?」

 外を見ながら弩が言う。


「ああ、そうだな」

 僕は、そう答えるしかなかった。


 僕達が見たそりやトナカイ、サンタクロースは、CGとかホログラムみたいなものではないと思う。

 なぜなら、庭の雪の上に、トナカイの足跡と、そりのブレードの跡がついていた。

 そしてサンタクロースが歩いた足跡も、くっきりと残っている。


 これは絶対に弩の両親の仕業だ。


 どんな仕掛けかは分からないけど、弩の両親が手配してやらせたんだ。

 娘にサンタクロースを信じさせるために、大弓グループが、その技術力を惜しみなく使ったんだろう。


 そういえば最近、この寄宿舎の周囲で工事をしていたのを思い出した。

 高所作業車や、重機を使って、鉄塔を建てたりしていて、また通信関係の工事と思ってたけど、もしや……


 そりやトナカイを浮かせるためのクレーンを作ったとか、ロープウエイみたいな装置を作ってしまったとか……


 とにかく、弩の両親、恐るべし。



 サンタクロースが行ってしまって、弩が再び読書灯を点けた。

 靴下の中から、サンタが入れていった小さな箱を取り出す。

 弩は、子供みたいに、早速プレゼントの箱を開けた。

 箱にかかっていた赤いリボンを解いて、深緑の包装紙を剥がす。

 中から出て来たのは、ハンドクリームだ。

 向こうのサンタも、弩が欲しい物を知っていたらしい。

 悔しいけど、僕が用意したのより、高級そうなハンドクリームだった。



「先輩、手を出してください」

 弩が言った。

「なんだよ、いきなり」

「いいから、出してください」

 僕は言われるままに、弩に両手を差し出した。


「サンタさんにもらったハンドクリーム、塗ってあげます」

 弩が照れながら言う。

「ああ、じゃあ、お願いする」

 僕も、照れながら答えた。


 弩は僕をベッドの上に座らせると、小さな手で一生懸命、僕の手にハンドクリームをすり込んだ。

 ハンドクリームのジャスミンの香が、辺りに広がる。


 弩の手は、僕の手の中に握り拳がすっぽりと入るくらいに、小さかった。

 その小さな手で、弩は指と指の間まで、丁寧にクリームをすり込んだ。


 ハンドクリームの効果なのか、それとも何か別の作用か、塗ってもらっている間に、手がぽかぽかしてくる。


「これで、水仕事も大丈夫だな。明日からも弩のパンツ、どんどん洗っちゃうぞ」

 これなら千枚だって、二千枚だって洗えそうだ。


「はい、お願いします!」

 弩が、天真爛漫な様子で言う。



 いつか、弩もサンタクロースがいないって知るときが来るだろうけど、それはもう少し、先の話みたいだ。

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