第154話 揺れる

 お弁当を食べた後で、幾つかアトラクションを回った。

 ミラーハウスと迷路、スワンボートにゆっくりと降りるパラシュート。


 フリーフォールとか、空飛ぶ絨毯とか、絶叫系のアトラクションも目に留まったけど、ジェットコースターのことがあったから、避けた。


「じゃあ、次は、なに乗ろうか?」

 そんなふうに弩と話しながら歩いていたら、突然、弩が僕の腕に掴まってきた。

 なにも言わずに、なんの前触れもなく、弩は僕の腕に掴まって、寄り添ってくる。


「す、すみません」

 弩が言って、パッと僕から離れた。


「ヒールが高い靴、慣れないもので……」

 下を向いて、顔を真っ赤にする弩。


 そうか、事故か。


 石畳のちょっとした段差に躓いて、僕のほうに倒れかかったらしい。

 朝から歩く弩を見て、少し危なっかしい感じはしていた。

 慣れない靴で、窮屈そうに歩いているのが分かった。


「いいよ。掴まってれば? 弩が転んだりしたら、大変だからな」

 僕はそう言って、腕を体から浮かせて、掴まりやすくした。


「えっ、だけど、あのあの……」

 弩はテンパって、周囲を見回した。

 でも、周囲を見回せば、手を繋いだり、腕を取ったりしているカップルだらけだ。

 この環境では、手を繋いでいない僕達のほうが異質だった。


「僕の腕で良かったらどうぞ。頼りないかもしれないけど」

 鍛えている運動部の太い腕に比べたら、僕の腕は細いかもしれない。


「いえ、そんなこと、ありません」

 弩はそう言って、恐る恐るといった感じで、僕の腕に掴まった。

 そのまま、二人で少し歩いてみる。

「どう、これなら、大丈夫?」

「はい、大丈夫です」

 僕は弩に合わせて、ゆっくり歩いた。


 慣れない靴で足も痛いだろうし、これは寄宿舎に帰ったら、お湯を張ったたらいに弩の足を浸しながら、マッサージしてあげないといけないかもしれない。

 靴擦れとか、あざとか出来てないといいんだけど……


 僕達二人、こうしてくっついて歩いていたら、後ろから、また視線を感じた。

 後頭部に突き刺さってくる、殺気のようなあれだ。


 僕は振り返って、視線を送ってくる相手を捜す。

「先輩? どうかしましたか?」

 弩が、不思議そうに訊いた。

 周囲にそれらしい人物は見当たらない。

 気にしすぎだろうか?

 僕はちょっと、過敏になっているのだろうか。


「ううん、なんでもない。さっ、次は、なに乗ろうか?」

 切り替えて、僕が訊く。

「それじゃあ、観覧車がいいです」

 弩が目の前にそびえる大観覧車を指した。

 赤と白で塗り分けられた、鉄骨の塊だ。


 この遊園地の名物の大観覧車は、直径100メートル、高さ115メートルもある。

 六十四個のゴンドラがぶら下がっていて、一周回ってくるのに、二十分弱かかるらしい。


 二人きりのゴンドラの中で、二十分の時間を過ごす。


 これがラストチャンスかもしれない。


 この落ち着いた空間が、弩にサンタクロースの真実を告げる、最後のチャンスになるだろう。



 観覧車の前には行列が出来ていて、乗るまでに四十分くらいかかった。

 この観覧車をモチーフにした、ゆるキャラの「どうどうめぐり君」の着ぐるみが、待っている行列に、愛想を振りまいている。

 並んでいるのは、カップルばかりで、カップルじゃないのは、僕と弩くらいだ。


 待つあいだは少し寒かったけど、弩の手が掴まっている右手だけ、懐炉を入れてるみたいに温かかった。



 僕達の順番が回ってきて、係の人に案内されて、ゴンドラに乗る。

 二人で、向かい合って座った。


 ゴンドラがゆっくりと上がっていって、段々と遠くの街が見えてくる。

 近くを走る高速道路や、僕達が乗ってきた電車の線路が、まっすぐに伸びているのも見えた。


「弩は、高いところとか、平気なの?」

「はい、平気です。ジェットコースターみたいに速くないなら、大丈夫です」

 ああ。

 やっぱり弩は、ジェットコースター苦手だったんじゃないか。

 さっきは無理をしていたんだ。


 弩は、ガラスに張り付くみたいにして、外の風景を眺めていた。

 ほっぺたピンクだし、興味深げにぱっちりと目を開いて見てるし、本当に、純真な子供みたいだ。

 まったく、高いヒールの靴とか、大人っぽいコートとか着てるくせに。



「弩、あのな」

 もうすぐ頂上に着くってところで、僕は切り出した。


「実は、弩に言いたいことがあるんだけど」

「はい?」

 弩が、ガラスから顔を離す。


「大切な話だから、落ち着いて聞いてくれるか?」

「はい」

 弩は頷くと、ワンピースの裾を正して座り直した。


「あのな、弩……」

 僕は弩の目を見て言う。

「はい」

 弩も、僕の目をまっすぐに見た。


「こんなこと言って、弩に嫌われたら困るからと思って、今まで言えなかったんだけど……」

 サンタクロースがいないとか言ったら、夢を壊すし、嫌われるかもしれない。


「でも、これからのこともあるし、弩に言っておきたいと思う」


「先輩、分かってます」

 弩が言った。

「えっ?」

「言ってください。私、心の準備出来てます」

 弩が、真剣に僕の目を見て言う。

「えっ??」

 弩は、僕が話す内容を、察知していたというのか?

 弩は、サンタクロースのこと、薄々気付いてたのか?


「弩、これから弩の大切なもの、奪っちゃうけど、いいのか?」

 僕は訊いた。

 僕が本当のことを話したら、弩の大切なサンタクロースを奪ってしまう。


「私は、大丈夫ですから」

 弩は、そう言うと、なぜか目を瞑った。

 目を瞑って、少し顎を持ち上げて、無防備に、僕に向かって体を投げ出すようにした。


 え?

 弩は何してるんだ。


 いや、こんなところで、こんな場面で目を瞑るんじゃない。

 目を瞑って無防備に佇むんじゃない。


 ここには、僕と弩の二人しかいないし。

 二人だけの、密閉された空間だし。

 弩の唇が、プルプルしてるし。


 弩は、なにか勘違いしている。

 完全に、勘違いしている。

 大いなる勘違いをしている。


「どうぞ」

 弩が言った。

 どうぞって! 勝手に覚悟を決めるな!


 さっき弩の大切なもの奪うって言ったけど、それは弩からサンタクロースを奪うんであって……

 それは断じて、ファーストキスとかじゃない。


「弩……」

 弩は、目を瞑って無防備のままだ。


 ここは、二人きりで僕と弩しかいない。

 誰も、見てない。

 弩は「どうぞ」って言うし……


 もう、僕の目には弩の唇しか見えなかった。


 僕は、そこに引きつけられる。


 吸い込まれるようにして、顔を近づけた。

 弩の唇の、少し開いた隙間から、吐息がかかってくる距離まで近づいた。

 香水の甘い香りでクラクラする。

 僕は、弩の肩に手を置いて、引き寄せた。


 そのまま、唇が重なりそうになった、そのときだ。


 そのとき、ゆっくりと動いていたゴンドラが、ガタンと、止まった。

 止まったショックで、僕と弩の体が進行方向に振られる。

 僕は弩を抱き留める形になったけど、僕達の唇は重ならなかった。


 ゴンドラの中にあるスピーカーから、ビービービーと、ブザーみたいな音がする。


 そして、スピーカーから、女性の声でアナウンスが流れた。


「ただいま、ゴンドラが異常に揺れたために、安全装置が働いて、観覧車が一時ストップしました。安全を確認しますので、しばらくそのままでお待ちください」


 見ると、僕達のところから二つ隣のゴンドラが、一回転するんじゃないかってくらい、大きく揺れていた。


「お客様、ゴンドラを揺らすのは、やめてください!」

 スピーカーを通じて、係員さんがそのゴンドラに呼びかけていた。

 それに乗っている人が、ゴンドラを大きく揺らして、安全装置が働いたらしい。


 太陽がガラスに反射して見えないけど、誰か、女性が乗ってるみたいだ。


 弩が、目を開く。

 僕は、抱き留めた弩を元の席に座らせて、離れた。


「まったく、迷惑な人がいるもんだよな」

「はい、本当に……」

 弩が言う。


 でも、危なかった。

 なんか、雰囲気に流されて、弩にキスしてしまうところだった。

 弩に対して、勢いで失礼なことしてしまうところだった。


「安全が確認されましたので、運転を再開します」


 アナウンスが流れて、ゴンドラがまた、ゆっくりと動き出した。


 なんか、気まずい感じがして、僕達はそのあと何も会話を交わさなかった。

 無言のまま、僕達のゴンドラは地上まで下りた。


 結局、サンタクロースのことは言えずに終わる。

 完全にタイミングを逃してしまった。



 そのまま、僕と弩は遊園地を後にして、電車に乗って寄宿舎に帰った。


 揺れる電車の中で、弩の胸には「どうどうめぐり君」の縫いぐるみが抱かれていて、弩の左手が、僕の右手にぎゅっと掴まっている。

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