第151話 英単語十個覚える時間

「おい、篠岡。一年の子、来てるぞ」

 クラスメートが僕を呼んだ。


 お昼に弁当を食べ終わって、教室の日当たりがいい席でぐだぐだしていたら、廊下に一年生の女子が二人、僕を訪ねてきた。


 知り合いの一年生なら、弩か萌花ちゃんだと思ったら、弩の友達の桃子ちゃんと玲奈ちゃんだった。

 髪を耳の下でお団子二つにした桃子ちゃんと、前髪をポンパドールにした、玲奈ちゃん。

 いつも弩とお弁当を食べてくれている二人だ。


「モテモテだな」

「よっ、リア充!」

 冷やかしの声がうるさいから、教室から少し離れて、階段の踊り場のところで二人と話す。



「昼休みに押しかけてすみません。弩さんのことで、来たんですけど」

 玲奈ちゃんが言った。


「篠岡先輩のところに来ていいか迷ったんですけど、弩さんと同じ主夫部だし、寄宿舎にいるし、弩さん、篠岡先輩の話をよくするから、先輩なら何か知ってるんじゃないかと思って、来たんです」

 桃子ちゃんが謝る。


「いや、それは別にいいけど」

 逆に、弩のことを心配してここまで来てくれる二人には感謝したい。



「それであの、弩さんの様子がちょっとおかしいっていうか、変なんですけど、なんかありましたか?」

 玲奈ちゃんが、そんなふうに切り出した。


「変って、具体的には?」


「はい、一昨日くらいから、なんか変なんです。たとえば、『男の人の腕に掴まるときは、どのタイミングで掴まったらいいのかな?』とか、『男の人と出かけたら、やっぱり高校生なんだから、ご飯代とか、割り勘にするのかな』とか、訊いてくるんです」

 桃子ちゃんが言った。


「普通の、ガールズトークなんじゃないの?」

 僕は答える。

 ガールズトークがどんなものか、僕には想像もつかないけど。


 それにしても、そんなこと訊くなんて、あんなに幼かった弩も、異性に興味を持つお年頃になったのか。

 感慨深い(別に、僕が弩を育てたわけじゃないけど)。



「弩さんは、今まで恋愛とか、そんな話題のときは、ニコニコして聞いてるだけで、自分から質問してくることなんて、なかったんです。だから心配になって……」

 桃子ちゃんが言った。


「私には、『告白されて、すぐにお願いしますって答えたら、軽い女の子に見られないかな』とか、『キスするときって、目を瞑るものなのかな』とか、訊いてきましたし」

 玲奈ちゃんが言う。

 なんだそれは。


 確かに、尋常ではない。


「寄宿舎にいるときは、別にいつもと変わらなかったけどな」

 昨日も、弩の部屋のドアをノックして、返事を待たずに開けたら、弩がベッドの上でマーブルチョコレートの容器をマイクにして、ノリノリで「Party Make」の曲を歌っているところだった。

 いつもの弩だ。


「そうですか……」

 玲奈ちゃんが困った顔をする。



「弩さんに、彼氏とか、出来たんでしょうか? これからデートに行って、告白でもされるんでしょうか?」

 玲奈ちゃんが言った。

「弩は、二人に彼氏ができたとか、言ったの?」

 僕が訊く。


「いいえ、変な質問ばっかりするから、彼氏ができたの? って訊いても、弩さんは、そんなんじゃないって、否定しました。顔を耳まで真っ赤にしてましたけど」

 玲奈ちゃんが答えた。


「三人で、彼氏ができたら隠さずに報告しようねって約束してるし、弩さんは嘘ついたりしないと思うんですけど」

 桃子ちゃんが言う。


「弩さん、そういうところは正直だし。正直すぎるくらいに」

 玲奈ちゃんが言った。

 それには僕も同意する。

 弩は、嘘をつくようなやつじやないし、演技が下手だから、嘘なんかつけない。


 キンコンカンコーン


 僕達が頭をひねっていると、チャイムが鳴った。

 昼休みも終わりだ。


「分かった。それじゃあ、弩に何かないか、寄宿舎でも気にかけておくよ」

 僕が言う。

「はい、お願いします」

 二人はそう言って、僕に丁寧にお辞儀すると、階段を下りて行った。


 弩に、こんなふうに心配してくれる友達ができて良かったと、心から思う。




 しかし、弩の異変に気付いたのは、桃子ちゃんや玲奈ちゃんだけではなかった。


「篠岡、ちょっといいか?」

 放課後、寄宿舎に戻ると、食堂の前の廊下で、錦織が僕に声を掛けてきた。

「ああ、なんだ?」

 僕達は食堂に入る。

 食堂の中には、僕達だけで、他に誰もいない。



「弩のことなんだけど、なんかあったか?」

 錦織も、そんなふうに訊いてきた。

「なんかって?」

 昼休みの桃子ちゃんと玲奈ちゃんの話もあったし、僕は不安を覚えながら訊き返す。


「いや、昨日弩が僕のところに来て、服装のアドバイスをしてくださいって言うんだ。もちろん、大歓迎だから、アドバイスしてあげたんだけど、弩、特別な人と二人で出かけるから、それにふさわしい服装にしたいとか言うんだ。いつも子供っぽく見られるから、少し大人っぽい服装をアドバイスしてくださいって」

 錦織が腕組みして言った。


「そうか……」

 特別な人って、それは、桃子ちゃんと玲奈ちゃんが存在を疑っていた、彼氏だろうか。


 やっぱり、弩には、彼氏と呼べる存在ができたのか。


 なんか、モヤモヤする。


 それは、弩も年頃の女子だし、誰か好きな人が出来てもおかしくない。

 それを、友達とか、僕達に黙っていても、別にいいんだけど、なんか、モヤモヤする。



「それなら、弩さん、私のところにも来たわよ」

 いつのまにか僕達の後ろに立っていた鬼胡桃会長が言った。


「立ち聞きするつもりはなかったんだけど、聞こえちゃったのよ」

 ボルドーの制服の鬼胡桃会長が言う。

 手にカップを二つ持っているから、母木先輩と受験勉強をしていて、飲み物を取りに来たのかもしれない。


「それで、弩は、会長のところに何をしに行ったんですか?」

 僕が訊く。

「ええ、弩さん、私にメイクの仕方をおしえて欲しい、なんて頼むのよ」

 鬼胡桃会長が言った。

 錦織には服装で、鬼胡桃会長にはメイクか。


 確かに、鬼胡桃会長はすっぴんだと優しい顔なのに、メイクで威厳があるきつい感じの顔にしてるから、メイクの仕方を相談するのにふさわしい相手なのかもしれないけど。


「あなたは普通にしててもほっぺたピンクだし、唇ぷるぷるだし、そのままでいいのよって、言ったんだけど、弩さん、どうしても大人っぽく見られたい、とか言うし」


 弩には、特別な人がいて、その人に大人っぽく見られたい、ってことか。


 僕は二人に、桃子ちゃんと玲奈ちゃんから相談されたことを話した。

 弩に彼氏のような存在がいるみたいで、これからその人に告白されたり、一緒に出掛けたりするかもしれないということを。


「う~ん」

 三人が腕組みをして、考え込んでしまった。

 弩の相手が誰なのか想像がつかないし、デートで弩がどんな顔を見せるのか、尚のこと想像がつかない。



「ところで篠岡、例のサンタクロースの件、弩に話したのか?」

 長考から、錦織が口を開いた。

 サンタクロースを信じているという弩に、サンタクロースはいないと、本当のことを話す役割を、僕は仰せ付かっているのだ。


「ああ、今度の土曜日、話そうと思ってるんだ」

 僕は答えた。

「今度の土曜日?」

「弩と二人で遊園地に出かけるんだよ。そこで話そうと思ってる」


「遊園地?」

 錦織が首を傾げる。


「うん、古品さんが、無料のパスをくれたんだ。難しい話だし、遊園地にでも行って、二人でリラックスしながら話したらいいんじゃないかって古品さんが気遣ってくれて、パスをくれたんだ。昔、『Party Make』がまだ売れてないときに、そこのステージでライブをして、支配人さんからパスをもらったんだけど、有効期限が今年いっぱいなんだ。私は行けないから、遠慮なく使ってって、古品さんが譲ってくれた。それで、弩と二人で行こうと思ってる」

 入場料も無料で、乗り物や、アトラクションも全部無料という、買うと結構高いパスだ。

 アトラクションとかを楽しみながら、隙をみて、弩に本当のことを話そうと思っている。

 どんなふうに話そうか、今はそのことで頭がいっぱいだ。


「おい、篠岡、お前は、弩になんて言って、その遊園地に誘ったんだ?」

 錦織が訊く。


「えっ? ああ、普通に、『大事な話があるから、今度の土曜日、二人で一緒に遊園地に行かないか?』って、誘ったんだけど」

 サンタクロースがいると信じている弩に、いないと本当のことを話す、「大事な話」だ。


「ああ」

「はい」


 錦織と鬼胡桃会長が、死んだ目で言った。


「心配して損した」

「馬鹿らしい。私も受験勉強に戻らなきゃ。この無駄な時間で、英単語十個は覚えられたわ!」

 二人が、食堂を出て行ってしまう。


「会長、錦織、ちょっと……」

 廊下で僕が呼びかけるのに、二人はそれをスルーした。


 弩に彼氏ができたかもしれないというのに、なんて薄情な二人なんだ。


「会長、錦織、ねえってば」

 どれだけ呼びかけても、二人は振り返ってくれない。


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