第139話 完売
「10、9、8、7、6、5、4、3、2、1!」
みんなで声を揃えたカウントダウン、ゼロと共に、午前十時の時報が鳴った。
弩が、パソコンの画面に立ち上げてあるブラウザのリロードボタンを押す。
(アクセスが集中しています)
ブラウザにはそんな画面が出て、目的のサイトには繋がらなくなった。
何回か、リロードボタンを押し続けて、やっと、サイトの画面が出てきた。
「東京、完売です!」
現れた画面に素早く目を走らせて、弩が言う。
「大阪も、名古屋も、完売してるじゃない」
鬼胡桃会長が、弩の横からパソコンのディスプレイを覗き込んで言った。
「札幌も完売しました!」
自分のスマートフォンで確認した御厨が言う。
「福岡も完売です!」
萌花ちゃんも、興奮して上擦った声を出した。
時間が経つにつれてアクセスが安定してきたサイトの画面に、完売の文字が並ぶ。
「『チケットひあ』だけじゃなくて、『ローンソ・チケット』と『イープラン』は?」
僕が訊く。
「どこも完売です! 全部、×になりました!」
複数立ち上げてあるウインドウ、全部を確認して、弩が言った。
「嘘だろう? どこも、二千人以上入る箱だぞ」
縦走先輩が目を丸くしている。
「いえ、間違いありません。どこも、もう購入不可です!」
マウスを持つ弩の手が震えていた。
「瞬殺じゃないか」
腕組みして、後ろから推移を見守っていた母木先輩が、低い声で言う。
「ネットの掲示板も、『買えなかった』の阿鼻叫喚ですよ」
部屋から持ってきたタブレット端末で、新巻さんが掲示板を見ていた。
『Party Make』のスレッドが、ものすごい速さで消費されていく。
まだ、十時二分。
サイトに繋がらなくて、リロードしていた時間を含めると、本当に瞬殺だったのかもしれない。
一分足らずで、チケットは完売したのだ。
「もしかして、『Party Make』って売れかけてる?」
寝起きで髪がまだボサボサのヨハンナ先生。
いつも昼まで寝ている先生も、この事態には、ぱっちりと目が覚めたみたいだ。
今朝、土曜の午前十時から、「Party Make」のライブチケットの一般発売だった。
来春のメジャーデビューを記念して、二月から行われる初の全国ツアーで、札幌、東京、名古屋、大阪、福岡のライブハウス「ZIPP」を回るライブのチケットが販売された。
しかも、東京、名古屋、大阪は、二日間の日程で、会場の規模も大きかった。
それだから僕達は、チケットが売れ残るんじゃないかと、気を揉んでいたのだ。
大きな会場を押さえて少し背伸びしすぎたんじゃないかとか、東名阪は一日ずつでよかったんじゃないかとか、みんなで議論していた。
それが、蓋を開けてみれば、どこも完売なのだ。
寄宿舎の食堂に集まったみんなは、驚くというより、むしろ、呆然としている。
食堂には、寄宿生と主夫部全員の他に、「Party Make」のな~なとほしみかも来ていて、弩が食堂に持ち込んだノートパソコンの画面を見守っていた。
「これ、本当のことなんだよね」
古品さんが言う。
その潤んだ瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「うん、夢でも、幻でもないよ」
な~なが古品さんの肩を抱く。
「ZIPPなんて、憧れの場所だよ。それが、全部一杯だなんて……」
ほしみかが、しゃくりあげた。
三人は、今までの苦労を噛みしめるように、静かに泣く。
古品さんと、な~な、ほしみかの三人が、抱き合った。
食堂に続くサンルームから、朝の日の光が差し込んでいて、三人を照らしていた。
光の中で抱き合う三人は、天使のように綺麗だ。
直前までここでダンスのレッスンをしていたから、ジャージを着ていて、汗まみれの天使だけど。
少し離れて三人を見ていた錦織が、僕達に背中を向けて、窓のほうを向いた。
たぶん、錦織も泣いてるんだと思う。
半分スタッフのように「Party Make」と関わってきた錦織も、感無量だろう。
泣き顔をからかってやろうかとか、意地悪なことを考えたけど、やめておいた。
「やっぱり、ファンクラブに入っておいて、正解だったわね」
鬼胡桃会長が言った(鬼胡桃会長も鼻声になっている)。
僕達は東京公演の最終日に、みんなでライブに行くことにしていて、そのチケットはファンクラブ先行販売で手に入れた。
古品さんは、僕達に関係者席を用意すると言ってくれたけど、古品さんの初めての全国ツアーチケットを自分でお金を出して買って行きたかったから、断った。
関係者席だと、大きな声を出したり、踊ったり、できないだろうし。
「ブログとかインスタ更新して、ありがとうございましたって、ファンのみんなに報告しよう」
な~なが言って、古品さんと、ほしみかが頷く。
「Party Make」にリーダーはいないけど、お姉さん気質でみんなを引っ張っていくのがな~なだ。
「私、ブログ用の写真、撮りますね」
萌花ちゃんが、カメラを掲げた。
写真、と聞いた途端、三人の顔が変わる。
さっきまでの泣き顔を引っ込めて、満面の笑顔を見せた。
さすが、「Party Make」の三人は、プロだ。
まだ、メジャーデビューしてないけど、もう三人はプロとしての自覚を持っている。
「今日はパーティーですね」
御厨が腕まくりした。
「もちろんだ。我が主夫部が全力で準備をして、盛大なパーティーをする」
母木先輩が、甲冑を身に着けるみたいに、割烹着を着る。
「僕、布団干してきます」
錦織が言った。
錦織は、盛大なパーティーで夜中まで騒いで、主夫部の男子もここに泊まっていくことを、見越しているらしい。
「それじゃあ、私も、それまでもう一がんばりしようかな」
新巻さんがそう言って、席を立った。
自室に戻って、執筆にかかるようだ。
「よし、今日はあと20㎞くらい、走って来るぞ。いや、30㎞にしよう」
縦走先輩が、屈伸運動をしながら言う。
「さあ、私は勉強に戻るわ。絶対にみー君と同じ大学に行くんだから」
鬼胡桃会長も席を立った。
「さっそく写真を現像して、アップしますね」
萌花ちゃんがカメラを持って、自分の部屋のパソコンに走る。
「よし、私は二月までに、普通免許の8t限定解除、取るよ。マイクロバス運転できるようになって、ライブに行くみんなの運転手をする」
ヨハンナ先生が言った。
顧問をするバレー部のために十五人乗りのハイエースを買った河東先生のように、ヨハンナ先生も、主夫部の顧問に目覚めたのだろうか。
「Party Make」の三人が結果を出したことが、寄宿舎の他の女子達の心に火をつけたみたいだ。
みんなの目が、今まで以上に、生彩を放っている。
「あのあの、私は、何をすればいいんでしょう?」
弩が訊いた。
弩も、何かしたくてうずうずしていた。
でも、弩は新巻さんみたいにその情熱を筆にぶつけることはできないし、縦走先輩みたいに、走りにぶつけることもできない。
萌花ちゃんみたいにカメラはないし、ヨハンナ先生みたいに教師でもない。
「よし、それなら今日の『Party Make』チケット完売パーティーの幹事を、弩に任せる」
僕は言った。
「弩は三人を祝福するパーティーを盛り上げるアイディアを考えろ。そして、幹事として、僕達に指示を出すんだ。僕達主夫部は、弩の指通りに動こう。先輩、それでいいですよね」
僕が母木先輩に訊いた。
弩が情熱をぶつける先を、作ってあげたかったのだ。
「ああ、そうしてくれ」
先輩が頷く。
「分かりました! 私、精一杯、幹事を務めさせて頂きます! 主夫部部員として、最高のパーティーにします!」
弩が、嬉しそうに言った。
僕達がそれぞれの持ち場に散ろうとしたとき、ヨハンナ先生のスマートフォンに着信があった。
画面を見て、先生がすぐに電話を取る。
「もしもし、母さん?」
ヨハンナ先生が電話口で言って、僕達に背を向けた。
母さん?
「うん、うん、うん……」
先生の電話に、聞き耳を立ててしまう。
さっき、先生の口から「母さん」って聞こえた。
それが気になってしょうがない。
先生のお母さんって、どんな人なんだろう。
やっぱり、ヨハンナ先生みたいに、金色の髪で、青い瞳をしているんだろうか。
「ちょっと、それは……だって………嘘じゃないけど……」
先生は電話で何か揉めていた。
もしかして、先生はまだお見合いのことで揉めてるのか。
先生は叔母さんのお見合い攻勢から逃げるために、生徒の僕と恋人同士になって、結婚の約束をしたと、嘘の説明をしたはずだけど……
「分かったよ。うん、分かったから……」
所々聞こえる言葉では、どんな電話なのか、分からなかった。
「うん、分かった、じゃあ、切るよ」
先生が通話を切って、こっちに向く。
「塞君、ゴメン」
話を切り出す前に、先生に謝られた。
先生は顔の前で手を合わせる。
これは、嫌な予感がする。
「うちの母親が、彼氏を紹介しなさいって言ってるの。うちに連れてきなさいって、言ってるんだけど……」
先生、名前を貸すだけだって、言ったじゃないか。
「ゴメンね。うるさいから、一度、実家に顔を見せてくれない? 私の、婚約者として」
やっぱり、嫌な予感は当たった。
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