第138話 こたつの中で

 十一月に入って、めっきり寒くなった今日の放課後は、弩の部屋にこたつを出した。


 自分の部屋にこたつを置くのが初めての弩は、僕がこたつを設置するのを興味津々で見ている。

 なら材の天板と、赤いチェックのこたつ布団は、先日、近くのホームセンターで一緒に選んだものだ。


 部屋の真ん中にあったテーブルを片付けて、そこにこたつを据える。

 こたつ布団をかけて、天板を置いた。


「さっそく、入っていいですか?」

 座布団を置いて、弩が訊く。

 白いブラウスに、レモンイエローのニットの弩。

 弩は自分の部屋にこたつを置くのが初めてどころか、こたつに入ったこともないみたいだ。

 プレゼントの玩具をもらった子供みたいに、キラキラした目をしている。


「待て待て、こたつの設置は、これで終わりじゃない。こたつの上には、みかんと菓子盆を置いて、菓子盆にお煎餅とか、好きなお菓子を入れるのが決まりだ。そしてこたつの脇には、ポットとお茶のセット。それで初めて、こたつの設置は完了するんだ」

 僕が説明した。


「そうなのですね。勉強になります」

 弩が頷きながら、感心している。


 僕は天板の上に、みかんと菓子盆を置いた。

「弩が好きなお菓子は当然……」

「ホワイトロリータです!」

 弩が食い気味に答えた。

 弩は、菓子盆をすべてホワイトロリータで満たす。


 電源コードをコンセントに差して、こたつの設置は完了した。


「よし、これで入っていいぞ」

 僕が言うと弩は、

「はい!」

 と答えて、恐る恐る、足をこたつの中に差し入れる。

 スイッチを入れて、中が赤くなるのを確認した。

 僕も、弩の対面に座って、こたつに入る。


「温かいですね」

 弩が、こたつ布団を肩まで持ち上げて、ほっぺたでスリスリしながら言った。


「このまま、ここから出たくなくなります」


「そうなんだ。一度こたつに入ったが最後、もう出たくなくなる。あまり深入りすると、こたつに取り込まれて一体化してしまうから、気をつけろ!」

「はい、肝に銘じます!」

 弩が嬉しそうに言う。


 窓から、柔らかい木洩れ日が差し込んできた。

 こうして二人でこたつに入っていると、時間がゆっくりと流れる。

 外で母木先輩が庭を掃いている音が聞こえた。

 微かに出汁の香りがするのは、御厨が夕飯の支度をしているんだろう。

 今日はおでんにすると言って、御厨は朝から煮込んでいた。



「先輩、こたつの中で私の足を突っつくのはやめてください」

 弩が言う。

 僕は、自分の足で対面の弩の足を突っついて、ちょっかいを出していた。


「こたつに入った男女が、足の突っつき合いをするのは、普通のことだぞ。挨拶みたいなものだ。握手をするのと同じ、コミュニケーション手段なんだ。欧米人がするハグみたいなものだ。日本におけるハグといえよう」


「へえ、そうなんですね。勉強になります」

 弩が言って、こたつの中で、僕の足を突っつき返して来る。

 だから僕も、弩の太股の辺りを突っついた。


 しばらく、弩とこたつの中で足の突っつき合いをする。


「いいコミュニケーション手段ですね。楽しいです。もっと温かくなりました。ちょっと、恥ずかしいですけど」

 弩が言った。


 素直な弩に、間違った知識を植え付けてしまったかもしれないけど、まあ、弩が幸せそうだから、いいか。



 僕達がこたつの中で足の突っつき合いっこをしていたら、弩の部屋のドアがドンドンドンと、乱暴にノックされた。

「ちょっといい、かくまって!」

 ヨハンナ先生がドアを開けて部屋に入ってくる。


 部屋を見渡した先生は、僕達が足を入れているこたつの中に、頭から潜り込んだ。


 その直後に、部屋のドアがもう一度ノックされた。

「あなた達、今ここにヨハンナが来なかった?」

 ヨハンナ先生の叔母さんが、ドアから顔を出して訊いた。


「いえ、来てませんけど」

「先輩と私の二人きりですよ」

 僕と弩が、すっとぼける。

 先生のデニムのお尻が少し出ていたから、僕は素早くこたつ布団をかけて隠した。


「あら、そう」

 ヨハンナ先生の叔母さんは、部屋を見回す。

「もし、ヨハンナを見掛けたら教えてね」

 叔母さんは、そう言って、ドアを閉めた。

 廊下を戻って、今度は萌花ちゃんの部屋をノックする音が聞こえる。



「先生、もう大丈夫ですよ」

 僕が言うと、先生がこたつから出て来た。


 さっきから、先生の吐息が僕の足にかかって、くすぐったくてしょうがなかった。


「まったく、困ったよ」

 こたつから出て髪を直しながら、先生が言った。

「どうしたんですか?」


「うん、一度お見合いに付き合えば、叔母さん、それで諦めてくれると思ったんだけど、諦めるどころか、今度はこの人どうだって、次々に見合い写真を持ってくるの。前よりうるさくなっちゃったみたい」

 先生が言って、みかんを手に取った。

 皮を剥いて、一房、口に運ぶ。

 僕はポットから急須にお湯を注いで、先生と弩にお茶を出した。


「どうにかしないと。こうやって寄宿舎にまで来られたら、私の安住の地がなくなっちゃうよ」

 先生はそう言って、頬杖をついた。


「彼氏がいることにしたらどうですか?」

 弩が言う。

 弩は菓子盆からホワイトロリータを出して、ポリポリ囓った。


「駄目だよ。そんなこと言ったら、今度はすぐにでもその彼氏を連れてきなさいって、言ってきそうだもん」

「どなたかに、彼氏役をやってもらうとか。男性の友達とか、同僚の先生とか」

「相手に迷惑がかかるよ。叔母さん、あのしつこさだし、相手にすぐにでも結婚しなさいとか、言いそう。見合い写真の代わりに、今度は結婚式場のパンフレットとか、持ってくるよ」

「そうですねぇ」


 そういえば、先生に彼氏になりそうな男友達はいるんだろうか。

 部屋はあの汚さだったし、休日はお昼まで寝てるし、今のところ、その形跡は見られないけど。


 僕達がこたつでぐだぐだしながら対策を考えていると、部屋のドアが、また、ノックされた。

 ヨハンナ先生が、慌てて隠れようとする。



「弩さん、いる?」

 しかし、ドアを開けたのは新巻さんだった。

 新巻さんは、紺のロングカーディガンに、黒いパンツを穿いている。


「借りてた本を返しに来たんだけど……」

 こたつに入ってまったりとしている僕達三人を見て、新巻さんが顔をほころばせる。


「弩さん、こたつ出したんだ。いいね」


「新巻さんも、入りなさい。執筆の最中だったんでしょ? 一休みしていきなさいよ」

 先生が言った。


 ここは、弩の部屋なんだけど。


「それじゃあ、お言葉に甘えて」

 新巻さんがそう言って、こたつに入る。

 僕が新巻さんのお茶を入れて、弩がホワイトロリータを勧める。


「そうだ、新巻さん、なんかいいアイディアない?」

 僕が先生の叔母さんの件を説明して、新巻さんに意見を求めた。

 売れっ子小説家である新巻さんなら、何か僕達が思いつかないようなアイディアがあるんじゃないかと考えたのだ。


「そうですねぇ」

 新巻さんはお茶を一口啜って、考えた。


「結婚を考えている彼氏がいると、叔母さんに言うのはどうでしょう?」

「ああ、それは……」

 彼氏がいると嘘をつくのは、叔母さんに通用しないから却下されたと、新巻さんに説明する。


「確かに、男友達とか、同僚の先生だったら、すぐに結婚しなさいって言われて、迷惑をかけるかもしれません。だから、相手を生徒にするのはどうでしょう?」

 新巻さんが言った。


「彼氏を生徒にするんです。教え子と恋をして、結婚の約束をしたことにするんです。婚約者は生徒だって嘘をつくんです」

 新巻さんが続ける。


「いや、生徒って……」

 なんか、小説の中の話みたいだ。

 確かに、新巻さんは小説家だけど。


「考えてみてください。生徒だから、今すぐには結婚できません。付き合ってはいるけれど、生徒と教師の関係だから、結婚は卒業して成人するまで待つ、ということにするんです。それならすぐに結婚しろとか、言えないでしょ? 相手が卒業して成人するまで、二、三年の猶予ができるんです」

 新巻さんが言った。


「それに、相手が生徒と知れば、周囲におおっぴらに吹聴するわけにもいきませんから、大事にはならないと思うんです。むしろ、隠そうとするはずです。先生の叔母さんも、その二、三年の間は静かにしていると思うんです」


「さすが新巻さん!」

 ヨハンナ先生が新巻さんの手を握った。

「完璧なアイディアだわ。ありがとう。さあ、どんどん食べて」

 先生が、新巻さんにみかんとホワイトロリータを勧める。

 だからそれ、弩の物なのに。


「で、誰がその彼氏役をするんですか?」

 僕が訊く。


「決まってるじゃない」

 ヨハンナ先生がそう言って、僕を見る。


「えっ? えっ? えっ?」


 先生が、僕の腕に手を絡めてきた。


「担任教師とそのクラスの教え子。部活の顧問。修学旅行でも一緒だったし、確かに、篠岡君なら、もっともらしい相手ですね。ずっと一緒にいて愛が芽生えたと、ストーリーが作れます」

 新巻さんが冷静に分析して言った。

「私、台本書きますよ」

 新巻さん、のりのりだ。


「じゃあ、そういうことだから、よろしくね、ダーリン」

 先生が腕を取って、僕のほうに頭を倒してくる。


 僕は、ヨハンナ先生の婚約相手(偽装の)になったらしい。


 嘘とは分かっていても、心臓が飛び出すくらい、ドキドキした。

 自分でも顔と耳が真っ赤になっているのが分かる。


「可愛いね。さすが私のダーリン。大丈夫、名前借りるだけだから。ホントに結婚してって言ってるわけじゃないから安心して。まあ、別にホントに結婚してくれてもいいんだけどね」

 先生はそんなふうに言って、僕をからかう。


 こたつの中で、弩が僕の足を突っついてきた。

 無言で何回も突っつく。

 もしかして、弩は、焼き餅とか、焼いてるんだろうか。



 腕はヨハンナ先生に取られてるし、足は弩に突っつかれてるし、こたつの中で、僕はもう、暑くてたまらない。

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