第136話 ラウンジ
「先生、綺麗です!」
弩が言って、口を半開きにしたまま、しばらくヨハンナ先生に見とれた。
寄宿舎の他の女子達も、目がハートになっている。
羨望の眼差しで先生を見ていた。
寄宿舎の食堂で、くるっと一回転、ターンを決めるヨハンナ先生。
紺のワンピースに、白いカーディガン、差し色に赤いクラッチバッグを持っている。
金色の髪を今日は胸のところで巻いていて、いつもより髪型も華やかだ。
知的で品があって、不意に見詰められたら、ぞくっとした。
「先生、写真、いいですか?」
萌花ちゃんがカメラを構えた。
カメラマンとしては、絶対に逃せない被写体だったんだろう。
先生は、シャッターに合わせて何パターンか、ポーズをとった。
女性誌に載っていてもおかしくない写真だ。
後でその写真、コピーさせてもらおう。
「まったく、叔母さんには困ったよ。まあ、一度こうして見合いに行ってあげれば、気が済んでくれると思うんだけどね。休みを一日潰して、ホント、面倒臭いよね」
ヨハンナ先生が言う。
「その割には、気合い入りまくりみたいですけど……」
僕は言った。
先生はメイクもばっちりだし、唇はグロスでテカテカだし、休日だというのに、今日は僕達が起こす前に、自分から起きてきたし。
先日、寄宿舎に乗り込んできた叔母さんを納得させるために、ヨハンナ先生は見合いに行くことを承諾した。
叔母さんの顔を立てるために形だけだからと、ヨハンナ先生は言う。
でも、昨日は僕に一時間くらいかけて入念に髪を洗わせたし、お風呂にも同じくらいの時間をかけて入った(普段、五分十分で風呂から出てくるヨハンナ先生には、あり得ないことだ)。
御厨にテーブルマナーを習ってたし、今着ている紺のワンピースも、錦織に頼んで錦織の父親がデザインした服を取り寄せてもらった。
言葉とは裏腹に、先生は凄く気合いが入っている。
「先生、洗車終わりました。ワックス掛けもして、ピカピカです」
駐車場で朝早くから先生のフィアット・パンダを洗車していた母木先輩が帰ってきた。
「ありがとう」
「中を掃除してたら、カーペットとかシートの隙間から、小銭が三千円分くらい、出てきましたけど」
先輩が重そうにコンビニのレジ袋を掲げる。
その中には、五円とか十円とか、硬貨がぎっしりと詰まっていた。
硬貨の他に、春のパン祭りの点数シールが、お皿が五枚貰える分くらい、落ちてたらしい。
ヨハンナ先生、車の中、どれだけ掃除してなかったんだ。
こんな先生を、このままお見合いに出していいんだろうか。
「それじゃあ、そろそろ行ってくるよ」
食堂の壁掛け時計を見て、先生が言った。
時刻は十一時三十分を回ったところだ。
お見合いは、ここから三つ先の駅のシティホテルで、午後二時からだ。
「先生、早すぎませんか?」
鬼胡桃会長が言った。
車で行けば、ここからホテルまで、一時間ちょっとで着く。
「遅れたらいけないし、早めに出ておくよ」
先生は言う。
やっぱり、気合いが入っている。
入りまくっている。
「いってらっしゃい」
寄宿生と主夫部の全員で、玄関で先生を見送った。
「いってきます」
先生が、林の獣道を行って消える。
「よし、行ったな」
先生が見えなくなって、更に一分待ってから、母木先輩が言った。
「もう、大丈夫ですね」
僕が言う。
「よし、みんな、先回りだ! 急げ!」
僕達はエプロンや割烹着を脱いだ。
女子達も、羽織っていたスエットや、ジャージを脱ぐ。
素早く戸締まりをして、寄宿舎を出た。
鬼胡桃会長に縦走先輩、古品さん、弩、萌花ちゃん、新巻さん。
母木先輩、錦織、御厨、そして僕。
全員出払って、寄宿舎は空っぽになる。
ヨハンナ先生の相手がどんな人物か、みんな興味津々で、先生に内緒でこっそり出かける支度をしていたのだ。
先生に黙って、お見合いを見に行く。
急いで駅まで走って、先生がお見合いをするホテルの最寄り駅まで、電車に乗った。
「寄宿舎と主夫部のみなさんは、本当に結束が固いんですね」
電車に揺られながら、新巻さんが口元を綻ばせて言う。
確かに、こんなとき僕達の行動は纏まっているのかもしれない。
みんなノリがいいというか、ノリがよすぎる。
「私も早くお仲間になりたいです」
新巻さんが言った。
でも、編集者から原稿催促の電話が何度もかかって来てるのに、こうしてヨハンナ先生の様子を一緒に見に行く新巻さんも、僕達に染まりつつあると思うんだけど。
僕達は先生がお見合いをするホテルの、
こちらのホテルのラウンジから、先生が見合いをするホテルのロビーやラウンジが見渡せるのは、調査済みだ。
僕達は三つのテーブルに別れて窓際の席に着いた。
昼時を外したからか、こちらのラウンジには、三、四組の客がテーブルにいるだけで、空いていた。
僕達よりも先に寄宿舎を出たヨハンナ先生が、斜向かいのホテルのロビーに見える。
背筋を伸ばして、ロビーのソファーに浅く腰掛けていた。
先生の容姿は人目を引くようで、ロビーを行き交う人達が先生を見ていく。
一度通り過ぎて振り返る人もいた。
そうだ、世間的に見れば、やっぱりヨハンナ先生は目が覚めるような美人なんだ。
中身が中年男性であることを知らなければ、なおさらだ。
「もし、先生の見合い相手が、チャラついたいけ好かない奴だったら、拳で決着をつけていいか?」
縦走先輩が、指をポキポキ鳴らしながら訊いた。
「ダメです。拳で決着をつけないでください」
僕が縦走先輩を押しとどめる。
気持ちは、分かるけど。
「萌花ちゃん、それはなにかな?」
萌花ちゃんが、カメラにバズーカ砲みたいな望遠レンズをつけようとしている。
「ニコンの800ミリです。これで、お見合い相手の顔を撮ってやろうかと思って」
萌花ちゃんが電車の中で重そうに背負ってたのは、これだったのか。
「お店に迷惑がかかるからやめておこうね」
僕が言うと、「はーい」と萌花ちゃんは残念そうにレンズを引っ込めた。
「ほらそこ、ホテルウエディングプランのパンフレットを見ない!」
鬼胡桃会長と母木先輩が、ロビーでコンシェルジュからもらったパンフレットを見て、ラブラブで結婚式の相談をしているから、注意した。
二人は後で見学会の予約しようか、とか言っている。
「先輩、パフェ頼んでもいいですか?」
弩が訊く。
「なんでも頼みなさい」
「ホテルのロビーには、実に雑多な人が集っていた。結婚式の出席者と思われる集団や、会議に訪れたと思われる、背広の集団。外国人ビジネスマンや、観光客。ロビーの奥で、人々に背を向けるようにして落ち合ったのは、不倫の男女だろうか。
そんな人々の群れの中で、ヨハンナは一人、ソファーに浅く座って、背筋を伸ばしていた。自分に向けられる好奇の視線は、軽く受け流す。誰かが声を掛けてきそうな気配を察すると、彼女は腕時計を見て、自分が待ち合わせの最中であることを示した……」
「ほら新巻さん、三人称でヨハンナ先生を描写しない」
「あ、ゴメン。声出てた?」
新巻さんは、懐からポメラを出して、キーボードを叩いて先生の様子を描写していた。
「ところで、古品さんは、なんでそんな大きなサングラスかけてるんですか?」
古品さんは、顔が半分隠れそうなくらいのサングラスをかけている。
「だって、ここホテルだし。私一応、アイドルだから、スキャンダル写真撮られたらまずいと思って」
まだメジャーデビュー前だし、パパラッチとか、誰も追いかけてないと思う。
「ほら、御厨は、縦走先輩におにぎりを渡さない」
御厨がこっそり渡そうとしたから、注意した。
「篠岡先輩、先輩こそ、落ち着きましょう」
僕がみんなにあれこれ注意していたら、弩に言われてしまった。
確かに僕は、浮足立っていた。
なんだか、花嫁の父親みたいに、そわそわしている(別に僕はヨハンナ先生を育てたわけではないし、子供もいないし、父親の気持ちなんて分からないんだけど)。
着飾ったヨハンナ先生が、これから知らない男性と会って、しばらく時間を過ごすと思うと、なんだか、もやもやする。
今すぐヨハンナ先生を寄宿舎に連れ帰りたい。
この気持ちは、何なんだろう。
「あれ、あの人じゃないですか?」
ロビーを注視していた萌花ちゃんが言った。
視線の先で、先生がソファーから立ち上がる。
その先生に向かって、一人の男性が歩いて来た。
「あら、イケメンじゃない。背も高いし」
鬼胡桃会長が言った。
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