第11章

第135話 木登りエルフ

 寄宿舎を囲む木々の中に、立派な柿の木があって、今年は当たり年なのか、大きな柿がたわわに実っている。

 数日前から、柿の実を狙うカラスが、寄宿舎の周りでうるさく鳴くようになった。


 それだから、今日の主夫部は、寄宿舎の庭に出て柿の収穫をする。


 ヨハンナ先生と母木先輩が、脚立を立てて高いところになっている実をもいだ。

 僕や錦織が、高枝切りバサミで枝の先の柿をとって、御厨と弩が一旦バケツに集め、一杯になったところで、段ボール箱に移した。


 遠くに鰯雲が見える秋晴れの空の下、僕達は御厨が用意してくれた蜂蜜入りジンジャーティーと、一口ドーナツで時々休憩を挟みながら、重そうな枝から柿を収穫する。

 庭にはレジャーシートを敷いてあるし、ちょっとしたピクニック気分だ。


 寄宿舎の二階の窓から、新巻さんが手を振った。

 執筆の最中の休憩か、新巻さんは二階から外を眺めている。

 一階の多目的ホールでは「Party Make」がレッスンをしていて、微かに床を踏む音が聞こえた。


 のんびりとした秋の午後だ。


 僕達が柿をとってしまうのを見て、カラスが悲しそうに鳴いている。




 届く範囲を大方採ってしまうと、脚立や、高枝切りバサミでも届かない、木の高いところだけが残った。


「よし、私が木に登るよ」

 ヨハンナ先生が言う。

「先生、大丈夫ですか?」

 僕が訊く。

「これでも、子供の頃はおてんばで、男の子達と木登りして遊んでたんだから。それに、あなた達を木に登らせて、落っこちて骨でも折らせたら大変でしょ」

 先生は言う。

 先生だって落っこちたら大変だけど。

 でも、おてんばで男の子に交じって遊ぶ子供のヨハンナ先生、見てみたかった。



 靴を脱いで裸足になった先生は、枝を確かめながら、するすると柿の木を登っていく。

 髪を後ろでまとめていて、チェックのシャツに、ジーンズだし、本当に少年みたいだ。


 ヨハンナ先生が木の上から落とす柿を、弩がスカートの裾を両手で持ち上げて、布で受け止めた。


「弩、あんまり手を高く上げないほうがいいぞ」

 僕は注意した。

 パンツ見えかけてるし。

「何照れてるんですか? 先輩は毎日私のパンツ見てるじゃないですか」

 弩が言う。

「毎日弩のパンツ見てるとか、誤解を招きそうなことを言うな」

 僕は注意した。

 穿いているパンツと脱いであるパンツは違うし。



 一時間足らずで、段ボール箱ぎっしり五箱の柿がとれた。


「もう、手が届くところにはないね」

 木の上から、先生が言った。

 先生は太い枝に腰掛けて、木の上から僕達を見下ろしている。

 金色の髪だし、多分、ファンタジーのエルフとかが実際にいたら、こんな感じなんだろうとか、先生を見て思った。


 僕は収穫したばかりの柿を一つ手にとって、ナイフで皮を剥いてみる。

「弩、食べてみな」

 少し切って、欠片を弩に渡した。

「ありがとうございます」と、受け取った弩。

 柿の実を口にして、次の瞬間、

「渋い!」

 と、吐き出した。


「やっぱり、渋柿だったか」

 僕が言う。

「先輩、酷い! 私を実験台にしたんですね!」

 弩は眉間に皺を寄せて、舌を出している。

「ごめん、ごめん」

「もう、先輩、酷いです!」

 そう言って、僕を睨み付ける弩が、愛らしかった。

 なんか、こう、弩に意地悪して、その反応を見るのが楽しくなっている。

 隣にいると、ちょっかい出したくなる。


 この気持ちはなんだろう。


「ほら、これ飲んで口直しして」

 僕は蜂蜜入りジンジャーティーをカップに注いで渡した。

「もう、先輩には洗濯させてあげません」

 弩が言う。

 それは、それは勘弁して欲しい。



「渋を抜かないといけないですね」

 御厨が言った。

「どうやって、渋を抜くの?」

 弩が訊く。

「業者とかは、炭酸ガスを使って渋抜きするらしいけど、家庭でやるなら、四十度くらいのお湯に一晩つけておけば渋は抜けるよ。ビニール袋に入れて、お風呂につけておけばいい。ここは大きな浴槽があるから、それを使おう」

 御厨が言った。

 弩がなるほど、と感心している。


「明日のおやつに寄宿生と全員で食べられるな。おやつに食べる分くらい渋を抜いて、残りは干し柿にして、吊しておこう」

 母木先輩が言う。

「柿をとるのも、干し柿にするのも初めてです」

 弩は嬉しそうだ。

「ここにいると、色々な初めてを経験出来て楽しいです」

 お嬢様育ちの弩には、初めてのことが多すぎる気がする。

 まあ僕も、干し柿なんてしたことないんだけど。




 収穫を終えて、僕達が後片付けをしていたら、林の獣道を通って誰かが寄宿舎のほうに歩いて来るのが見えた。

 その人は庭の僕達を見付けて、こっちに歩いてくる。


「あのう、ここが寄宿舎で宜しいんでしょうか?」

 僕達に声をかけてきたのは、五十代くらいの女性だ。

 黒髪のショートカットで、柔和な印象の顔。

 中肉中背で、ファーが付いたダウンコートに、黒のパンツを穿いている。


「はい、そうです。ここが、寄宿舎の『失乙女館』です」

 僕達を代表して、母木先輩が答えた。


 誰だろう、学校関係者ではなさそうだし、寄宿生の誰かの親だろうか。

 もしかしたら、新しく寄宿生になった、新巻さんの母親かもしれない。

 娘の様子が心配になって、寄宿舎を見に来たとか。



「叔母さん!」

 柿の木の上から、ヨハンナ先生の声が聞こえた。

 先生が、急いで木から下りて来る。


 叔母さん?


 この人は、ヨハンナ先生の叔母さんなのか。

 黒髪といい顔つきといい、全然先生との血のつながりを感じる面影はないけど。


「ちょっとあなた、何してるの! もう、木になんか登って」

 先生が叔母さんと呼んだ女性が、柿の木を見上げて呆れたような顔をした。


「どうしたの? こんなところまで」

 木から下りて、裸足のまま走ってきたヨハンナ先生が訊く。

 僕は慌てて先生のスニーカーを持ってきた。


「どうしたの、じゃないわよ。あなたが、全然返事をくれないんだもの。仕方なく来たのよ。学校のほうに行ったら、ここじゃないかって言うから……」

 ヨハンナ先生の叔母さんのヒールの靴は、林の獣道を歩いて土で汚れている。


「だから、私はいいですからって、何度もお断りしたはずです」

 先生が言った。

「ダメよ。今度の件は絶対に来てもらうわ。後にも先にも、これ以上の条件が良いことは他にないもの」

「だから、私はいいですから。まだ、全然考えてませんし」

「ダメよ、もうとっくに考えないと」

「だから……」

 先生が困って頭を掻いた。


「今日は行くって返事をもらうまで、私は帰らないわよ。まったく、いい年をして、木に登って生徒と一緒に遊んでるなんて」

 ヨハンナ先生の叔母さんが言う。

 確かに、一般的な二十七歳の女性は、木に登って遊んだりしない。


「あの、どうしたんですか?」

 恐る恐る、僕が訊いた。

 このままでは、埒が明きそうになかったから。


「あなた達、ヨハンナの教え子さん? あなた達からも言ってくれない? この子ったら、私が良い条件のお見合いを持ってきてあげても、全然興味を示さないで、返事も寄越さないの。だから今回は押しかけてきたの。あなた達からも言ってあげて。先生、お見合い、受けてくださいって」

 ヨハンナ先生の叔母さんが言った。


「先生、お見合いするんですか?」

 弩が、心配そうに訊く。


「しません!」

 先生が言った。

「いえ、させます!」

 先生の叔母さんが言う。


 二人の溝は、埋まりそうにない。


 そういえば、僕は、ヨハンナ先生と旅行したり、一緒に寝たりしてるけど、先生のこと、あまり知らなかった。

 先生の部屋の箪笥の中身まで全部、把握してるのに、先生の家族のこととか、まるで知らなかった。


 そして、先生の恋愛事情も。


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