第134話 鴨南蛮
寄宿生になった新巻さんの部屋は、211号室に決まった。
そこはちょうど、開かずの間の真上の位置だ。
寄宿舎二階の右手側は、207号室の古品さんの部屋と、208号室の「Party Make」の衣装部屋しかなくて、小説家の新巻さんに静かな執筆環境が保証されるからと、ここに決まった。
学校への事務手続きも終わって、休日の今日は、寄宿生と主夫部総出で、引っ越しの手伝いだ。
ヨハンナ先生が、2tトラックを借りてきて、新巻さんの荷物を家から運んできた。
寄宿舎までトラックを乗り付けることは出来ないから、林の入り口まで乗り入れて、そこからみんなで荷物を運ぶ。
「お兄様、これはどこに運びますか?」
段ボール箱を抱えた妹の枝折が僕に訊いた。
休日を利用して、枝折と花園も手伝いに来ている。
新巻さんの正体が小説家の森園リゥイチロウだということは、寄宿生と主夫部、そして枝折と花園だけには明かした。
僕達が修学旅行から帰った翌日、ここでその事実を知らされた枝折は、驚くでもなく、悲鳴をあげるでもなく、僕の後ろに隠れた。
好きすぎて、直視できなかったらしい。
以来、枝折は、今だに新巻さんと目を合わさないし、話すのもたどたどしい。
「とりあえず、部屋の前の廊下に置いといて」
僕が言うと、
「はい、お兄様」
と、枝折は素直に従った。
枝折は普段、僕のことを「お兄様」、なんて絶対に呼ばない。
いや、それどころか、今まで一度もそんなふうに呼んだことはない。
最近段々と反抗的になっているのに、新巻さんの前では良い子ぶっている。
熱心に引っ越しを手伝う、素直な妹でいた。
枝折がこんなふうなら、新巻さんにずっと家にいて欲しいくらいだ。
「ほら、花園は遊ばない!」
一方の花園は、手伝いに来たといいながら、弩にちょっかい出している。
庭や寄宿舎の中を飛び回っていた。
手伝いに来たのか、遊びに来たのか分からない。
新巻さんの要望で、211号室には畳を敷いた。
部屋の一画に、四畳半分だけ床を小上がりのように高くして、そこを畳にした。
畳の上に文机を置いて、ノートパソコンで執筆するのが、新巻さんのスタイルらしい。
ここは洋館だけど、建物に古い趣があるから、敷いた畳や文机の和風な調度品にも合っていて、おかしくなかった。
文机がある風景は、明治時代の文豪の部屋みたいだ。
「本は、部屋に入りきらないな」
母木先輩が言った。
新巻さんが家から持ってきた本や資料は、段ボール箱で三十箱くらいある。
「隣の212号室を書庫にして使いましょう」
僕が提案した。
部屋は空いてるし、そこならまだこれから本が増えても、十分対応できる。
「枝折ちゃん、ちょっと恥ずかしいよ」
新巻さんがどんな本を読んでいるのか、枝折が段ボールから出した本の題名を食い入るように見詰めているから、新巻さんが照れていた。
確かに、本棚を見られるのは、自分の頭の中身を見られるみたいで恥ずかしい。
「ほら、篠岡、危ないぞ」
本が入った重たい段ボール箱でよろけた僕の背中を、縦走先輩が支えてくれた。
「がんばれ」
段ボール箱を二段重ねで持っている先輩。
トレーニングだといって、本の段ボールは、ほとんど先輩が運んでしまう。
「先輩、寒くないですか?」
先輩はトライアスロン部のランニングに、短パン姿だった。
曇り空の今日は、少し肌寒い。
「おう、動いていると熱くて、ランニングも脱ぎたいくらいだ」
縦走先輩が言った。
先輩の働きぶりに、新巻さんが目を丸くしている。
引っ越し作業の合間合間には、萌花ちゃんが首から提げているカメラで、みんなの写真を撮った。
「著者近影みたいなの撮りたいときは、いつでも言ってくださいね」
萌花ちゃんが新巻さんに言う。
「ありがとう。でも、私、覆面作家だから。性別も明かしてないし」
「そっか、そうですね」
そう言いながら、萌花ちゃんはパシャリとシャッターを切る。
「それなら私を撮りなさい。総理大臣になった暁には、伝記を出版して、その写真を使ってあげるわ。若き日、知人の引っ越しを無償で手伝う、鬼胡桃首相ってね。伝記の執筆は、新巻さんに頼んであげてもよくてよ」
鬼胡桃会長が、顎に手をやってポーズを決めながら言う。
「はい。よ、よろしくお願いします」
濃い住人ばかりで、新巻さん、引いてないだろうか。
そんな新巻さんの前を横切るのは、新巻さんもファンだという、アイドルの古品さんだし。
もう一人の寄宿生の弩が、花園と一緒に、庭でだんご虫を捕まえたって、大騒ぎしてるし。
「賑やかでいいですね」
新巻さんが言った。
「ここに来て、良かったです」
新巻さんの声が、少し鼻声になっている。涙を我慢しているような……
とにかく、ここを気に入ってくれて、良かった。
みんなでかかったからか、午前中で、引っ越しの作業をほぼ終えてしまった。
「皆さん、お昼ご飯です! 下りてきてください」
台所で昼食の準備をしていた御厨が、僕達を呼びに来た。
「引っ越しだったから、今日はおそばにしました」
食堂には、かけそばが用意されていた。
「北海道から送ってもらったお肉の中に、鴨肉があったので、鴨南蛮にしました」
御厨が言う。
三鹿さんは、鹿肉の他に、解禁されたばかりの鴨猟で獲った真鴨も送ってくれたらしい。
そばには鴨の肉と、焼いたネギがたっぷり乗っていた。
甘い醤油つゆに、薬味の柚の香りが仄かにする。
鴨肉の脂身が美味しいし、赤身も、弾力があって、噛めば噛むほど味が出てきた。
「美味しい。ここは、こんな料理が、普通に出てくるんですね」
ほっぺたを桜色にして、萌花ちゃんが言った。
「こんなのは序の口だぞ。御厨の料理の腕は、プロ顔負けだからな」
縦走先輩が言った。
そして、「おかわり!」と、御厨に椀を差し出す。
「はい」
御厨が椀を受け取って、嬉しそうによそった。
「先輩、後で、好きな食べ物とか、どうしても苦手な物とかあったら、教えてください。レシピ作りの参考にしますので」
御厨が、新巻さんに言った。
「うん、分かった」
「僕も、後で体を細かく採寸させてもらうけど、いいよね。服を作るのに必要だし」
錦織が言う。
「う、うん」
「篠岡先輩に、後で下着の畳み方の好みを聞かれると思いますけど、先輩には下心がないので、教えてあげてください。それから、好きな柔軟剤については、先輩はもう匂いで分かっていると思うので、教える必要はありません」
僕が訊こうとしたのに、弩が先に言ってしまった。
「わ、分かった」
主夫部の攻勢に、新巻さんは面食らっている。
「これは、ここに入る通過儀礼だから、諦めなさい」
鬼胡桃会長が苦笑した。
「これで、新巻さんも、立派な寄宿生ね」
ヨハンナ先生が言う。
お昼を食べ終わって、残りの
「よし、これからは新巻君の歓迎会の準備だ」
掃除の間着ていた割烹着を脱ぎながら、母木先輩が言う。
「いえ、私のために、そこまでしていただかなくていいです」
新巻さんがすまなそうに言う。
「何を言ってるの新巻さん。あなたは大切な寄宿生なんだから、盛大な歓迎会をするわよ。それは盛大にね」
ヨハンナ先生が言った。
先生は、お酒が飲める宴会のために必死だ。
「さあ、買い出し組と、食堂の飾り付け組に別れて、速やかに行動だ!」
母木先輩の指示に、
「はい!」
と、僕達は歯切れのいい返事をした。
将来、政治家を目指して、総理大臣になると豪語する鬼胡桃会長。
アドベンチャーレーサーを目指すという、縦走先輩。
来春メジャーデビュー予定のアイドル、古品さん。
大弓グループの後継者の弩。
カメラマン志望の萌花ちゃん。
現役教師のヨハンナ先生。
そして、新たに加わった小説家の新巻さん。
この寄宿舎には今、そして将来、仕事をして身を立てていきたいという女子が、どんどん集まってくる。
僕達主夫部も、彼女達を失望させないように気合いを入れていかないといけない。
僕は志を新たにする。
僕は、彼女たちを満足させる、主夫になる。
でもその前に、今日は思う存分、新巻さんの歓迎会を楽しもう。
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